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2021年2月 4日 (木)

「経済複雑性」と日本の22世紀(2)/ "Economic Complexity" and Japan in 22nd Century (2)

 前記事(1)に貴重なコメントを、理論経済学を革新しつつある、塩沢由典氏より戴きました。コメント欄では閲覧される機会が少ない憾みがあります。そこで、新記事中に引用させて頂くこととしました。以下です。

http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2021/02/post-22f319.html#comment-143068850

HidalgoたちのEconomic complexityを取り上げてくださり、ありがとうございます。国際貿易投資研究所専務理事の湯沢三郎さんが取り上げられているように、日本では輸出競争力との関係で注目されています。去年のはじめころNHKの特集の中でも取り上げられていました。Economic complexityは、日本がトップというので、長いあいだ低迷をつづけている日本経済にとっては明るいニュースでもあり、関心が高まっているのだと思われます。

ところで、この件は、ちくま学芸文庫の『増補 複雑系経済学入門』の増補部分「『複雑系経済学入門』以後の二〇年」には一切触れていません。知らなかったのではありません。知ってはいたのですが、触れませんでした。HidalgoたちのEconomic complexity (以後 EC)は、貿易統計から、輸出について国と財について一定の重みのあるものを取り出して2部グラフ(隣接行列)を作り、そこから定義される正方行列の固有ベクトルをとって指標としています。この作業により、国ごとの数値が出でくるためランキングに使えるのですが、それがいったいどういう意味(内容)をもつのか私には不明で、ECについては触れないことにしました。

これは別の統計分析である主成分分析に喩えてみれば、分かりやすいと思います。ある成分が重要な影響をもつことが分かったとき、主成分分析では、それ(あるいはそれらに)に名前をつけます。ただ、その名前がほんとうにそれら成分を適切に表現しているかには、ほとんど理論がありません。ECについても同様の事情があって、各国ごとのなにかが計測されるのですが、それが"Economic complexity"と呼ぶべきものなのか、あるいは湯沢氏が触れられているように「経済多様性」ないし「Economic sophistication」と呼ぶべきものなのか、あるいはそれらとも異なるなにかを表しているかは判断の分かれるところです。

わたしもときどき気になって考えてみるのですが、ECが本当になにを意味しているのかは、いまのところ分かりません。ただ、こういう国ごとの複雑性ないし多様性に関係した数量が発見された結果、貿易関係にとどまらず、最近では環境問題や国内の所得不平等度といったものとの相関が議論されるようになっています。これは、悪くいえば、数量の一人歩き(数値があれば、相関分析が可能)ということですが、もっと深い研究がでてくる可能性もあります。

ECは、国際貿易論にちょくせつ関係するところから出てきた議論でもあり、これが国際価値論と結び付けられれば最高ですが、いまのところ手がかりはありません。「経済多様性」が一国の国際競争力に関係するという考えは昔からあります。いままでは、それらは感覚的にしか議論できなかったのですが、すくなくとも数量的な分析ができるようになったことは、大きな進歩というべきでしょう。たぶん輸出できるような産業(輸出競争力のある産業)をたくさん持っていることが、新しい製品を開発するといったところで有利に働くのでしょう。このあたりは、きちんと理論化したいと考えていますが、なかなか厳しい挑戦です。

投稿: 塩沢由典 | 2021年2月 3日 (水) 13時34分


 塩沢先生、上記、貴重な示唆的コメントありがとうございます。

 上記コメントから誘発されたことは2点あります。

1)「HidalgoたちのEconomic complexity (以後 EC)は、貿易統計から、輸出について国と財について一定の重みのあるものを取り出して2部グラフ(隣接行列)を作り、そこから定義される正方行列の固有ベクトルをとって指標としています。」

 数学的、あるいは統計学的な処理の具体的な中身については、〈系統図/樹形図、とかベン図の矢印みたなもの〉程度にしかわかりませんが、先生の『増補 複雑系経済学入門』2020年ちくま学芸文庫、補章p.482、に国際価値論の正則価値の拡張に関して、「生産技術の二部グラフを考えれば、正則価値は、生産技術のある集合が全域木になることだと定式化できることに気づいた。」とあります。数学的操作が類似しているように思います。とすれば、正則価値の定義と「EC」の定義になんらかの対応関係はないのでしょうか。

