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2020年8月 2日 (日)

列島とテクノロジー1《稲》/ Oryza sativa : Technology in Japanese history 1

 私たち現代日本人は、農耕、と聞けば、直ぐ思い浮かぶのは、「米」、「稲作」ではないでしょうか。確かに、日本語で「ごはん、食べた?」と聞かれれば、「食事を取ったのか?」とも、「お米の食事を食べたのか?」とも受け取れます。それだけ、日本人と「米」は身近なものなのだと言えます。

 そこで、食べ物としての「米」ないし、農耕としての「稲作」に関して、ここで基本的な知識を確認・整理しておきましょう。これは列島の文明史を考えるうえで、何度となく立ち戻らなくてはならない話題です。したがいまして、初めにおおよそのことを知っておくことは《列島の文明史》を理解するのに役立つはずですので、少しお付き合い下さい。

■Topic1. 食べ物としての「米」
 皆さんは「アミノ酸スコア」というものを聞いたことがありますか? 生物である人間には、身体を動かすための燃料となるカロリー源と、身体を構成するタンパク質を合成するアミノ酸がともに必要です。カロリーが不足すると体に力が入らず、活動できません。アミノ酸が不足すれば、病気がちになったり、ケガをしても治りにくくなり、成長期の子どもであれば、体のサイズが大きくなりません。アミノ酸の中でも、人間の体内で合成できないアミノ酸を必須アミノ酸といい、その必須アミノ酸が主な食品にどのくらい含まれているかを一覧表にしたものがアミノ酸スコアです。

 忙しい朝食では、ごはん(米食)か、パン(麦食)か、という選択になりがちですが、このアミノ酸スコアでいえば、9種類の必須アミノ酸のどれをとっても米食が麦食を上回ります。タンパク源だけなら、「一升めし」(どんぶり4杯分)でなんとか必要な量は足りますが、麦食ではお腹がパンクするほど食べてもタンパク源が必ず不足します。したがって、それと並んで必須アミノ酸源となる食品を摂取しなくてはなりません。地球上、麦食の地域(乾燥あるいは冷涼な地域が多い)が同時に牧畜地域であり、家畜から肉や乳製品を摂取するのは当然の成り行きです。

 無論、米食だけでタンパク源が十分な訳でもないので、それを補完する食品が必要です。それが、バランスのとれた栄養価の高い豆類です。とりわけ、日本人は古来から適切にダイズ、アズキを摂取してきました。そして、ダイズの野生種であるツルマメ、アズキの野生種のヤブツルアズキは、日本列島を含む東アジアの原産なのです。したがって、縄文から列島(とりわけ東日本)の住人がダイズ、アズキを栽培していたことも不思議ではありません。現代の代表的な和の朝食である「ご飯・味噌汁・納豆(魚があればさらによい)は、理想的な、低脂質・高タンパクのバランス食と言えます。

■Topic2.農耕としての「稲作」
 「田」という漢字を見たとき、皆さんはなにを連想しますか。ほとんどの方は「水田」ですよね。しかし、この漢字の意味は、穀物を栽培する区画された土地のことですから、水田も畑も意味します。だから、いまでも、中国や朝鮮半島では、この漢字は、畑と水田の総称です。イネにも陸稲(りくとう/畑作)と水稲(すいとう/水田)の区別があるのですから、その使い方は何もおかしな事はないのですが、日本人である私たちは違和感を感じてしまいますね。それだけ、日本列島の歴史には水田稲作が深く刻印されているということです。

 では、イネは畑作と水田とどちら向きの作物なのでしょうか。一つ具体例をあげてみます。川辺にいくといたる所に見られるのは、背の高いヨシ(葦、アシとも言う)です。これ、実はイネ科の多年草(根で生き延び、翌年芽を出す草)です。このことから、イネは植物として水気の多いところ、湿地を好む植物であることがわかります。イネといえば、現代日本人が「田んぼ(水田)」を連想するようになったのは、イネの植物としての、この特徴があるからで、ある意味当然なのです。

 では次に、稲作農耕としての畑作と水田に違いはあるのでしょうか。家庭菜園やベランダでのプランター栽培の経験のある方はご存じでしょうが、植物を育てたり、栽培することは、意外にデリケートな作業であり、結構手間のかかることです(それが逆に愉しみにもなったりもします)。だから、農耕としての畑作ともなればそれ相応の労力を求められます。ただ、大変さは別としてある程度想像がつきます。

 農耕としての水田稲作では、まず「水田」というものを、眼の前の大地に作らなければなりません。あれは、単に土を掘って水を流し込んでいる、という作業ではありません。言ってみれば、地面に穴をほって、25mプールを作る、つまり少し大がかりな「装置」のようなものだ、と考えたほうが実態に合うでしょう。ざっと概観してみます。

 普通、黒い土の地面に水を垂らすとまもなく浸み込みます。これは、飲料水に代表される水資源だけを心配する消費者なら全然オッケーです。しかし水田耕作する者からすれば、堀った溝に流し込んだ水が溜まらないのでは、水田になりません。したがって、水田は、まずもって水が漏れないようにする必要があります。
1)周囲を畦(あぜ)で囲う。
2)田の底の面を水平にして、湛水したとき、水深が3~10cmで均等になるようにする。
3)イネの根が発達する水面下の土の層(作土あるいは表土)部分のさらに下の層(すき床)を、底締めする(土壌を緊密にして湛水が地下に漏れないよう固く締める)。昔は牛馬とヒトの重さで踏み固め、現代ならトラクタ―にローラーをつけて引く。
4)畦の側面を畦塗りする(泥を塗り固めて水漏れ防止する)。

