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2021年2月27日 (土)

「百姓」は農民(peasant / farmer)ではない/ "Hyakusho" is not a peasant or a farmer

 以下の、
故網野善彦の指摘も、日本史における「概念史Begriffsgeschichte」の作業と言っていいでしょう。

網野善彦『歴史を考えるヒント』2001年新潮文庫、より

 

 これまで、江戸時代は農業を中心とした社会であり、大名は農民から厳しく年貢を収奪していたと考えられてきました。確かに「百姓」を農民と考えれば、人口の八十パーセントが農民になりますから、そのような解釈が生まれるのは当然です。しかし、私は全国的にさまざまな事例を調べているうちに、実際は田畠で穀物を生産する厳密な意味での農業人口は全体の半分以下で、江戸時代は高度な商業と産業、流通・金融組織を発展させた経済社会だったのではないかと考えるようになりました。そうすると、これまでの江戸時代像は一変せざるを得ませんし、それはまた近代以後の日本社会に対する見方を大きく変えることにもなります。「百姓」の一語に対する理解は、歴史にそれほど大きな影響を及ぼしてくるのです。
本書、p.87

私は十五年ほど前から十年間、奥能登の調査をしたことがありますが、「頭振」と呼ばれる輪島の水呑についての泉雅博氏の調査によりますと、その中には漆器職人、素麺職人、それらを売る商人、船持船問屋などが数多くいたことがわかりました。つまり、「頭振(水呑)」が土地を持っていなかったことは事実ですが、それは貧しくて持てなかったのではなく、その過半数は土地を持つ必要のない人々、商人、職人、船持だったのです。我々が「水呑」の常識から連想する日雇のような立場の人々は、その中のわずかな人々に過ぎませんでした。
本書、pp.85-6

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