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2020年4月 8日 (水)

決定論の起源 The origin of determinism (1)

 決定論(determinism)という語があります。非クリスチャンの日本人が気にすることはあまりない、ともいえるのですが、肯定的にも否定的にもクリスチャンであらざるを得ない西欧人にとり、21世紀の現在でも相変わらず悩みの種であり続けています。従いまして「近代化」が「西欧化」でもあった近現代日本人にとっても、他人事と放置するわけにもいかない事情がある訳です。

 大まかな定義は、こうです。

「世の中でどういうことが起こるかは、未来永劫(えいごう)にわたってすべてあらかじめ決定されている」(吉田夏彦 /小学館日本大百科全書)

「世界に生起するできごとは,なんらかの形で元来決定されている」(村上陽一郎/平凡社世界大百科事典

Determinism, in philosophy, theory that all events, including moral choices, are completely determined by previously existing causes. (Determinism / Encyclopaedia Britannica

 どちらかと言うと、近代以降の人間にとり、かなり否定的な響きの強い言葉、とも言えそうです。「未来に自由な選択の余地がない」ように見えるからです。

 ただ、私が愚考致しますに、これ、当りまえのことではないか、と思います。なぜなら、この世に生を享けた人であるならば、たった一人の例外なく、ある特定の名を持つ、一組の男女を親として生まれていて(ナザレのイエス様の御母堂は処女だったように仄聞しますが)、生まれてくる赤ちゃんは、自分の親、生まれてくる場所、時代を選択できないからです。そして、この事実は赤ちゃんにとっていかなる意味においても「決定的」です。仮に下層身分から身を起こして、皇帝や独裁者として世界に君臨したとしても、この生物学的事実は誰にとっても否定の仕様のない事柄だからです。

 己の生の享受という事実(を初めとして過ぎ去った過去)を、消すことや書き換えることは、誰にもできない。これは文字通り本人の意思に左右されない「決定的」なことです。《過去の決定性》、《過去の書き換え不可能性》。この極めて人間的事実が、人をついつい「決定論」に誘ってしまう、と私は考えます。そして、誰にとっても免れようもない親への愛憎という ambivalence(あるいは二律背反 antinomy)が、ひとを「決定論」あるいは「非決定論」に導く、と考えます。

(2)へ続く

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