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2021年1月 1日 (金)

身軽に問い、打たれ強く考える/ Ask agile and think resilient

 弊ブログへの来訪者の皆様、旧年中(2020年)はこの盛り上がりにくい内容のブログを盛り上げて頂き、誠にありがとうございました。2021年も弊ブログをなんとか継続できますことを感謝致しますとともに、来訪者皆様のご多幸とご自愛を祈願いたしております。

 2020年は、「コロナ禍」という前代未聞の試練に人類は遭遇しました。パンデミックとは言いながら、中世欧州の人口を三分の二に追い詰めた「黒死病」や第一次世界大戦の継戦意欲を阻喪させた百年前の「スペイン・インフル」とは全く違う様相を呈しています。野火のように感染爆発して人類の、例えば十分の一(約七億人)を死に至らしめ、一気に収束する、というタイプの歴史上の疫病とは異なるようです。ダラダラ続きそうで、鎮静の気配が感じられません。これまで出来合いの「正解」が役に立ちそうもなく、人類は「道」を見失い、富士の樹海を彷徨っているかのようです。

 これで「グローバル資本主義」の世界の息の根が止まってくれれば、むしろ不幸中の僥倖なのでしょうが、人類そのものが「心肺停止」になってしまってはまずい。私自身は「絶滅」しても、「ま、仕方ないか」と諦めもしますが、何が楽しいのか踊るように道を歩く子どもたちや、母親に抱っこされ安心して寝入っている赤ちゃんの「未来」が喪失してしまうのは可能ならばやはり避けたいと念じます。

 私は本を読むことと、理論的に、あるいは理屈っぽく、考えることが好きなので、気付いたこと、思いついた理屈を備忘録として本ブログに記事の形式で出力して、自分でも読んでいます。考えるために自分に向けて文章化していると言うべきなのかも知れません。そこで、人類が百年後までサバイバルできれば、21世紀年表中におそらく特筆大書されるであろう「コロナ禍/新型コロナ感染症/COVID-19」の歴史的教訓は何か、私が出来ることは何か、とこの年頭に考えまして、本記事の標題としてみました。

言葉そのものは、畑村洋太郎著『考える力をつける本』2016年講談社+α新書、「はじめに」pp.5-7、から拝借したものです。

 私は、仕事柄、子どもたちになにか言わなければならない場面があります。そのときは、やむを得ず「大人でも、コロナ騒動のようにどうして良いか分からないことがあるんだから、大人をあてにせず、自分で考え、自分なりの答えをみつけよう。」と言って、子どもたちを煙に巻いています。 というのも、ひとが他者に「教える」ことは原理的に不可能であり、辛うじて可能なことは、「考える」ように促すことだけで、それには他者に「問う」てみるしかないからです。

 2021年も宜しくお願い申し上げます。

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