 さて、これで水漏れを防ぎました。水田に水は溜まります。次は、田に水を入れ、出す作業が必要です。水のコントロールです。
5)畦の一部を切り取り、灌漑水の水口(みなくち、取水口)から灌漑水を入れる。
6)水口と反対側の畦に排水口を作り、余計な水を出す。

 無論、上記の前段階として、インフラ(公共の基盤施設)である灌漑設備(用水路、排水路、揚水装置など)が既にできていなくてはいけません。

 しかし、水田稲作とはいっても、常に水浸しの湿田のままよりは、稲作の収穫後には乾田することで、かえってイネの収量をあげられることが近世後半から少しづつ明らかになり、明治以降の農業政策は、湿田の乾田化が一つのテーマとなっています。

 以上を見ただけでも、水田稲作というテクノロジーがバランスよく高度に複合化され統合化されて初めて有効になるものであることがうすうすご理解いただけたと思います。

 では、水田稲作というハイテクにここまでかけてどんなメリットがあるというのでしょうか。代表的な点を二つ挙げてみます。

1)連作障害がありません。
 連作とは、同一の土地で、同一種の作物を毎年つくることです。畑作では、これを続けていると、例外なしに収量が徐々に減り、最悪、収穫が絶えてしまいます。陸稲でも連作障害はありますから、連作障害がない点は水田稲作の最大のメリットといえるでしょう。この連作障害を防ぐ対策の王道は、輪作、あるいは土壌を休閑することです。世界史を学ぶと必ず覚えさせられる、ヨーロッパ中世で普及した三圃式農法は典型的な連作障害対策で、輪作と休耕の組み合わせです。したがって、水田稲作では連作障害のための輪作ではなく、秋冬期の乾田時にムギ類、野菜等を栽培する二毛作田はあります。これは近世後期から、畿内の先進稲作地帯で始まった、裏作としての商業的農業(綿作や総菜栽培)が始まりです。

2)表土流出がありません。
 表土が湛水(水で満たされて状態)で保護されているので、畑土壌で起きる、収穫後、土壌表面が乾燥に伴う強風よる風食、豪雨による水食、といった肥沃な表土の流出、土壌侵食がおきません。これはマクロでみると国土保全の機能も果たしていると考えられます。

■Topic3.歴史の中の《稲》
 さて、以上、食料としての《米》、農耕としての《稲作》について、幾つか話題を拾い書いてきました。こういった稲の特質が、列島の文明史にどのように関わるのかは、今後の具体的記述の中で、時代を下りながら触れることになりますが、一つのケーススタディを最後に挙げてこのコラムを切り上げることとします。

 水田稲作が高度に複合化したテクノロジーと人間側の緻密な管理を要求する農法だとすれば、まだ発展途上国段階の日本列島の古代人がそれをたちまち消化し、実践できたと考えることはかなり無理があります。それでも、古代人たちがそのハイテクをやろうとしたということは水田稲作に相当の魅力を感じたからでしょう。一つ考えてみるべきは、稲作の収穫倍率(1粒の種籾から何粒の稲ができるか)です。

 現代のテクノロジー(とりわけ石油化学)を駆使した稲作においては、収穫倍率は600~1000倍にもなります。さすがと言うべきでしょう。では、古代日本ではどうでしょうか。奈良朝での正税帳(税金台帳)を調べた一例では、上田25倍、中田20倍、下田15倍とありました。古代のテクノロジー水準で10倍を超える生産性というものはどの分野にせよ素晴らしいものですから、列島に生きた人々もそれに魅了されたことは十分考えられます。

 ただ、いきなりインフラとしての灌漑設備を作るとか、精密機械のような水田をつくれる訳がないので、自分たちのレベルに見合った水田稲作にトライしてみる、ということになるでしょう。古代人たちが試してみたのは、なるべく水田に似たような都合の良い自然環境があるところを利用することです。自然状態で浅い湛水ができる土地、となります。とりわけ水の安定供給が最優先です。となると、谷間、山麓、その出口の扇状地が一つのモデルでしょう。そういう流水、湧水を利用して開発された田を、谷内田(やちだ)、谷戸田(やとだ)呼びます。そんな場所が肥沃な沖積平野の一部ならベストです。その一つが奈良盆地でした。

 現在の奈良県北西部にある盆地です。東西約13km、南北約30km、面積約300平方km。盆地内を八本の河川が流れ、最終的に大和川へ合流し、盆地の西の生駒山南の渓谷を抜け大阪湾に注いでいます。太古には盆地中央に奈良湖とも言える湖沼地があったと推定されています。洪積世からの小規模な河川の堆積作用で平坦で中央部へむけて緩やかに傾斜する、標高40~80mの肥沃な扇状地が形成されました。盆地のため、温暖少雨で寒暑の差が大きい内陸性の気候です。夏に暑いのはイネに好都合、少雨で小河川のため氾濫は少なく、古代の河川土木技術レベルからすれば、水のコントロールに好都合でした。また、緩やかな傾斜地という条件は、何枚もの田から田へ水を配するために好都合。古代国家が稲作の生産性、生産力を一つの契機として成立するのなら、大和盆地は理想的なロケーションの一つです。そして古代宮都(中心部)も奈良盆地南端の飛鳥、藤原京、平城京、恭仁京、長岡京、平安京、と南部からの開発が進むにつれ北進していることが見て取れます。

 産業社会がまだ成立していない前近代社会で、社会を経済的に支えているリーディング・インダストリーは農業(農耕)です。最先端の知、テクノロジー、人的資源が投入、動員されるもの農の部門です。その点を頭に留めた上で、政治史や文化史・思想史を複眼的に見ることで、列島文明の全体像に迫りたいと思います。

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