ラプラスの悪魔 / démon de Laplace / Laplacescher Geist
いわゆる「ラプラスの魔」について考える準備作業として、一応原典をメモしておくことにしました。
したがって、われわれは、宇宙の現在の状態はそれに先立つ状態の結果であり、それ以後の状態の原因であると考えなければならない。ある知性が、与えられた時点において、自然を動かしているすべての力と自然を構成しているすべての存在物の各々の状況を知っているとし、さらにこれらの与えられた情報を分析する能力をもっているとしたならば、この知性は、同一の方程式のもとに宇宙のなかの最も大きな物体の運動も、また最も軽い原子の運動をも包摂せしめるであろう。この知性にとって不確かなものは何一つないであろうし、その目には未来も過去と同様に現存することであろう。人間の精神は、天文学に与えることができた完全さのうちに、この知性のささやかな素描を提示している。
確率の哲学的試論 (岩波文庫)ラプラス著(内井惣七訳)『確率の哲学的試論』1997年岩波文庫 p.10Nous devons donc envisager l’état présent de l’univers, comme l’effet de son état antérieur, et comme la cause de celui qui va suivre. Une intelligence qui, pour un instant donné, connaîtrait toutes les forces dont la nature est animée, et la situation respective des êtres qui la composent, si d’ailleurs elle était assez vaste pour soumettre ces données à l’analyse, embrasserait dans la même formule les mouvemens des plus grands corps de l’univers et ceux du plus léger atome : rien ne serait incertain pour elle, et l’avenir comme le passé, serait présent à ses yeux. L’esprit humain offre, dans la perfection qu’il a su donner à l’Astronomie, une faible esquisse de cette intelligence.
Pierre-Simon Laplace, Essai philosophique sur les probabilités , 1814
We may regard the present state of the universe as the effect of its past and the cause of its future. An intellect which at a certain moment would know all forces that set nature in motion, and all positions of all items of which nature is composed, if this intellect were also vast enough to submit these data to analysis, it would embrace in a single formula the movements of the greatest bodies of the universe and those of the tiniest atom; for such an intellect nothing would be uncertain and the future just like the past would be present before its eyes.
上記のラプラスの議論については、渡辺慧がかなり前から原理的な批判を加えています。下記。
それはなぜかといいますと、現在の宇宙の状態がわかれば将来が決定できるということですが、これは予言という立場からいえばできない相談です。現在の宇宙の全体の状態を知るためには無限に時間がかかり、宇宙の果てから通信が来て、その状態がこれこれであるということをわれわれに知らせてくれるのにはやはり無限の時間がかかります。そういう無限の時間がかかったのでは、その中間にある時間の将来の状態などを予言することはできない。すなわち、現在の宇宙がきまっていればというけれども、実はきめようがないのです。少なくとも科学的に実証的にきめることはできないのです。このことに気がついていない人が多いので私は一言申し添えておきますが、こういうわけで予言としての決定論というのは、全然意味がない。
渡辺慧『知るということ 認識学序説 』1986年東京大学出版会(認知科学選書8)、p.135
私のアイデアについては、後日、ということに致します。
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