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2020年8月28日 (金)

書評:関 良基『日本を開国させた男、松平忠固: 近代日本の礎を築いた老中』作品社 2020年07月15日刊

関 良基『日本を開国させた男、松平忠固: 近代日本の礎を築いた老中』作品社 2020年07月15日発刊

1.目次
〔はじめに〕”開国”を断行したのは、井伊直弼ではない、松平忠固である―政敵たちと 熾烈な闘いを繰り広げ、開国交易を推進した老中
第1章 日米和親条約の舞台裏―徳川斉昭と松平忠優の激闘
第2章 日米修好通商条約の知られざる真相―井伊直弼と松平忠固の攻防
第3章 “不平等”でなかった日米修好通商条約
第4章 日本の独立を守った“市井の庶民”たち
第5章 日本の独立を脅かした“尊攘志士”たち
終章 近代日本の扉を開いた政治家、松平忠固
あとがき
松平忠固(忠優)年譜
人名索引
推薦文(岩下哲典、佐々木実)
著者紹介

2.紹介
 分量的にうまく前後半に分かれています。前半〔第1、2章〕のリアルな政治過程の臨場感ある叙述、後半〔第3~終章〕の歴史事象の分析とその再解釈と、一冊の本としての結構が素晴らしいです。幕末の政治ドラマに関心のある人は前半、歴史の再解釈に関心がある人は後半を先に読めば宜しいでしょう。

3.議論(1)
 通読して思うことは、松平忠固、徳川斉昭、一橋派、「不平等条約」、下関戦争、尊王攘夷、等々の歴史解釈は、個々の事実というより、どういう歴史コンテクストで整合性をとって理解するかが、180度異なる解釈を生む、ということです。

 例えば、日米修好通商条約を一旦「不平等条約である」と認識してしまうと、残りの史実もすべてそのコンテクストで整合性をとるように自動的に「解釈」してしまう。「史観」の刷り込みとは恐るべきものです。下記は、80~90年代を代表する数量経済史のテキストからの引用です。

杉山伸也「4国際環境と外国貿易」p.180-1、日本経済史3『開港と維新』、岩波書店1989年
 日米和親条約の締結により一八五六(安政三)年にタウンゼント・ハリスが初代駐日領事として下田に来日して日米修好通商条約の交渉が開始され、一八五八(安政五)年に一四条、附属貿易章程七条よりなる日米修好通商条約が締結された。・・・。貿易の具体的な取り決めは貿易章程に規定され、関税は輸出入品ともに価格にもとづいて課税される従価税で、すべての輸出税は従価五%、金貨・銀貨・棹銅は無税、また大部分の商品の輸入税は従価二〇%、綿織物・毛織物製品、米穀などは五%、酒類は三五%とされ、またアヘンの輸入は禁止された。しかし、一八六六(慶応二)年に幕府は兵庫、大坂の開港、開市の延期の代償として改税約書に調印することを余儀なくされ、大部分の商品は輸出入税ともに従価五%を基準とする従量税に改められ、また生糸や茶などの商品には特定関税が適用されることになった。こうして改税約書により、日本の輸出入税は清国が西欧列強との間に締結した天津条約と同じ関税率となった。
 これらの条約は自由貿易の原理にもとづいていたが、領事裁判権、協定関税(関税自主施の欠如)、片務的最恵国待遇などの条項を含む「不平等」条約であった。この「不平等」条約の撤廃と条約国との対等関係の樹立は明治期の条約改正運動の核心であり、条約改正は最終的には一八九四(明治二七)年の日英通商航海条約にもとづいて一八九九(明治三二)年に実施されることになったが、関税自主権の回復は一部にとどまり、完全な関税自主権の確立は一九一一年をまたなければならなかった。」

 ここには、本書(p.157-8)著者、関 良基氏の指摘する、松平忠固を首班とする徳川政権が日米修好通商条約(1858年)で当初獲得した輸入関税20%(他の欧米諸国と同等)が、長州藩の引き起こした狂気の攘夷戦争=下関戦争(1864年)の賠償問題と引き換えに、帝政清朝と同様の《敗戦条約》(1866年の改税約書)を結ばされ、輸入関税5%に引き下げられた事実に一言のコメントもありません。

