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2021年4月21日 (水)

「愛」という名の「支配」

「愛に名を借りた支配」なのか、「愛という名の支配」なのか。

 最も巧妙な支配は、一見「支配」とは全く見えない支配でしょう。親子関係はそこが両義的で、実際に「愛」と「支配」は、相転移的です。

 著名な学者/思想家で、「鬱」的な、あるいは神経症的な人物は親子関係が発端のようです。プラグマティズムのWilliam James は、画家になりたいのを父親に反対され、仕方なく科学者(スタートは医者)に方向転換しましたが、終生、鬱の症状に悩まされ続けました。

 Max Weber は、父親の家父長的圧制から母親ヘレーネを守っていました(主観的に)が、実は母親に巧妙に絡めとられていて、父親の急死後、むしろ発症するに至ります。Weber自身は父親のような政治家(リーダー)になりたかったのに、母親の圧力でアカデミズムに残ることになり、むしろ鬱病が重くなりました。大学の教壇にたつ度に発症し、休職中にだけ(資産家の母親のカネで生活)、ものすごい勢いであの膨大な論文を書き(母親への当てつけ?)、学術誌の編集者も同時にこなしていました。その影響は彼の結婚生活に深刻な打撃を与え、(母親と同じ堅信的なプロテスタントであった)妻マリアンネとは性行為ができず(たぶんインポテンツ)、複数の女弟子と肉体関係を持ちました。

 Jamesにしても、Weberにしても、部外者には彼らの「病」との格闘結果(「病」からの救済?)に大いに裨益させてもらっているので結構な話ですが、本人にとっては、たまりません。凡人である私たち一人ひとりにおいても、こういった話は小規模に展開され、むしろありふれているのでしょう。しかし、そういう心のインナーストーリーは、ネットが発達する前迄は著名人の伝記にしか残らなかった。しかし、今は違います。近年では、情報通信技術の劇的な発達で、普通の人々の経験が表に出やすくなった。それと同時に、当事者たちが自分の受けてきた仕儀を、「あれは《愛》ではなく《支配》だったんだ」と自覚できる世になってい来ているようです。「愛と言う名の支配」はその意味で普遍的な現象と言えます。

※参照
人は「子」として生まれる: 本に溺れたい

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