塩沢由典『増補 複雑系経済学入門』2020年5月ちくま学芸文庫(8)
本書において、「逸脱増幅的相互因果過程」に関連する議論は、5箇所あります。
1)序文、p.8、「自己組織化」に関する註において。「ランダムな振動にポジティブ・フィードバックが働くことによりおこるものが多い。その結果、うまれるものを自然発生秩序(自発的秩序)という。」
2)第7章(p.249-51)、「逸脱増幅的相互因果過程」の項。
3)第10章(p.324-31)、技術進歩、価格・需要変化、産業構造変化、等の記述。
4)第11章全体(p.332-61)、「収穫逓増と逸脱増幅過程」(p.338)。
5)第12章(p.374-82)、「相互作用と分岐」の項~「収穫逓増とのめり込み」の項。
本書の著者は理論経済学者であり、その職業的出発点から新古典派経済学に理論的な疑いと強い批判を持ち続け、代替理論の必要性を提唱し、自ら探求されてきた方です。そのために、本書序文にあるように、「無限合理性から限定合理性へ」「収穫逓減から収穫逓増へ」という論題は根本的な二つの理論的支柱です。従いまして、二つの相互因果過程のうち、経済系における「逸脱増幅的相互因果過程」としての「収穫逓増」に議論が向くのは当然です。
一方で、私の主関心は《歴史的なシステム》の生成・成長・消滅、とりわけ、資本主義(or Business society)の歴史的消長の理論的考察にあります。つまり、資本主義(or Business society)の創発(emergence)から、システム的循環(circulation)、衰退(decline)/消滅(extinction)に至る過程の理論的分析に興味があり、「形態生成(逸脱増幅的相互因果過程)」だけでなく「形態維持(逸脱解消的相互因果過程)」との関連〔それが丸山孫郎のいうThe Second Cybernetics〕についても議論があればと少し思ったりもします。いかなる生物個体も、誕生、生長、老い、死が避け得ないように、どれほど堅牢に見えるシステムにも、創発/拡大/衰退/消滅、というサイクルは避け得ませんし、歴史上、その死を迎えなかった体制はありません。その意味では、現代科学のシステム論自体に不備があるのかも知れませんが。
◆◆第8章経済システムの特性と経済行動
本章で重要なトピックスは、経済が loosely connected system であること、反復とゆらぎのある定常過程、チューリングマシンとしての人間行動、経済学における知識理論、の四つです。
前半の二つは、システム論から見た「市場」観の議論で、新古典派経済学の議論が「新」古典派と自称しながら、古典派とは対極の「システム観」を有していたことの指摘です。「世界」の見方が変わるとその「世界」で行動するagentsの解釈にも影響が及びます。後半の二つは、どちらかというと理論哲学における認識論(epistemology)とか知識理論(knowledge theory)関連の話題です。社会学の吉田民人やライル(G.Ryle)『心の概念』などに関心や知識のある方にはいっそう興味深く読めるでしょう。
◆◆第9章複雑系としての企業
本章で重要なトピックスは、章題通り、企業を複雑系として考えることから発展する系論です。
本書が読者として想定しているビジネスパーソンにとって一番裨益する章だと思います。また、経営学やマネジメントに理論的に関心がある方にも読みでのあるところでしょう。
現在、改めて日本人の働き方が問い直され、その労働生産性の向上が問題とされています。本書の著者は、複雑系経済学の知見から、「企業はおおくのルーティンからなる自律的過程であり、その過程がおのずと利潤を出すような方向に影響力を行使するのがよい経営ということになります。」(p.293)と述べます。企業の効率(労働生産性)は、「仕事」をいかにルーティンの「循環的流れ」に乗せるか、その設計/工夫による、というわけです。逆に言えば、大きな組織の各部署に発生している小さな「仕事」の、なんてことはない(と思われている)中断、滞り、つまり大事には至らない小さな「血行障害」の累積が、労働生産性の大きな損失になっていることに注意せよ、ということでしょうか。そして「仕事」の現場で発生する小さな「滞り」を現場の人間の工夫で自律的に解決できる気運、モチベーションを持てる企業内の仕組み、環境、企業文化を整備すること、これがマネジメントに求められていることになります。
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