徳川元禄期の「小学校」
「小学」(1187年成立)とは、朱子が門人の協力を得て編纂した、儒学入門書です。明治「学制」において、初等教育機関を「小学校」と命名したのは、このテキスト名に因みます。明治期に欧化が進行したという印象論の一枚の下で、実は朱子学化が本格的に進んだということです。以下、その evidence。
資料Ⅰ「小学校」(平凡社世界大百科事典/佐藤 秀夫)
〈小学〉とは,専門教育を行う〈大学〉,それへの中間段階をなす〈中学〉などとの対比において,儒学における入門的教材集である《小学》(宋の劉子澄が1187年に編纂)に源由して名づけられたものと考えられる。1868年(明治1)静岡に移封された徳川家が開設した沼津兵学校付属小学校や翌69年までに京都市内に設置された番組小学などが,その最初の事例であった。
資料Ⅱ「小学校」(小学館日本国語大辞典より)
1)大学垂加先生講義〔1679〕「『学記』の古之教る者は家有
塾とで、古来注家に小学校と大学校との名の論ありて一に帰せぬこと也」
2)男重宝記(元祿六年)〔1693〕一・一「又、聖人のおしへには、八歳にして小学校(シャウガクカウ)に入て、洒掃(はきさうぢ)応対(いらへこたへ)進退(すすみしりぞく)をならひ」
3)浮世草子・諸芸独自慢〔1783〕五「早八歳になれば、初めて小学校に入らせ」
資料Ⅲ「小学」(平凡社世界大百科事典/三浦 国雄)
中国,南宋の朱熹(子)が門人劉子澄らの協力を得て編んだ,少年のための修身作法の書。内・外の2篇に分けられ,内篇は〈立教〉〈明倫〉〈敬身〉〈稽古〉の4章,外篇は〈嘉言〉〈善行〉の2章より成る。《礼記(らいき)》などの古典から抜粋した日常の立居振舞に関する細則,聖賢の残した格言や逸話がその内容。《小学》においては具体的な事柄を教え,《大学》ではそれをもとにして抽象的な道理を教える,という朱熹の教育理念をうかがうことができる。日本では,昌平黌をはじめ,各藩校において《小学》が用いられ,貝原益軒《小学集解》等の注釈書があった。
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