村上春樹を買う/Buy Haruki Murakami
村上春樹『猫を棄てる ― 父親について語るとき』文藝春秋2020/04/25刊、102頁
ずっと前に、古本屋でしばらく働いていたことがある。だから、商品として村上春樹を買ったり、売ったりした。
ただ何分、随分売れていると見えて古書の市場では、売り客は多いが買う客は少ない。つまり、古本屋からすると儲からない商品だった。それで食傷したのか、自分で村上春樹を読もうとはしなかったし、思いもしなかった。作家に責任がある訳ではないが。
それに、僕の読書傾向は、元来、人文系40%/社会科学系40%/科学哲学系15%/他 5%で、学術書中心だ。だから、文芸作品らしきものを買うこと自体が稀有なこと。まして、古本屋経験があるのでまず新刊本を買うことはしない。大抵は古書で十分用が足りてしまうからだし、それ以上に、古書の宇宙に触れたおかげで、知の世界では流行の先端がむしろ古臭く、埋もれてしまった書籍の中に目の覚めるような言葉が存在することを、幾度も思い知らされていたからだ。ただ最近は、知友の編集者が、とにかく書店に足を運んで、新刊の棚を眺めてみるべきだ、と薦めるので、この頃は冷やかし半分でぷらりとのぞきにいくことが増えた。
そして今日、生まれて初めて、村上春樹を書店で買った。なぜ買ったのかといえば、この本が村上の小説作品ではなく、彼の父親を巡る回想録だったからだと思う。
平積みの本を取り上げて帯をみると、「歴史は過去のものではない。」とあった。これは何だ、と冒頭を読んでみると、猫を棄てに父親と出かけたこと、親子ともどもこの猫に出し抜かれたことがあり、思わず笑ってしまった。そして買うことにした。
道々読んでみると軽快なエッセイと言うより、書かれているのは著者の父親と著者の「歴史」だった。ちょうど真ん中あたりにこうある。
「・・・、父の心に長いあいだ重くのしかかったきたものを(中略)息子である僕が部分的に継承したということになるだろう。人の心の繋がりというのはそういうものだし、また歴史というのもそういものなのだ。その本質は〈引き継ぎ〉という行為、あるいは儀式の中にある。その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう?」pp.52-53
村上春樹のファンにとって、この小品がどう受けとめられるかはわからない。ただ、僕は買って良かったと思っている。ようやくこれで僕も胸を張って、村上春樹を「読んだ」と言えそうだ。
ただ、僕はこれまで村上の小説とは縁がなかったが、後輩の嫁さんが村上春樹の従妹かなにかで、彼を「春樹ちゃん」と呼んでいるのを聞いた覚えがある、という点では、作品とではないが、村上本人とは縁があったと言えばあったのかも知れない。
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