The discourse construction of reality/「現実」の言説的構成
「現実 reality」は、実は言説によって構成されます。なぜなら、ヒト以外の動物は、「身体」を進化させ、その「身体」にピッタリ fit した「世界」で生き延び暮らしていますが、ヒトはある時点から「身体」の進化を停止し、そのかわり言説によって構成された「世界」を構築し、その「世界」を進化させることで生き延びてきているからです。
ホモサピエンスと言う種は、1種類しか現存していませんが、ヒトの暮らし方、着るもの、何を好んで食べ、何を禁忌とするか、何に好悪を感じるか、まで無限と言っていいほどの多様な暮らし方で、地球上に散在して日々を送っています。生物種としては一つしかないのに、ものの「感じ方」まで含めて、なぜこれほどまで異質なのかといえば、それはそれぞれの「感じ方」や「挨拶」のような行動様式を、それぞれの文明の中で、歴史的に積み重ねてきた「言説」で構築しているからに他なりません。頭骨や咽喉の生物学的特質はヒト種として同じであるにもかかわらず、しゃべる言葉が全く異なるのはその典型です。これほど異なる「言葉」で「世界」が構築されれば、当然、異なる「世界」が出来上がるのに決まっています。
ヒトは己の「世界」をその使用する「言葉」で構築している。だから、新しい「語彙」、新しい「言説」、新しい「説明法」は、新しい「世界」の見方となり、人々に今あるものとは別の「現実」を人々に与え、人々の行動様式に変更を加え、事実、新しい「社会」を創り出してしまうのです。望むと望まざるとに関わらず、結果として。
私は吉本隆明が使い出した「共同幻想」という語彙はあまり適切ではないと思っています。何故なら「現実 reality」は「幻想」というより、一群の人工物 [artifacts] としての concrete な reality に他ならないからです。吉本の表現では夢/幻かのような誤解を与えてしまう危険性があります。
ある社会で言葉(あるいは言説)を専門的に操作するのは、言葉を日常的に職務としている人間たち(政治家、役人、マス・メディア、ネット言説、そしてそれらに「語彙」と「語り方」を与える知識人)ですから、彼らの日々の活動が私たちの、日々の「現実 reality」を再生産している、ということになります。Karel van Wolferen が生み出した「リアリティの管理者 Administrators of "Reality"」とはけだし名言でしょう。
付言しますと、上述の指摘は27歳の David Hume が、300年前に言った下記の事柄と実質的に同じことです。
「哲学的な眼で社会現象(human affairs)を考察するひとにとり、多数者が少数者によりやすやすと支配されているあのたやすさと、ひとびとが、彼らの意見や情念をすなおに彼らの支配者のそれにしたがわせているあの一も二もない盲目的なすなおさ(implicit submission)ほど驚異的に思われるものはありません。このような驚異的な現象を生み出している原因をたずねてみるとき、『実力』(force)はいつも被支配者の側にあるのですから、支配者側が支柱とたのむものが輿論以外にはないということがわかるでしょう。したがって、政府の基礎は輿論だけということになります。そして、この原則は、最も自由で最も人民的な政府にも、最も専制的で最も軍事的な政府にも、一様にあてはまります。」D.ヒューム「政府の第一原理について」『市民の国について』上、岩波文庫(1992年)、p.226
"Nothing appears more surprising to those, who consider humanaffairs with a philosophical eye, than the easiness with whichthe many are governed by the few; and the implicit submission,with which men resign their own sentiments and passions to thoseof their rulers. When we enquire by what means this wonder is effected, we shall find, that, as FORCE is always on the side of the governed, the governors have nothing to support them but opinion. It is therefore, on opinion only that government is founded; and this maxim extends to the most despotic and most military governments, as well as to the most free and most popular. "
On the First Principles of Government (1742) by David Hume
そして、Hume の指摘は、Berger, Luckmann 'The social construction of reality' 1966(邦題「現実の社会的構成―知識社会学論考」) と本質的に同じです。18世紀人 Hume の天才的洞察を二百年後にドイツ系米国人現象学的社会学者が再発見した、と言うのが真実に近い。ま、あまりそういう評価は聞きませんが。政治学者は現象学的社会学を読みませんし、社会学者は Hume を読まないのでしょう。もったいないことです。私個人はこの Hume の一文を読み、Humeというのは、ほとほと humanites における天才だと再認識した次第です。
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