漱石文学のマーケット
私は、以前の記事で
私がこの小説を読むのに難儀した最大の理由は、漱石の描写する「ああでもない」「こうでもない」という内省的、倫理的な彷徨に辟易したからです。《「男」の腐ったの》みたいな、グチグチした心の呟き。これが私には肌が合いませんでした。
と書きました。しかし、ある知友の示唆で少し思い直しました。そこで軽くリサーチした結果が下記です。
国史大辞典、「夏目漱石」(井上百合子述)
夏目漱石
一八六七 - 一九一六
明治末から大正前期へかけての小説家。明治の前年慶応三年(一八六七)正月五日(陽暦二月九日)、江戸牛込馬場下横町(東京都新宿区喜久井町)で生まれた。父夏目小兵衛直克(五十一歳)・母千枝(四十二歳)の五男末子、金之助と命名される。夏目家は町方名主で当時かなり勢力があり、母千枝は四谷の質商福田庄兵衛の三女で、大名家の奥女中をつとめた後、おそらく安政元年(一八五四)に直克の後妻に来た。末子の出生は祝福されず、母の乳が出なかったためもあって、生後すぐ里子に出され、翌年養子にやられ、塩原昌之助・やすの夫婦を実の父母と思って成長する。養父母の不和のため、塩原家在籍のまま実家にひきとられ、小学校も三回変わる。 この不幸な幼年時代が、漱石の性情形成に大きく影響した。明治十二年(一八七九)、東京府立第一中学校正則科に入学したが、十四年、実母千枝の死の衝撃で、中学を中退して二松学舎に入り、漢学を学んだ。〔後略〕
以上からしますと、夏目金之助は、「歓迎されざる子」「祝福されざる子」としてこの世に生を享けてしまったことになります。どこかで読んだ記憶を思いだしましたが、養家の塩原家においてネグレクトに晒され続けたのではなかったかと思います。
精神科医の土居健郎の指摘もこうです。漱石の作品は、意図的な自己分析であり、そのことを通じて、意図せざる自己治癒となった。若き日の狷介な漱石からは想像できない、晩年の多くの弟子たちに慕われる慈父のごとき「師漱石」は、自己分析によって治癒に至った稀有な例である。土居健郎『漱石の心的世界』改題、『漱石文学における「甘え」の研究』角川文庫昭和47年、p.246。
さらにこうも指摘しています。
「漱石は一郎(引用者註『行人』の主人公)において自分の不安が由来する根本を探りあて、Hの看護による平安の訪れによって、その治癒をはかっているのである、と。それは何の理屈も伴わない自然の情味であった。こういうと陳腐になるが、一郎すなわち漱石が求めて得られなかったものは温かい母親の愛情だったのである。」同上、p.245
※なぜか知りませんが、土居健郎氏の本は、何種類も出ています。
《カドカワ版》漱石の心的世界―漱石文学における「甘え」の研究 (1982年) (角川選書〈19〉)
私は、『こころ』を読み、いったい誰がこんな粘着質な文を読みたがるのだろうと訝しみました。しかし、漱石の一連の小説が近代日本人の《読むクスリ》、「自己分析による自己治癒の範例」だとすれば、漱石が世代を超えて繰り返し需要される意味が合点できます。
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