2)先生のコメントで改めて、指標化(Indexing)について考えました。すると、「経済複雑性」と「生物多様性」には理論的な対応関係があるかも知れないと気づきました。となれば、「生物多様性」を何らかの代表値で指標化することが、理論生態学で行われているはず、と見当をつけました。もし私の推論に妥当性があれば、「ECが本当になにを意味しているのか」について、理論生態学から何かしら示唆が得られる可能性がでてきます。ということで、ちょっと検索した結果の幾つかが下記です。

龍谷理工ジャーナル No.76 VOL.31-1 本誌目次|先端理工学部|龍谷大学
「解説 定量生態学のすすめ:生物多様性減少の影響を定量的に予測する」三木健(PDF)

生物多様性の減少機構の解明と保全プロジェクト(終了報告) 平成13〜17年度|国立環境研究所研究プロジェクト報告|国立環境研究所
(上記URLにPDFあり)
2.5 生物群集の多様性を支配するメカニズムの解明に関する研究
2.5.2 生物群集動態に関する理論生態学的研究

③大垣俊一「多様度と類似度、分類学的新指標」 Argonauta 15: 10 -22 (2008)(PDF)
※検索してPDFをDLできます。

 関連がありそうな、そうでもないような、・・・。カオス理論の発端には、理論生態学の「ロトカ-ヴォルテラ方程式」がありますがら、関連はあると思うのですが、私の知識では、ちと把握できませんでした。

以上、renqing、こと上田悟司

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コメント

生物多様性に関する記事紹介、ありがとうございました。

紹介されいていたいくつかの中では、わたしにとっては、大垣俊一さんの諭文(2008)がいちばん示唆的でした。生物種の多様度をどのようには測ってきたか、どのような概念が提案されてきたかについての総説です、経済複雑性を考えるのにも示唆的です。

三木 健 先生の研究もすばらしいもので異論はないのですが、諭文の最後に「「預言から予報へ」というスローガンを胸に,今後研究を進めていこうと考えています.」と書かれていることには、すこし違和感をもちました。じつは経済学も「定性的議論から予測的な科学へ」を合言葉に研究をすすめ、それで大いに進歩した側面もある一方、ミルトン・フリードマンの方法論のように予測さえできればそれでよいという風潮を作りだし、現在の主流派経済学(とくにマクロ経済モデル)は、たんに相関を研究しているだけの学問に成り下がっているという批判も生み出しています。生物生態系や経済のような複雑な存在を対象とする科学は、「予測的な科学」に一元化されると、学問の将来に危険なものがあります。物質循環などすでに構造分析の方面で計量的な学問が発達している生物学ではそのような惧れは少ないのでしょうし、三木先生がそのような方向を目指されているわけではないでしょうが、経済学の現状を他山の石としていただければさいわいです。

Hidalgoたちの経済複雑性は、一国の経済競争力のひとつの指標と考えられているものでしょうが、細かくみるといろいろ不満はあります。老人の繰言になりますが、もっとも多様性・複雑性が高いといわれる日本で、なぜコロナ・ウィルス・ワクチンが開発できないのか。すでにいろいろな国で実用化されているのに、日本発のワクチンの話はほとんど出てこず、日本政府は外国から買い付けたので十分という話しかしません。産業の成長力や影響力では、軍事技術を抜いて、いまや医療・バイオ産業が主力という時代なのに、ワクチンひとつ開発できないようでは、他の医療・バイオ産業も押して知るべしではないかと、心配になります。もちろん、日本では山中先生を中心とするiPS細胞の研究がありますし、ワクチンだけが医療・バイオ産業の実力を測るものではないでしょう。とは言っても、世界のあらゆる国がコロナ禍に悩んでいるとき、その解決にもっとも貢献すると思われる技術で遅れをとっていることは憂慮すべきではないでしょうか。

背景にはいろいろ考えられますが、経済との関係でいえば、小泉内閣から安倍内閣へと続いた「構造改革」が、規制緩和さえすれば日本経済が再活性化するといった安易な考え方に一元化されてしまったことも影響しているでしょう。医薬品の開発には、すぱやい治験を可能にするなど、制度構築が欠かせませんが、そういう方面への構想力に欠けていたのではないでしようか。このことを考えると、「経済複雑性が高いから」と言って安心できるわけではなく、さらにいろいろ考えないと日本経済の将来はあやういといわなければなりません。高学歴ワーキンプアを多数生み出していても、まともな反省のないような国には明るい未来はありません。

投稿: 塩沢由典 | 2021年2月 6日 (土) 15時47分

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