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2020年8月 2日 (日)

列島とテクノロジー3《文字》/ characters or letters : Technology in Japanese history 3

 文字の無い、あるいは文字が使われない社会を人類学では無文字社会とか、前文字社会とか言ったりします。この言葉を聞いて思いつくのは、例えば、アマゾンやボルネオ島奥地の密林で小さな集団(共同体)を作って暮らす、部族社会の人々でしょう。彼らはしばしば「現代において石器時代の生活を送る」といった形容がなされたりします。

■無文字社会vs.現代社会
 我々が暮らす現代社会と彼らの社会の違いは、《豊かさ》vs.《貧しさ》といった次元のところにあるわけではありません。《大規模かつ複雑な社会 large scale and complexed society》 vs.《小規模かつ単純な社会 small scale and simple society》というところにあります。後者は顔と顔を突き合わせる(face to face)ことが可能な範囲の社会と言い直してもいいでしょう。

 一方、いかなる規模の共同体においても、所与の環境下でその人間集団が「烏合の衆」化せず生き延びるため、指導者(leader)を選び出しています。仮にその共同体が face to face の範囲に収まるならば、そこのリーダーは共同体内で発生する日常的な仲間間の揉め事(conflict)に対処しようとするとき、とりあえず当事者たちに会うことから始めるでしょう。しかし、これが千人の共同体ならどうでしょうか。1人の指導者が千人のメンバーと個人面談する、というのはなかなか難しそうです。

 またこういう話もあります。経験豊富な中小企業経営コンサルティングの実務家が言うには、1人のマネージャーが監督できる労働者の数は、肉体労働者なら50人まで、知的労働者なら20人までがそれぞれ上限だというのです。そうだとすれば、

 〔50人の肉体労働者を管理する1人の中間マネージャー〕×〔20人〕=1000人

 モダンな経営管理の知識・経験を踏まえれば、仮にface to face だけでも、ぎりぎり1人のリーダーが1000人を統治することはできそうですね。縄文時代の三内丸山遺跡の盛期は千人内外で暮らしていたようですから、そこらへんが限界だったのでしょう。

■無文字社会と《自然状態》
 さて、face to face のコミュニケーション形式で成立していた、小規模かつ単純な無文字社会が、何らかの原因で、その範囲を広げたとします。すると、その規模に対して既存のコミュニケーション形式の処理能力は過少であるわけですから、全体的な意思疎通がなかなか成立しないだろうと予想されます。

 その場合、最終的なコミュニケーション形式は、不干渉か戦闘となるでしょう。プリミティブな世界には「沈黙交易 silent trade」というコミュニケーション形式もあるようですが、それこそ small scale な共同体同士レベルでのことだと思われますので、いま私たちが考察しているケースでは成立し難い。従って、一定の地域にいくつもの無文字社会が近接しているケースなどでは、やはり戦闘が不可避となりそうです。これは社会契約論者たち(ホッブズ、ルソー、ロック等)が「社会状態」への移行の前に、よく論理的に想定する「自然状態」(より具体的に言えば「内戦」です)に相当します。

 日本列島では、縄文海進が進んでいた縄文中期に比べ、縄文後期に寒冷化が襲い、そのあおりをまともに受けた東日本地域から西日本地域に人口の比重が移ります。人口が増えつつあった頃の寒冷化なので、どこの地域でも、列島全体に人口‐資源バランスが崩れていきます。この不均衡を突破するイノベーションが水田稲作でした。紀元前10世紀ころ、渡来人たちによっていち早くこのイノベーションが試みられたのが、九州北部です。

 倭国には紀元前1、2世紀に百余国あったといいますから、それが九州北部であるなら、その「自然状態」はなかなか収拾できなかったでしょう。同じ頃、東シナ海のお向かいさんでは、始皇帝による統一国家「秦帝国」が成立していました。それが可能だったのは、初めての漢字の統一正書体「小篆」を創出したことに負う部分も大きいかと思われます。

 《文字》の成立は人類史上最も偉大なイノベーションです。なにしろ人間同士のコミュニケーションを、face to face の限界から解き放ちます。異地点間(ex.中央政府からの命令書を地方政府に発給する)でも、異時点間(ex.土地の所有争いで古い文書を証拠としてトレースする)でも。

 文字なき世界で、社会のscaleが拡大し、複雑化する一方で、コミュニケーション・ツールの《文字》が無い、となれば、どうしたら「自然状態」から脱出して、「社会状態」へ移行できるのでしょうか。それは、人間の理性ではなく、情念に訴求可能な、呪術的要素を多分に持つ宗教的なものであるでしょう。それが卑弥呼の鬼道(呪術)だったと考えられます。まあ、それで「社会状態」に移行できたのは30か国らしいのですが。

