故郷喪失者としての米国人/ Americans as déraciné [homeland losers]
旧世界で、ある種の精神的な安定と文化の連続性を保証していた社会的なきずな、つまり血縁、地縁を失った根なし草(デラシネ)の不安がアメリカ人の意識の底にあり、その結果、孤独感、疎外感、あるいは帰属集団を求めての放浪がアメリカ文学の大きな特徴となる。
小学館日本大百科全書/アメリカ文学/渡辺利雄、より
私は数字が好き(Zahlenromantik「数字のロマンティシズム」!?)なので、上記の議論を裏付けるデータを追記します。
出典は、「社会実情データ図録 Honkawa Data Tribune」サイトの、
です。解説文にこうあります。
米国の人口重心は1800年には東部沿岸のメリーランド州にあったが、1900年にはインディアナ州、そして2000年にはミズーリ州に達した。その移動距離は210年間で1,371㎞、年平均に換算すると6.53㎞である。日本で移動が激しかった高度成長期の約4倍である。米国の国土面積は日本の25倍(図録1167)と比較にならないほど大きいので単純には重心の移動距離の長短を評価するわけには行かないが、それにしても米国全土にわたりダイナミックな人口移動が行われてきたことは確かである。
19世紀の西部開拓、1848~49年のカリフォルニアのゴールドラッシュ、20世紀の2次の世界大戦を挟む時期における南部農村部から北部・西部への黒人大移動などが人口重心の10年ごとの移動距離や移動方向の変化にあらわれていると考えられよう。
そして、大都市における《白(郊外)と黒(中心部)のドーナッツ化現象》の制度的要因を世銀報告書からこう引いて解説を結んでいます。
「アメリカの地方政府の財政制度では、住民へのサービス提供資金を地方固定資産税に依拠しており、所得の再配分に影響を与えるような制度設計がほとんどなされていない。それで金持ちや中流の人々は新興郊外へ移動することによって、他の人々への資金援助を免れることができるわけだ。ここでも人種が一役買う。都市中心部は圧倒的に「黒人」となり、郊外は「白人」という構図だ。」
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