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2020年5月 6日 (水)

財産権:「種(タネ)」と「才能」/ Property : seeds and talent

 種苗法「改正」について、これまで2編、本ブログに投稿しました。

1)種苗法の「改正」に反対します ― アベ売国政権の売国的法改正: 本に溺れたい
2)「国難」とはなにか: 本に溺れたい

 これに関して、知友から応答があり、少し考えるところがありましたので、こちらに備忘しておきます。

知人の指摘は主に7点ありました。

①改正の主眼は、新品種を創作した者の新品種を育成する権利(育成者権)の保護にある。
②新品種は歴史的産物である。それが創作されるには、それまでの歴史的蓄積が与件として存在する。
③新品種はその後栽培されて初めて経済的価値を生み出す。その意味で未来とも関連する。
④②と③から、種(タネ)の創作育成は、過去からの継承、未来への引き継ぎ、という世代を超えた人間行為の折り重なりそのものだから、それを育成者として登録したという事実で権利化/占有させ、法的保護を与える、というのでは、はみ出す部分が大きすぎる。
⑥一方で、現代日本の農家においては「タネ・苗は買うもの」という現実があり、種(タネ)がもつ世代を超えた「引き継ぎ」の意識が広範に共有されているかは不明。
⑦その現状をふまえて、宇根豊さんなどは「いま必要なのは農家自家育種促進法」であると発言している。

 上記の指摘から一つ私が合点がいったことがあります。弊記事で参照した山田正彦氏の記事中に、「残念ながら、既に日本で栽培されている野菜の 90%は登録品種で F 1になり海外でモンサントなどの多国籍企業によって生産されています。」という章句があり、「あれ?」とその時思ったのですが、農家自身が「タネ・苗は買うもの」という現状が山田氏の発言の裏面なのだということです。

 いま農業を担っている方々が、タネ・苗は買うのが当たり前と思っているなら、この種苗法改正を農水省から説明されて、違和感・困惑を感じないのも当然ではあります。農協などはタネ・苗を販売する側ですから、むしろこの改正に暗黙の承認を与える可能性すらあるでしょう。

 山田氏が紹介されていた「ジーン・バンク」の取り組みと、宇根豊さんの言う「農家自家育種促進法」との政策パッケージなどが、優先すべきことなのだと、改めて思います。

 この問題でひとつ思い出すことがあります。
 米原万理『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』角川書店(2001年)の中に、米原氏が通訳業を通じて知ったというこんなエピソードがありました。

 冷戦時代に、自由な演奏活動を求めて、自ら望んで西側へ亡命したロシア人芸術家たちが、西側で活動する中で、ビジネスとして演奏活動をプロモートするよう強いられ、こんなはずではなかったと米原に嘆息するのだそうです。「西側では才能は個人の持ち物なのよ。ロシアでは皆の宝なのに。」 と。

 西欧は所有権(property)という極めて強力な観念を作り上げ、それを媒介にして彼ら好みの、「義務」観念を極小化し、「権利」観念を極大化した、厳格で効率的な私法社会、すなわち「近代」を構築しました。しかし、この「有体物」だろうが「無体物」だろうが、如何なるものでも高度な法技術によって「権利」化して、売り買いの俎上に載せてしまうことが、かつて関 曠野が『現代思想』のルソー論で指摘したように、石油テクノロジーと結びついて、今日のように環境問題を悪化させる大きな要因に、実はなっているのです。

 種苗法「改正」問題は、この欧米人の素晴らしく得意な「権利」問題のダークサイドという、大きな問題を非西欧人である私たち日本人に改めて突きつけていると思われます。

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