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2020年10月15日 (木)

梅若実、エズラ・パウンド、三島由紀夫/ Umewaka Minoru, Ezra Pound and Mishima Yukio

 三題噺です。

 

※続編を書きました。下記。
‘Unity of Image’ :「能」から「Imagism」へ / 'Unity of Image' : from 'Noh' to 'Imagism': 本に溺れたい

 フェノロサの草稿は、彼の歿後、未亡人からエズラ・パウンドに托され、パウンドの整理加筆により、1916年にロンドンで、翌年ニューヨークで、‘Nohor Accomplishment, a study of the classical stage of Japan と題して刊行された。ところで、この書に収められた能の英訳十四番は、パウンドに重要な知識をもたらした。それは、能のよき詞章は unity of image をもつという事実である。すごい洞察であった。現今の学者たちでさえ多くは知らない能の本質を、みごとに看破したもので、眼光の鋭さ、三嘆のほかない。この発見には、T.S.エリオットも大いに興味をもったらしく、文芸雑誌『エゴイスト』に The Noh and the Image という論文を載せている(1917年)。

 バイロンとかキーツとかシェリーとかの十九世紀詩人による作品を、二十世紀ふうの詩と比べるなら、その差は何人にも明らかであろう。英詩にこのような著しい変化が生じたことについては、イマジストと呼ばれる一派がその口火を切ったのであり、パウンドは、T.E.ヒュームやW.B.イェイツと共に、この派の花形であった。二十世紀ふうの詩においてイメイジが決定的な役割をはたすことは言うまでもないけれど、イマジズムの興起にあたり、能における unity of image がフェノロサとパウンドを通じ大きくはたらきかけたことは、印象派の画における浮世絵の影響と比べられよう。そうして、岡倉天心にあたる役を演じたのが平田禿木であった。(中略)

 一八九八年の歳末、タマゴの箱を傍らにしゃべった一時間半の話が、二十世紀の英詩を大きく変貌させるきっかけのひとつになろうとは、もちろん梅若実にとって想像もつかないことであった。

小西甚一「世阿弥・タマゴ・現代詩」、岩波日本古典文学大系月報52(昭和368月、日本古典文学大系<第55巻>風来山人集附録)

 上記、文中の unity of image の出典は下記です。

When a text seems to " go off into nothing " at the end, the reader must remember " that the vagueness or paleness of words is made good by the emotion of the final dance," for the Noh has its unity in emotion. It has also what we may call Unity of Image.1  At least, the better plays are all built into the intensification of a single Image.

1 This intensification of the Image, this manner of construction, is very interesting to me personally, as an lmagiste, for we lmagistes knew nothing of these plays when we set out in our own manner. These plays are also an answer to a question that has several times been put to me : " Could one do a long lmagiste poem, or even a long poem in vers libre ?

ERNEST FENOLLOSA and EZRA POUND, ‘Noh’or Accomplishment, a study of the classical stage of Japan, 1916, London, MACMILLAN, pp.45-6

 この unity of image と実質的に同じことだを思うのが、下記です。

 このハーバート・リードの言う「情況の全体性と完全性の知覚を意味する何か」、これこそ鴎外の文体の秘密であり、スタンダールの文体の秘密であります。・・・。明晰な文体、論理的な文体、物事を指し示す何らの修飾のない文体、ちょうど水のように見える文体のなかにひそんでいる詩には、あたかもH2Oという化学式そのもののように、無味乾燥の如く見えながら、実は詩の究極の元素があるのであります。・・・、このような文体がもっているほんとうの魅力は、実は詩であり、ハーバート・リードの言う「全体的知覚」であります。また詩人のよく言うサンス・ユニヴェルセール(宇宙感覚)というものとも通ずるものでありましょう。
三島由紀夫『文章読本』1973年中公文庫(新装版2020年)pp.55-6

 ということで、かなり個人的な備忘録でした。

〔参照〕能、フェノロサ、パウンドの関連については、下記をご参照下さい。
Earl Roy Miner, Japanese Tradition in British and American Literature, 1958, Princeton UP
E.R.マイナー『西洋文学の日本発見』深瀬基寛他訳、筑摩書房、1959

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