「経済複雑性」と日本の22世紀(3)/ "Economic Complexity" and Japan in 22nd Century (3)
塩沢先生、(2)へのコメントありがとうございます。
1>「構造改革」が、規制緩和さえすれば日本経済が再活性化するといった安易な考え方に一元化されてしまったことも影響しているでしょう。医薬品の開発には、すぱやい治験を可能にするなど、制度構築が欠かせませんが、そういう方面への構想力に欠けていたのではないでしようか。
2>高学歴ワーキンプアを多数生み出していても、まともな反省のないような国には明るい未来はありません。
1に関しましては、先生の増補 複雑系経済学入門 (ちくま学芸文庫)第13章でご指摘の、情報域に対応する実物域への注目とその社会技術としての改善が必須です。ただ、従来の企業経営メンタリティですと、少し難しいかも知れません。一部引用します。
「旅客機の機体で使われている部品点数は、400座席のボーイング747‐400で400万点、250座席の767で310万点、350席の777で300万点程度だ。また、ロケットエンジン、ジェットエンジンは1基で10~20万点ほどの部品から構成されている。これに対して、自動車の部品は3万点程度なので、部品点数に100倍ほどの開きがある。
日本における自動車と旅客機の産業規模を比較した場合、生産量は自動車が月産3000~3万台程度、航空機が月産10~50機程度と、航空機は自動車の300分の1ほどになる。部品点数で考えれば、航空機部品関連の仕事は、自動車部品の3分の1程度である。
だが、航空機部品の事故信頼率は自動車よりも100倍は高い。当然、その分が部品の付加価値となる。つまり、1品目当たりの単価が比べられないほど高いのである。
自動車やエレクトロニクスのように大量生産が定着している分野の企業経営者は薄利多売に慣れきってしまっているが、「厚利寡売」とでもいうべき方向へと考え方を転換しなければならない。」
「製造技術」は優れていても「製品技術」がない日本のメーカー(SBCr Online)
航空機、人工衛星(宇宙ロケット)等の、一機で、部品点数100万単位の巨大なアッセンブリーを担う、マクロエンジニアリングは、三菱重工業等の失敗の死屍累々を鑑みましても、日本の産業の弱い部分ではないかと思われます。そして、実物域のテクノロジーは、このマクロエンジニアリングと共通する部分(システムの技術として)があるのではないか、と思われます。すると、このあたりへの嗜好/志向の有無が、2>の下記のようなことにつながっているのでは、と疑われてきます。
1自滅する生命科学:研究資金配分が誘導する研究コミュニティの崩壊: 読書の記録
2科学者の退廃: 読書の記録
サイエンスの現場で、上記のような《「競争」の魔法の杖》による研究コミュニティの崩壊と退廃が進行しているなら、ワープア博士のことなど誰も見向きもしないでしょうし、若手研究者育成という学問の足腰が弱くなっているなら、当然の帰結として、足腰が大量に必要な大規模な研究者集団をエンタープライズとして組織化することもうまくいくはずもなく、新型コロナ対策ワクチンは「他所様」のものを「購入」する仕儀とならざるを得ません。とりわけ、智慧(社会技術)を伴わず、巨額予算だけがばらまかれている生命科学、生化学、薬学系の内情は相当、危ういと推測されます。制度設計とは、まさに典型的な実物域技術で、社会大のマクロエンジニアリングでしょうから。文科省と厚労省(や経産省)が行政実務で蓄積してきた社会的ミクロエンジニアリングでは、あたら巨額予算が蕩尽されそうです。
※参照 「競争」は魔法の杖ではない: 本に溺れたい(2013/05/14)
reniqng、こと上田悟司
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コメント
社会技術については、『複雑系経済学入門』本体では触れられていないのに、うまく繋いでくださり、ありがとうございます。補章では触れたのですが、他の議論にまぎれてしまったかもしれません。複雑系に進化という考えを積極的にもちこむことの効果のひとつが「社会技術」です。それは技術進化一般とは別に語るべきだったのかもしれませんが、すでに塩沢(2008)「社会科学と社会技術」で議論したことなので、補章ではひとこと触れるに留めました(p.497)。
今日の『毎日新聞』(2面)には、政府・自民党の学術会議改革の話がでています。見出しのトップは「「文系減」要求 弱体化狙い」とあります。社会技術の開発と管理がますます重要化する時代に、経済発展は物理技術の発展さえあればじゅうぶんという考え方が如実にあらわれているように思われます。こんなことを考えると、社会技術の重要性についてやはりもっと力説しておくべきだったと反省しています。
もちろん、これまでの社会科学系の学問のあり方についも反省が必要でしょう。社会科学の意義は、その批判的作用にあるといった理解が社会科学の内部に強かったことも事実です。また工学系の学者の中にも、物理技術の発展さえあればという考え方が皆無だったとはいえません。
2008年の「社会科学と社会技術」には、社会技術研究開発センターの設立にまつわる議論に触れて「社会技術」について、まだまだ「技術を社会に向ける」側面が強いことをやや批判的に紹介しています。社会技術の考え方がこれだけ大きな問題になってくると、やはりもっと中心的に議論しておくべきだったかもしれません。
この諭文は、『科学と人文系文化のクロスロード』という本の中に入っているので、なかなかアクセスがたいへんでしょう。コピーをお送りします。このコメントを読まれた読者で希望される方にもお送りします。yATshiozawa.net までご請求ください。ただし、ATは@一字(半角)に換えてください。
投稿: 塩沢由典 | 2021年2月11日 (木) 14時02分