 邪馬台国が卑弥呼のカリスマ(天与の卓越した能力)に依存して成立していたなら、そのカリスマ・パーソンがいなくなれば、「社会状態」は解除され、再び「自然状態」に逆行してしまうのは見やすい道理です。そこでまた邪馬台国再建のために別のカリスマ、壹与(いよ)を据える必要があったのも無理はありません。

 古墳は列島内に16万基あります。これがどのくらいのscaleかと言えば、現代日本の神社が8万、コンビニが5万ですから(1)、いかに多いかが実感されます。前方後円墳だけでも5千基です。これほど弥生人、あるいは古代人が古墳を作ったということは、弥生時代から古墳時代終期が無文字社会だったこととは無関係ではないでしょう。逆に言えば、弥生日本語を漢字で表記できるようなると古墳はパタッと作られなくなります。無文字社会のコミュニケーション形式としての「古墳」の意味を考える必要があると思います。

(1)松木武彦『未盗掘古墳と天皇陵古墳』2013年小学館、P.3

■無文字社会と「《漢字・漢文》リテラシー」
 弥生時代から古墳時代、ヤマト王権への変遷は、プリミティブな無文字社会に、漢文でいうところの《文明(暗いところを文字という光が照らし出す)》が浸透する過程そのものです。これは列島の文明史上最大のドラマと言ってよいと思います。

 いま仮に漢字によって列島の言葉が書き留められ、流通し、それが異地点・異時点で理解されることを《漢字リテラシー》と呼ぶことにしましょう。

 すると漢字リテラシーの確実な端緒は、埼玉県稲荷山古墳鉄剣銘文(5世紀後半)です。そこに書かれていたのは漢文ですが、漢文脈の部分と漢字音を利用した日本語文脈が混在していました。近年、字書木簡(7世紀)というものも出土しています。現代の漢和辞典風に、当該の漢字一字を大書し、続けて小さく読みを他の漢字で表記するものです。こうして漢字リテラシーは列島において漸進的に進みます。とは言っても残念ながら、かなり後年、8世紀後半から9世紀前半に至っても、漢字リテラシーは列島社会全体の上層部(upper class)、あるいは官人(かんじん、律令体制下の官吏)の中の郡司(ぐんじ、国司の下の在地幹部)までしか事実上届いていませんでした。

 ただ、外交の分野において、交渉先である中国大陸の王朝や朝鮮半島の首長たちは、当然、漢文(つまり当時の大陸王朝の文語であり、当時の国際語)で書かれた外交文書でなければ受け取らないでしょうから、列島の首長たちは漢文を作成していたことになります。その記録が魏志倭人伝などの中国王朝の正史に残る記述です。

 中国王朝の正史に残る最初期の記載は、『漢書』地理志に、「朝鮮半島の先の海中に倭人がいて、百余国で小国分立し、なかには朝貢しに来る国もある」という記述です。ではいったい無文字社会の列島諸国で誰が漢文の外交文書を書いたのかといえば、漢文運用能力があり、弥生日本語が堪能な人間、すなわち朝鮮半島からの渡来人だろうと考えられます。これは《漢文》リテラシーを一部の渡来系知識人が担ったことを示していて、弥生日本語表記としての《漢字》リテラシーとは別ですから、まだまだ列島日本人の大部分は依然として無文字の世界にいた訳です。この『漢書』地理志記事は紀元前1世紀頃の日本のことです。従いまして、これ以降、遣唐留学生(僧)たちが帰国し、習得した最新の大陸学術文化を奈良朝において還元するなどして、徐々に漢字(万葉仮名)による古日本語の表記が洗練され安定してくるまでの、約800年間、列島の大部分の住人たちは、未だ自分たちが話したり感じることを不自由なく書き残す手段を持ってなかったと考えられます。難波宮跡出土の最古の万葉仮名木簡が7世紀半ばのものですし、貧窮問答歌の万葉歌人・山上憶良が留学を終え唐から帰国するのは8世紀初頭のことですから、先ほど指摘しましたように9世紀半ばになってもまだ日本語表記としての《漢字》リテラシーが列島社会の一部の人々にしか行き渡っていないのも仕方がありません。

■《真名》から《仮名》へ
 列島においてかなりの程度、日本語表記のための《漢字》(これにはいわゆる《万葉仮名》も含みます)が機能しだすのが、『古事記』、『日本書紀』の記紀、宣命のために工夫された宣命体、それに『万葉集』です。それらが少しずつ多くの書き手に使われる中で、簡略化します。いろいろな人たちの手で書かれる中で、筆記体として漢字1字全体の簡略化、省略化の方向で進化したのが「平仮名」です。この「平」は、平である、角がない、つまり簡易な、と言う意。また漢字の偏や旁を省略(あるいは切落し)したものが「片仮名」です。この「片」は当て字で、現在は差別語として使われない「かたわ」と同じ語源で、不完全、欠点のあるさま、のことです。また、「仮名」は「仮の文字」つまりホンモノの文字(=漢字)ではない、と言う意味です。漢字は「仮名」に対して「真名」(まな)と呼ばれました。

