« 身軽に問い、打たれ強く考える/ Ask agile and think resilient | トップページ | 私の知的リソース・ダイアグラム/ My intellectual resource diagram »

2021年1月13日 (水)

「であること」と「であるべきこと」のあわい/ Between 'to be' and 'ought to be'

 もし事実(である)が過去に属すなら、価値(であるべき)は未来に属すでしょう。それなら、現在は、事実と価値のあわい、「であること」と「であるべきこと」の中間、未分明の動的境界ということになります。

 《現在》を語ることが、《過去》や《未来》に比べ思いのほか難しいのは、そのせいです。そして、「である to be」過去と「であるべき ought to be」未来に挟まれた現在は「すること to do」になりそうです。

 敗戦(1945年)から高度成長直前の1950年代末まで、活発に「現代」を問うていた丸山真男が、日本が高度成長によって急速に変貌し始めて以降、思想史研究者に復帰したのは、彼にとっての未来、あるいは夢が失われてしまったからなのでしょう。渡邊千冬は「人は夢を見ることが出来る間は幸福である」と言いましたが、それからすれば、丸山が後半生、不機嫌だったのは夢を失ったからなのだと思えます。

|

« 身軽に問い、打たれ強く考える/ Ask agile and think resilient | トップページ | 私の知的リソース・ダイアグラム/ My intellectual resource diagram »

思想史(history of ideas)」カテゴリの記事

Watanabe, Satoshi (渡辺慧)」カテゴリの記事

丸山真男(Maruyama, Masao)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 身軽に問い、打たれ強く考える/ Ask agile and think resilient | トップページ | 私の知的リソース・ダイアグラム/ My intellectual resource diagram »