 また、19C世界のパワー・ポリティクスからみれば、後進国日本の輸入関税20%という許容し難い「現実」の「改正=引き下げ」を虎視眈々と窺っていた大英帝国にとり、絶好の機会が下関戦争だったのです。結果的に、長州尊攘派は、覇権国である大英帝国の《自由貿易帝国主義》に、祖国日本を「売った」ことになります。下関戦争や生麦事件(→薩英戦争1863年)は、「愛国的、英雄的」であるどころか、その真逆の「利敵行為」以外の何物でもなかったと言う訳です。これ以降、薩長は大英帝国の「在日代理人」となりました。維新政権/明治国家は、軍拡をするたびに大英帝国の「上得意」となり、日英(軍事)同盟により名実ともに大英帝国の「走狗」に収まって、めでたくロシア帝国とも「代理」戦争できる身分となりました。大英帝国万歳です。(2020.09.09補記)

3.議論(2)

 本書では、これまでの史実解釈への異議申し立てだけではなく、全く新しい問題提起もなされています。

①大奥の政治的影響力の肯定的評価
 これまでの日本近世における徳川政治史において大奥が登場する際は、たいてい性的スキャンダルがらみでした。しかしながら、本書の著者は、「幕末維新」期における重要な政治的意思決定の場面で、大奥が政治意志を表明し、「公儀」としての政治的意思決定に重要な役割を演じていることを肯定的に評価し、強調しました。

②徳川「公儀」政権の「老中合議制」評価と「一橋派」によるその破壊
 これは「幕末維新期」の政治史として非常に重要な「伝統破壊」あるいは「政治変革」で、「幕末維新期」の政治が急激に「out of control」になる契機となっています。この点、本書著者に教えて頂き蒙を啓かれました。言葉を換えれば、伝統的な「法の支配」から緊急事態時における「独裁」の許容であり、「カール・シュミット問題」です。尊攘激派のテロリズムもシュミットの「友敵理論」を彷彿とさせます。徳川期、社会の各所での政治的意思決定は、「合議制」という「法の支配」で運営されていました。それを国家中枢部でまず空洞化し、破壊したのは、「水戸学」となりそうです。「水戸学」と「カール・シュミット」の比較思想史研究が必要でしょう。

③徳川公儀政権における「老中」政治家の重要性
 老中はその在任中、公的「日記」をつけます。いわゆる「老中日記」ですが、史料学的見地からの整理、校訂、翻刻公刊されていません。日本の各所に分散・保管されているだけで、歴史学の資料として活用されていないのが実情です。徳川政治史で最重要の第一次文献史料のはずなんですが、不思議なことです。重要な「老中」政治家が松平忠固だけなはずはありません。この「老中日記」が史料的に整備され、電子アーカイブ化されたならば徳川史がガラッと変わる可能性があります。

4.総評
 トータルで見て、著者の歴史解釈の方がより自然で実態に即していると私は考えていますが、そうなると結局学校歴史の近代日本史(19C.中葉~20C.前半)を悉くひっくり返すことになります。既存の歴史学者はいちいち難癖をつけてくるでしょうが、長州史観で捻じ曲げられた日本近代史をとりあえずスクウェアにするためには、著者が示された歴史コンテクストで再解釈、新資料発掘を継続することが重要です。本書は現代日本人の必読文献と言って良いでしょう。

 

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コメント

 貴重な情報ありがとうございました。久世が阿部の妹婿だとは知りませんでした。それがわかると、久世の行動の決定要因になっていそうですね。しかし、久世は斉昭を支持したことを後悔したのか、その後は斉昭に追従していませんので、自主的判断で合理的な選択ができる能力を持っていたことは疑う余地がないです。

投稿: 関 | 2020年8月28日 (金) 22時55分

関さん、
国史大辞典「久世広周」を読みました。なんと、執筆者は、あの宮地正人氏です!ま、それはよいとして、久世は阿部正弘の妹を娶っているのですね。すなわち、阿部正弘と久世広周は義理の兄弟。これって、「利益相反」みたいなものですよね。これでは、老公の就任に反対する訳がありません。徳川期の人的ネットワーク(縁戚関係)は、速水融が宗門改帳をデジタル処理したようにデジタル処理する方法論を作らないと、訳が分かりません。

投稿: renqing | 2020年8月28日 (金) 14時41分

 すばらしい書評、まことにありがとうございました。いつもながら著者以上にクリアに論点を整理して下さり、私の中でも頭が整理される思いでした。
 明治維新研究者も大奥研究や老中研究が必要であることは認識してはいるようです。旧来のパラダイムに毒されていない若い歴史研究者たちが、新しい老中研究の領域を開拓していって欲しいと願います。
 今回の本では十分に調べ切れませんでしたが、松平忠固の盟友だった久世広周、松平乗全なども全然研究されていません。久世は学術研究のみならず、ドラマや小説の主人公にしても面白い人物のように思われます。

投稿: | 2020年8月28日 (金) 13時33分

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