 わかりやすい事例をあげれば、十世紀初頭成立した『古今和歌集』にある二つの序文です。紀貫之が仮名で書いた仮名序(かなじょ)と、ほぼ同じ内容の、紀淑望(よしもち)が漢文で書いた真名序(まなじょ)がそれです。紀貫之はこの「仮名序」において、高らかに古代中華世界(漢字文明)からの精神的独立を宣言します。千年をかけて日本人はここにおいてようやく自己表現の十全な手段を得たといえます。デモクラシーもフェミニズムも皆無のいまから千年前の平安中期に、絢爛たる女房文学、『枕草子』、『源氏物語』などが次々と生み出されたのは、ひとえに日本語表記用に生み出された平仮名という書記法(一種のテクノロジー)のおかげです。

■《漢字・漢文》リテラシーの呪縛
 おそらく、《中華文明》という大文明の恩恵を被りながら、本家・中華王朝や朝鮮半島の国々と、列島の歴史がかなり異なる文明的進化を遂げたのも、この仮名文字の発明と本質的に関係します。それは、この書記法のおかげで、平安以来、日本人は《漢文》・《漢字》リテラシーの呪縛から解放されたことが決定的でした。李氏朝鮮では、1446年に「訓民正音(ハングルのこと、民に教える正しい音の意)」が発布されますが、読書人(知識人)の正字は近代に至るまで「漢字・漢文」でした。大陸の中華王朝国家では民間で略字が使われはしますが、それらを元にして「簡体字」を制定して、明確に古典語としての《漢文》・《漢字》リテラシーの呪縛から抜け出したのは、1949年の「中華人民共和国」以降です。

 漢字は非常に優れた書記法です。古代文字で今でも生き残っているのは漢字だけというところを見てもその点に頷かない訳にいきません。しかし、その最大の欠点は、難しいことです。習得するのに時間と費用がどうしてもかかります。つまり、「漢字」という優れた書記法に拘る限り、その社会は必ず知的に分断されたものとならざるを得ないことになります。漢字習得にかける「時間と富」がある人々が、知的にも経済的にも卓越した人間集団であり、そうでない人々は「その他」カテゴリーとなります。言い換えれば、《知》《富》《威信》は一つの人間集団、あるいは身分に集中します。現代の中国、韓国社会が、外見上どれほど近代化(現代化)されているように見えても、その社会に存在する社会的(一種の身分)的断層は、消しようがありません。

 東アジアの二か国と比較しての日本社会の著しい特徴は、《知》《富》《威信》のそれぞれに「階層差」は存在しますが、その境目が曖昧で、その三つが一つの階層に集中していないことです(相対的には)。したがって、日本の二つ目の特徴、(比較的大きな)中間層が存在することになります。この点は、日本の、Business Society 化(適切ではありませんが、いわゆる資本主義化)に結果的に大きく貢献しました。他の二か国がなかなか、法治国家(法の支配)化せず、いまだに「人治支配」的なのはこの件と関連が深い。

 《知》《富》《威信》が一つの社会階層の集中しがちなのは、実はどの社会でも似たり寄ったりです。近代社会の一つのモデルとされる欧米社会も、「教養と財産 education and property」を有する階層と「その他」階層の間に深い溝がある社会であることは、東アジアの二か国とあまり変わりありません。むしろ、日本が例外に属すと考えたほうが良いかも知れません。

 したがって、東アジア二か国においても、欧米においても、近代的義務教育システムがあるにも関わらず、その社会の深奥に、建前からは見えない「無文字社会」あるいは「教養や知的な事に関心をもたない」階層があると考えるべきなのでしょう。例えば、米国社会には、

リチャード・ホーフスタッター『アメリカの反知性主義』1963年みすず書房
Richard Hofstadter: Anti-Intellectualism in American Life, The Paranoid Style in American Politics, Uncollected Essays 1956-1965 (LOA 330) (Library of America)

が潜在していることは承知しておくべきです。映画がcinemaではなく、pictureやmovieとして世界語となり普及するのは、映画(ビジネス)が米国における国民統合にぴったりのメディアとして19世紀末から20世紀初頭にかけ爆発的に普及し、米国を代表する national な business となったからです。どれほどインターネットが普及発達しても米国民はほの暗い映画館に足をわざわざ運ぶことで、アメリカ人であることを了解するわけです。英語がまだわからない移民でも、「絵 picture」は十分諒解可能ですから。かつての列島の「古墳」のようなものだと考えるとちょうどいいかも知れません。

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