文科省の大学院政策における失敗/ Failure in MEXT's graduate school policy
弊ブログ記事「西村玲氏(2016年ご逝去)を追悼いたします/ In memory of Mr. Ryo Nishimura (died in 2016) 」にコメントを頂きました。既に、コメント欄で応答を投稿したのですが、コメント欄ではもったいないと思い直し、改めて記事化して、再掲することと致しました。
ご投稿頂いたのは、経済学者の塩沢由典氏です。社会科学研究者のお立場からのコメントです。
投稿: 塩沢由典 | 2020年9月23日 (水) 08時01分
西村玲さんのことはまったく知りませんでしたが、痛ましいですね。
「「役に立たない学問」を学んでしまった人文系“ワープア博士”」の記事もよみました。亡国的状況です。大学院拡充は必要だったと思いますが、量産される博士号取得者がなぜ必要なのか、その点に関する社会の合意・理解なしに政策を進めてしまったことの結末です。
経済政策の問題としていうと、異才に活躍する場を開くことなくては、独創的な新製品も新しいサービスも生み出すことができず、いずれ経済は停滞します。博士論文を書くというのは、新しい考え方を作りだす訓練です。そういう人たちを企業がうまく使いこなせないことが、現在の日本経済の停滞のひつとの大きな要因であることに気付いてもらいたいと思います。
以下、ブログ主(renqing、こと上田悟司)の応答です。
renqing | 2020年9月23日 (水) 13時48分
塩沢先生
コメントありがとうございます。>量産される博士号取得者がなぜ必要なのか、その点に関する社会の合意・理解なしに政策を進めてしまったことの結末です。
この点、大事なご指摘だと思います。先生の最近著『増補 複雑系経済学入門
』2020年ちくま学芸文庫、pp.410-1、にて、コンテナ輸送が社会全体の効率性改善に役立つのは、マテリアルな設備よりも、規格化/標準化などの社会工学技術に負う点を、旧版以来20年以上にわたって注意喚起されています。「日本はこの方面があまり得意とはいえません。」とも(p.411)。
そういう弱点が、文科省の政策的業績づくりの独走(独善?)および新自由主義的「競争至上主義」イデオロギーの奇妙なアマルガムと混淆して、今回のような陰鬱な悲劇を中期的に帰結したのです。無論、文科省役人の現場乱入・攪乱は、文系だけでなく理系にも及んでいます。
既に弊ブログでも十年近くまえに紹介済みですが、
自滅する生命科学:研究資金配分が誘導する研究コミュニティの崩壊: 読書の記録
の証言をみますと、理系アカデミズムの現場でも「着実に」病気は進行してます。21世紀になり毎年のように「ノーベル賞」日本人受賞者が報道されて喜ばしそうですが、現在の「知的現場」での混乱/疲弊はボディブローのように「長期的」に効いてくるはずです。おそらく今後半世紀近くは、自然科学分野(日本の大学の)からもクリエイティブな人類への貢献は逓減していくものと予想します。もちろん、日本人(日系)研究者がMITやCambridgeで生み出すことは大いにあり得るでしょうが。」
本記事を編集していて、既に全く同じ事象を扱った本を以前に読んでいたことを思い出しました。そこにこうあります。
「しかし、私講師の講義を聴講する学生は、決して多くはなかった。私講師はたいていの場合、ニ十歳代後半から三十歳台の若者で、その学問評価は定まっていなかった。学生の側から見れば、博士の学位試験をするのも、さまざまな国家試験や資格試験をするのも、すてべ正教授だったので、正教授の講義は聴講したが、私講師の講義を聴講する者は、ごく限られていた。
だから私講師になれば自由に講義をし、学生から聴講料を徴収できる身分になるといっても、その収入はたかが知れていた。当然、それだけの収入では、一家を養うことはできなかった。だから彼らの多くは、ギムナジウムに教えにゆくとか雑文を書いてわずかな原稿料を稼ぐとか、さまざまなアルバイトに頼る他なかった。大学のなかで自由に講義をし、自分の学問を学生の前で披露できるとはいっても、私講師の生活は惨めだった。しかし、こうした恵まれない境遇に耐えるのも、ひとえにいつの日か正教授になれるだろうという期待があったからこそである。しかし、その希望がいつになったら叶えられるのか、誰にもわからなかった。この貧困と不安に満ちた私講師の群は「自殺クラブ」と形容されたこともあった。」(潮木守一著『ドイツ近代科学を支えた官僚―影の文部大臣アルトホーフ』中公新書1993年、p.58)
上記は、20世紀初頭のドイツの大学アカデミズムの記述ですが21世紀の現代日本と瓜ふたつではないかと、一瞬勘違いしそうです。そして当時のドイツアカデミズムのパフォーマンスはこうです。1901年の第1回ノーベル賞から30年間はその三分の一をドイツ人学者が占め、1875年から1899年までに生理学領域の独創的研究の60%はドイツで行われ、同時期の熱・光・電気・磁気の領域におけるドイツでの新発見は、仏、英のそれぞれ2.5倍、医学領域での新発見は45%がドイツでなされています(上記潮木氏著書より)。26歳のPaul Valéry が「ドイツ的制覇(1897年)を雑誌に寄稿したのもちょうどこの時期です(潮木氏の本と Valéry のエッセイについて別途記事化する予定)。ドイツ帝国の科学力のピークから百年後の日本は、さて一体どうなるのやら・・・。
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