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2019年6月11日 (火)

鬼貫 元禄の経営コンサルタント

行水の捨て所なし虫の声 (この句は本記事の旧題でした)
 
 この句は、鬼貫(上島鬼貫、通称上島与惣兵衛)の作とのことです。かなり有名な句のようですが、文芸の世界に疎い私には、初見でした。

 生没年が1661(寛文元)年-1738(元文3)年とあります。芭蕉が1644(正保元)年-1694(元禄7)年ですから、十年を一世代とすると、二世代ばかりの後輩の同時代人といったところでしょうか。

 興味が湧きましたので、少し調べましたら、妙なことに突き当たりました。以下、二つの事典(辞典)の記述を引きます。

鬼貫 おにつら 1661-1738(寛文1-元文3)
江戸前期の俳人。姓は上島(本姓藤原,晩年は平泉),幼名竹松,長じて利左衛門宗邇(むねちか)。通称は与惣兵衛。伊丹の酒造家油屋の上島宗春の三男。(中略)遠祖は藤原秀郷(ひでさと)(俵藤太)といい,鬼貫には武士として立とうという願いが強くあった。そのため,筑後三池藩(1687-89),大和郡山藩(1691 -95),越前大野城主土井甲斐守家(1708-12?)に仕え,藩政改革などにあたる。(略)
[平凡社世界大百科事典/桜井武次郎]

上島鬼貫(うえじまおにつら) 一六六一 - 一七三八
江戸時代中期の俳人。寛文元年(一六六一)四月四日、上島宗春の第三子として伊丹に生まれる。名は宗邇(むねちか)。通称与惣兵衛。(中略)三池侯・郡山侯・大野侯に出仕したのは武門志願のためである。あくまで俳諧によって食資を求むることを潔しとしなかった。
[吉川弘文館国史大辞典/岡田利兵衛]

 鬼貫は、伊丹の酒造家の三男と言いますから、私たちの歴史常識では町人身分と見なせます。しかし、上記二つの引用中私が彩色フォントで表示した記述によると、大名家に出仕している、それも幾つも渡り歩いていて、各家の行政改革に携わっているらしい。私の下線のように、それが本人の意思だった。

 これはいったいどういうことでしょうか。鬼貫(武士としての彼自身の名乗りは、藤原宗邇ふじわらむねちか)自身が武士になりたいというのは勝手ですが、当時の身分法の枠組みのもとで本人の任意で身分替えできるわけがありません。もし本人の能力によって voluntary に身分を行き来できるなら、それはとても《身分社会》などとは言えないと私は思います。そんな社会は、むしろ Modern England と同じです。ジェントリ⇔貴族⇔ブルジョアジー、が事実上一つの支配階層を形成していたからです。それも鬼貫の profession は現代で言う経営(行政)コンサルタントです。

 徳川日本というものが、私にはますます訳が分からなくなりました。この件、私の宿題として、弊ブログに備忘しておくこととします。

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