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2020年4月13日 (月)

私の「複雑系理論歴史学」のアウトライン Outline of "complexity theory on history "

 このコロナ疫禍は、少なくとも、21世紀の日本社会を一気かつ根本的に変えてしまう可能性を秘めています。5月になっても、緊急事態宣言がリスケして、なんだかんだで、半年くらい続くなら、これは日本社会全体に、肯定的であれ、否定的であれ、不可逆の変化をもたらすことは動かないと思われます。

 これは歴史現象における「変異 mutation」そのものです。「世界 world」は勝手に(自律的に autonomous)「遷移 succession」する。その「世界」に蠢く「agents」は、右往左往する。或ものは、「世界」の「自律遷移 autonomous succession」とは無関係に、既に自律「変化」していたがために、生き残り、或ものは、自律「変化」していたがために、死滅する。或ものは、「世界」の自律遷移過程中に、「学習 learning」によって「適応度 fitness」を引き上げることに成功し、或ものは「学習 learning」したがゆえに「適応度 fitness」むしろ引き下げ、死滅してしまう。

 Max Weber が、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 Die protestantische Ethik und der 》Geist《 des Kapitalismus』で囁いていた、歴史における、「選択的親和関係 Wahlverwandtschaften (Elective Affinities) 」の、ものの見事な事例が我々の目前で繰り広げられています。

 そしてこの関係は、事後的にしか分かりません。なぜなら、「世界」の「複雑さ」に対して、人間(agents)の「合理性」には「限界」があるから(bounded rationality)。「進化 evolution」と言う現象は、「合理性の限界」下にある人間(agents)にとっては、事前に(previo)「予測」できる代物ではなく、事後的(ex post)な「歴史の審判」を待つしかない。その「歴史法廷 historical court」における判決文でさえ、所詮「合理性の限界」下にある人間(agents) の記述は、「部分的」認識であらざるを得ません。それ故、競合的な複数の「仮説」(この場合は史実解釈)が並び立つことになります。

 Abduction(仮説の形成とその妥当性の吟味)としての「歴史法廷 historical court」。これが、私が彫琢を目指す、「複雑系理論歴史学」のアウトライン、ということになります。

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