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2020年1月 9日 (木)

漱石と近代日本語文体

 漱石の文体が何故、近代日本語の書き言葉(written language)のフォーマット(format)になり得たのか、を考えます。とりあえず、思いついたことを書いておきます。

1)「現代生活 modern life」を表現可能な日本語の書き言葉を創出し、その範例を示した。

2)新聞小説という形式が、識字層への《用例集 corpus》として機能した。

3)当時、新聞が読まれる形式には、教養層の「黙読」習慣とともに、普通の人々(common people)の音読習慣、あるいは家の中における「読み聞かせ」習慣、が重層的に生きていた。漱石は、かつての江戸の町名主層に生を享け、里子/養子経験もその階層間の移動だったので、普通の人々の《言語生活-圏》を熟知しており、読者層を意識した market-oriented な志向で、小説を書いた。

4)徳川期までは、教養層における書き言葉には、和文において敬語の体系が構造化、埋め込まれていた。そのため徳川19世紀の社会の流動化(垂直的/水平的)による「処士横議」の書き言葉としては、むしろ(敬語がない)「漢文」「書き下し文」「漢文脈」文が選好され、それが明治初期から中期の教養層における書き言葉としてフォーマット化(formating)した。しかし、普通の人々における書き言葉としてはフォーマット化しずらく、言文一致運動が展開した。その際、書き言葉の言文一致は、教養層出身の識者たちのアプローチでは、漢文書き下し文からの口語化を探るものが主流であった。一方、普通の人々の口頭 oral な世界からの言文一致は、徳川期の庶民文芸(庶民の言語生活圏)としての、俳句、狂句、狂歌、落語、講談、戯作からのアプローチが必要で、 educated された庶民層という身分 status の漱石がその作業に適任だった。

この件については、前田勉「江戸期の漢文教育法の思想的可能性 ―会読と訓読をめぐって― 」2015年11月、参照
 前田勉『江戸の読書会 ―会読の思想史― 』2018年平凡社ライブラリー(No.871)、p.429付論として収録

以上、当座の備忘録としておきます。

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