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2019年12月14日 (土)

国語問題として物理を考える(2)

 高校国語の「論理国語」用演習問題の第二弾(第一弾はこちら)を作ってみました(過去記事の援用です)。ご笑覧頂ければ幸甚。

 

◆下記の文を読み、下段の設問に答えなさい。

「セコイアはいかにして水を100m以上持ち上げるか?」

 「道管の中につまっている水は、結束力が強く、上から強い力で引き上げられても、決して水柱が切れる(気泡が入る)ようなことはない。そしてまた、蒸発によって水を吸い上げる力は、われわれの想像をはるかに越えるものであり、この蒸発を防ごうと思えば、数百気圧の力が必要である。逆にいえば、数百気圧の圧力で押し上げるのと同じ力で、水は吸い上げられる。だから、五〇メートルや一〇〇メートルの木といえども、水は難なく吸い上げられるのである。
瀧本敦『ヒマワリはなぜ東を向くか』中公新書(1986年)
p.111
1998315日付21

  上書は、植物生理学に関する啓蒙書として有名であり、今日まで読み継がれている。例えば、ライ麦の根の全長は620㎞(東京・西明石間に相当)、根毛まで含めるとその長さは11,200km(地球の1/3周)にもなるといったことや、それを実測する研究者の存在を教えられるだけでも嬉しくなる。

 ただ、上記の引用部分には、ちょっとした、しかし原理的におかしい箇所がある。

逆にいえば、数百気圧の圧力で押し上げるのと同じ力で、水は吸い上げられる。

 これは明らかにおかしい。樹高100mを越えるセコイアのてっぺんまで水を吸い上げる主役は蒸散力である。これは結局、「植物細胞の浸透圧はふつう518気圧」(平凡社世界大百科事典1998、「浸透圧」)であることによる。1気圧で10mほど水は上げられるから、これなら、根圧の2気圧と組み合わせれば、200mの樹高でも水が届く計算となり、セコイアといえども十分といえる。

 著者のいう、数百気圧とは、水分子相互(のクラスター構造)を引き離す際に必要な力のことであろう。中学・高校の理科参考書などに、水の凝集力は200気圧以上、などと記されているものがそれだ。もし植物に水を数百気圧で引っ張り上げる力があるのなら、数千メートルの高さまで水を届けることが可能となってしまう。それは少し変だ。

        この文の筆者は、引用した本の文章の一部を「おかしい」と述べています。なにが、どう、おかしいのですか。「凝集力」、「蒸散力」の2語を用いて説明しなさい。

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