ファッションと国制(身分と「奢侈禁止法 sumptuary law」)
前近代に特徴的な「身分制」。それと見合うものと一般的には思われているのが、「奢侈禁止法 sumptuary law」です。
しかし、「奢侈禁止法 sumptuary law」というものは、各身分の人々が、各自の「分」を守ってさえいれば必要ないものです。逆に言うと、身分社会の暗黙の服飾規制等を平気で破るものが目立つようになってきたので、模倣された身分上層の人々が、模倣した下層身分の人々を実定法で抑えにかかった訳です。つまり、身分制社会の動揺の一つの現れが、「奢侈禁止法 sumptuary law」ということになります。二人の論者を引きます。
文明社会のなかで、衣服が、文化となり、経済活動の重要な構成要素となり、あるいは社会秩序の不可欠の要素となったのは、人間がミメティスム(擬態、無意識的な模倣)と反ミメティスムの二つの傾向を併せもっているからである。しかし、この二つの傾向が自由に実現されるようになったのは、じつはそんなに古いことではない。他人と同じ格好をしてもよいし、他人と異なる格好をしてもよい。そのことについてだれからも規制を受けない。このようにだれもが自分の好きな格好ができる、いわゆる「服装の自由」は、生活規範(エチケット)の階層化された身分制社会の枠組みとは相容れないものだったからである。ヨーロッパの場合、服装の自由が公に認められ、明文化されたのはフランス革命のときである。
(中略)
流行現象がフランス革命以前になかったわけではない。一八世紀はじめのパリでは、「衣服がすたれる速さは、花のしおれるのより速い」とか、「無数の店が軒を並べ、必要のない品物を売っている」(シチリアからの旅行者)とかいわれていた。しかしながら、流行だからといって必要のない品物まで追い求めるような行動は、少数の上流階級の人々にしかできない贅沢であった。流行現象が全社会的に広まり、人々の衣生活ばかりか行動規範全般を支配するようになったのは、一九世紀になってからのことである。
北山晴一『衣服は肉体になにを与えたか―現代モードの社会学』 (朝日選書)No.6291999年7月
第4章「衣服という社会」(pp.185~6)
上記引用の北山晴一氏は、大陸諸国、特にフランスの事例に注目して、フランス革命がファッションの自由化に決定的に重要だ、と述べています。
では別の論者を引きましょう。
こうして、一六〇三年にエリザベスのあとを受けて、スコットランド王ジェームズ六世がロンドン入りし、イギリス王ジェームズ一世となりますが、彼は最初の一六〇四年の議会で、ぜいたく禁止法を全廃しました。
一六〇四年というと、関ヶ原の合戦の四年後です。日本では江戸時代になって、倹約令などが出されます。倹約令というのは典型的な日本のぜいたく禁止法で、この法律も身分制秩序と関わっています。そういった法律がこれからたくさん出てくるというときに、イギリスは、ぜいたく禁止法を全廃しました。フランスもまだぜいたく禁止法を出しています。(p.51)
ぜいたく禁止法は、中世から近代にうつっていく近世という時代に、中世の身分制秩序が崩れていくのを止めるために、世界中の国で出された法です。これがイギリスでは、世界で最初に全廃されました。この点は経済史としても、生活の歴史という観点から見ても大きな意味があります。
これには、やはり巨大な都会、ロンドンの存在が大きかったと言えます。大都会が成立してしまえば、身分に応じた服装をといっても、それを取り締まるシステムがありません。しかし、廃止されてしまったとなると、道徳的にはいろいろ言われても、法律上は何を着てもよいことが、明確になったわけです。そうすると、まさにロンドンでは、「人は身なりで判断される」ことになり、上流の恰好をしている人間は上流ということになっていきます。われわれからすると、上流の生活を送っていれば上流なのだというのは当たり前ですが、もともとはそうではありませんでした。どのような恰好をしていても、上流は上流、農民は農民だったのが、見かけがむしろ優先される社会になっていきます。これが都市生活の大きな特徴です。この現象は十六世紀の後半ごろにロンドンで成立しました。
需要が引っ張る経済成長
このことは経済史的には、イギリスに、全国民を巻き込んだ国民的マーケットが成立したことを意味します。フランスでは、たとえばヴェルサイユで貴族たちが華やかな暮らしをしているといっても、それは貴族だけの話で、マーケットとしては非常に狭かったのですが、イギリスでは王室が流行を取り入れると、かなり早いスピードで国民全体に広がっていくようになったのです。
川北稔『イギリス近代史講義』(講談社現代新書)2010年10月
第1章「都市の文化生活はいかにして成立したか―歴史の見方」pp.51~53
川北氏は、17世紀初頭のイングランドで、身分上の服飾規制が全廃された、と述べています。
北山氏と川北氏の違いは、事態を西洋大陸諸国中心に見るか、イングランド中心に見るかの違い、あるいは、国制の根幹にある《法》システム、すなわち制定法(大陸法)と慣習法(英米法)の違い、と言えるでしょうか。国制の違いがはしなくもファッションにまで及んでいるようです。
そしてこれは、一国内マス・マーケットの成立とも深く結びつきます。北山氏は上層身分の贅沢を模倣することは下々には簡単にできないことなので、流行現象が成立するのは19世紀からと述べます。しかし、だからこそ上層身分の使用する高級品(手工業品)のcheapな代替物(模造品)として、機械による大量生産品が強く求められ、貿易不均衡の元凶でもあった高級品(インド更紗)の輸入代替として実現したのがいわゆる18世紀イングランドの「産業革命」ということになる訳です。《機械化》がイングランド伝統産業の毛織物からスタートせず、輸入原料である綿花※を投入して綿糸、綿布を産出する綿工業から燎原の火のように広がるのはそのためです。
※北米植民地のジョージアを中心とする南部に自生していた原生綿花を大量輸入します。そのプランテーション労働力は黒人奴隷で、この奴隷貿易で栄えたのが、産業革命の震源地ランカシャーの表玄関リバプール Liverpoolでした。
そして、川北氏が同書で指摘するように、ロンドンという大都市で大人口社会が成立したとき、身分秩序を維持していくことは困難となりました。ロンドンこそが、《身分》を《個人》に融解した張本人であり、産業(工業)革命以前に資本主義的近代を出現せしめた原動力と見做せます。
※参照 身分と労働: 本に溺れたい
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