芸に遊ぶ/ It is one sign of human maturity to enjoy things that are useless
「芸に遊ぶ」。これは、名著 日本の数学 (岩波新書 赤版 61)(初版1940年)において著者の小倉金之助が要約した標語、和算家の理想です(岩波新書1964年、p.100)。
私は学部学生の頃、この文を図書館で読み、頷いてはみたものの時折ふっと思い出すのです。半世紀近く経てまだ記憶に残っていると言うことは、余ほど感銘を受けたか、違和感を持っていたのだと思います。
同書同箇所には、「和算家は、好んで「無用の用」ということを、言いました。」とも述べられています。徳川期、市中には和算塾というべきものがありました。一般庶民がわざわざ月謝を払って《習い事》として「数学」を習っていたのです。また松尾芭蕉が諸国を遊歴して俳諧指導したように、諸国で和算を指導し、各地の和算家とその力を競い合い、神社に算額を奉納して歩く遊歴算家という人たちもいました。これは文字通り、田中美知太郎 ソフィスト (講談社学術文庫 73)や関曠野 プラトンと資本主義
が伝えるソフィスト像そのものです。
徳川期庶民における「遊び」としての学芸。これと類比し得るものが近世西欧、近世中華帝国にはなさそうです。比肩し得るのは古代ギリシアでしょう。中世イスラムはちょっとわかりません。
現代日本人は、ホイジンガ ホモ・ルーデンス (中公文庫)、ロジェ・カイヨワ 遊びと人間 (講談社学術文庫)
を既に手にしています。ホイジンガを読み、カイヨワを声高に論じながら、徳川期学芸の「遊び」性には眼を向けない。さすがに西欧起源の現代文明に金属疲労が明らかな21世紀、いつまでも、西欧学芸を「手習い」している場合ではないと思わずにはいられません。
「役に立つ知識/学芸」「知は力なり」。これは西欧・近世/近代の金看板です。「利益/効用を生む学芸/知識」、「力となる知」。これを人類共通の標語してやってきた末に我々が手にしたものはなにか。人間の本性(human nature)と環境の複合危機です。何という素晴らしい皮肉でしょう。徳川日本人は、和算や変化朝顔の栽培に、「無用の用」「芸に遊ぶ」ことに喜びを見出しました。これを一つの文明(人間の生き方)の成熟と再評価することは、現代日本人の特権であり、これもまた「成熟」の現れと思いますが、どうでしょうか。
参照 徳川日本のニュートニアン/ a Newtonian in Tokugawa Japan: 本に溺れたい
江戸のマテマティカ塾: 本に溺れたい
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