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2020年12月10日 (木)

「コミュニケーション」:現代日本の《呪符》か《祝詞》か / Communication: Modern Japan's Spell or Spiritual lyrics?

 仕事がらみで、二つのテキストを読みました。

1)竹内一郎『結局、人は顔がすべて』2016朝日新書
2)平田オリザ『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か 』2012講談社現代新書

 竹内は1)の中で概略こう述べています。

 アメリカはその国家創生の起源から多言語国家で、言葉が通じないので、表情・ボディランゲージ等を総動員して(説明過剰な)「わからせる」文化を形成し、それが米国の世界覇権とともに、米国製テレビドラマ、米国製映画を媒介として20世紀後半、グローバルスタンダードとして米国以外に押し付けられてきた。

 平田は2)の中で概略こう述べます。

 現代日本は少子化のため、子どもたちは狭い人間関係の中で、幼年期・少年期を過さざるを得ない。そのため他者と出会う機会がない。表現は他者を必要とするが、一方で子どもたちの教室には他者はいない。そのため子どもたちは自己を表現する欲求を失っている。「伝えたい」という気持ちは、「伝わらない」という経験からしか来ない。現代日本の子どもたちは、コミュニケーション能力が低下しているのではなく、「伝わらない」という経験が決定的に不足しているため、コミュニケーションへの意欲とそのスキル・能力を磨く機会が結果的に奪われているだけである。

 ちなみに、「コミュニケーション」なる外来語の用例を小学館日本国語大辞典でみると、

・外来語辞典〔1914〕〈勝屋英造〉「コンミュニケーションCommunication (英)通信。交通。書信。交通機関」
・日本の思想〔1961〕〈丸山真男〉三「法律学、政治学、経済学というような本来密接な関連をもつ学問分野の間でさえコミュニケーションがあまりないという状態です」
・新西洋事情〔1975〕〈深田祐介〉舶来女房、愛すべし「夫がたくみに英語をあやつり、コミュニケーションが確保されるのであれば」

とありました。

次回へ、続く(予定)

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