ドイツ人、カトリック、神秘主義 / Germans, Catholicism, and mysticism
この三題噺に関連して興味深いエピソードが二つあります。
1)私の怠惰で放置プレーしている、
北昤吉『哲学行脚』1926年 (を参照)
の挿話として記しているところによると、ハイデルベルク大学にて、二度、北昤吉がリッケルトの依頼をうけて、「禅と神秘主義」の講演をしています。北自身、臨済禅を日本でやっていたらしく、リッケルトの「エックハルトの神秘主義」演習で意見を求められて禅について話したら、それはおもしろいから、いっそのこと講演してみないか、と勧められたようです。当時のドイツの大学の演習では、ゼミ生が教授から与えられるテーマでゼミ生の前で講演する、という慣習があり、その一環です。一度はゼミ内の講演で、それが好評だったらしく、もう一度「日本の神秘主義」という演題 で禅(主に臨済禅)をドイツ神秘主義(エックハルト、クザーヌス等)との比較で論じたとあります。この演題が話題となり、本来聴講はゼミ生だけなのですが、随分、ゼミ外の学生、ポスドクの若手(その中にカール・マンハイムもいた)が押し掛けた模様です。講演後、一座の出席者は、足を踏み鳴らして祝意を述べた、とありますからかなりの好意と高評を得たものと思われます。
2)仏教学の中村元が、上記の『哲学行脚』の同箇所に触れて、
「西洋人はエックハルトがわからなければ、禅はわからなでしょう。」
中村元『比較思想の先駆者たち―地球志向に生きた二十一人』1982年広池学園出版部、p.38
と述べています。
中村は、同書でまた別の挿話として、昭和40年代、ドイツのボンにあるカトリック団体主催の、コミュニケーションに関するシンポジウムの折、講演を依頼され、ボン当地で、講演主催者のカトリックのお坊さんに、自著の華厳哲学とプロティノスの比較対象をした英文論文を見せたら、是非演目をそれでやるように懇願されたそうです。同箇所で、
「プロティノスの思想と華厳の思想とが非常に共通するところがある。時代的にもヘレニズムの時代ですから同じです。華厳が現れたのもだいたいあの時代です。そしてありとあらゆるものが孤立していないで相互に密接に交渉し合うということを、どちらもいっているわけです。」同上、p.43
と述べています。その公演中、エックハルトやニコラウス・クサヌスにも触れたら、講演後、先の主催者の坊さんが大喜びしたうえで、
「いまドイツの若者はニコラウス・クサヌスなんて知らないよ。」同上、p.44
と嘆いたとあります。
ドイツ人、カトリック、神秘主義、この三題噺は、いろいろ因縁が深いかも知れません。
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