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2021年5月19日 (水)

日本の教育システムは、「成功」かつ「失敗」である

 日本の公教育は、健康保険制度や母子手帳と同じような制度性能で、成功しています。その一方で、エリート教育は失敗していると言えそうです。

 《エリート教育》というと、藤原正彦『国家の品格』2005年という「天下の愚書」をつい思い出し、気が滅入り勝ちになります。ただ、その必然性は私も承知しています。

 故森嶋通夫は『イギリスと日本』(正編1977、続編1978年)等で、繰り返し、高等教育(大学レベルの専門教育)に耐えられる知的能力を有する若者は、同年齢人口の1割程度であり、当時の米国(約5割)、日本(約4割)という大学進学率は、無理があり、結局、高等教育の質を低下させるだけと指摘していました。

 一方で、どこの国でも、教育に割ける資源(経済的/人的)は限られていますので、結局、身分という篩で1割にしようが、試験で篩にかけて1割にしようが、十分なクオリティの高等教育をしようとすれば、一国内の若者の一部、少数者に施すしかない、と言えます。

 したがいまして、それを「エリート教育」と呼称してふんぞり返ったり、逆にそれを平等主義的観点から誹謗中傷しても詮無い事で、それは人間社会の一つ事実として受け入れるしかない、ということでもあります。そして、その「エリート教育」と実質的身分とをリンケージさせているのが西欧/米国であり、二千年来の「ペーパーテスト」(=事実上の《科挙》)と組み合わせて実現しているのが東アジア諸国、ということになります。

 そして、「エリート教育」で概ね成功しているのは西欧/米国であり、庶民教育で成功しているのが日本、となるわけです。この現象は、初期近代における文化創造の担い手(クリエーター)が誰であったかとほぼパラレルです。西欧では貴族自身、あるいは貴族のパトロネージュで禄を食んでいるサロン文人だったのに対して、徳川日本では武家下層から庶民上層のクリエーターたちが、大衆をマーケットとして文化創造のビジネス化を実現していました。

 こういう歴史人口学的根拠を持つ伝統というものは、ちょっとやそっとでは動揺しないので、日本で幾度となくエリート教育の実現を目指してもうまくいかず(戦前の旧制高校/中学制度の帰結は大日本帝国の灰燼)、西欧/米国/中国本土では、公教育を介して、民衆の一般的な知的レベルを上げようとしても、いつまでたっても「them and us」の壁は取り壊すことができない、ということになります。

 簡単にいえば、欧米は「司令部」が優れていて、「現場」の実働部隊のクオリティが低い。「言説」は素晴らしいが、それが容易に「現実」化しない。日本は、「司令部」は自意識の高さに比してその実質的性能は低く、その穴を「現場」の実働部隊のハイ・クオリティで常時パッチ・ワークして凌ぐ、と言うことでしょう。

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コメント

塩沢先生、追伸です。
下記記事もご参照お願いします。

顕微鏡を覗き込む大蔵永常(20190613画像等追加): 本に溺れたい
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2010/01/post-1945.html

米国 Sears, Roebuck and Co. の郵便カタログ販売(1886年)の50年まえの徳川日本で、書籍の裏表紙にタイアップしたカタログ販売をしている実例を挙げておきました。

ブログ主こと、上田悟司

投稿: renqing | 2021年5月28日 (金) 06時14分

塩沢先生
貴重なコメントをありがとうございます。

とりあえず、徳川日本の私設図書館に関する情報源をメモしておきます。

①高橋敏著『江戸の教育力』2007年、ちくま新書692、p.154-60「コラム 図書館もあった」
②田崎哲郎「在村知識人の成長」『日本の近世 10 近代への胎動』1993年、中央公論社、p.299-311
③青木美智男『日本文化の原型』2009年、小学館、全集日本の歴史別巻、p.220-4、「知を広める地方の本屋と村の蔵書家」

以上、3点が直接の記事ソースです。ご提示して頂いた課題については、ペンディングとさせて下さい。
ブログ主renqingこと、上田悟司

投稿: renqing | 2021年5月28日 (金) 05時58分

ご指摘の記事はすべて読みました。江戸時代に関する記事もほとんど読みました。徳川時代/江戸時代については、かなりイメージが新しくなりました。これらは、最近の知見なのでしょうが、高校までの教育ではどうなっているのでしょう。

2009年10月15日 (木)の記事に以下の指摘がありました:

>地方における工業と交易の発展であり、織物、紙などを中心とする、局地的な市場の枠をこえた地域間市場向け生産の地方拡散と発展を原動力としていた。この動きは、十九世紀の三〇、四〇年代に加速する。その生産主体は、地方の問屋が原料・用具などを農民に貸し付けて製品を作らせる問屋制家内手工業であり、農閑余業という性格が強かった

これは正しいとして、1720年代から1820年代までの100年間には、経済的にはなにが起こっていたとお考えでしょうか。文化面では

>文化の成熟と庶民化は、世紀末の寛政の改革以降明確になり、文化文政期を経て、列島の文化に一つの質的変化をもたらしていた。それは、文化的大衆社会状況の到来である。

と指摘されています。これに対応する動きとして、どういう事態を想像されますか。私設図書館のはなしはとても印象的でしたが、なにかこのことを紹介した本がありますか。

投稿: 塩沢由典 | 2021年5月28日 (金) 01時30分

塩沢先生,
コメントありがとうございます。

 徳川(or 江戸)文化論は汗牛充棟、数え切れませんが、上記のような、比較歴史社会学的にそれを評価したものは、私は見かけたことがありません。したがって、これは私のアブダクション史学の一つの仮説構成です。

 ただ、ご示唆のように、それは歴史の事実的側面を仮説構成しただけで、その因果関係部分は仮説化していません。重要な示唆を頂きましたので、仮説構成を試みたいと思いますが、現在、少々時間が足りません。従いまして、私の応答は少々ペンディングします。

ただ、過去記事でも多少のヒントになるものがありますので、挙げておきます。
 
1)文化商品の作り手について
 これは徳川前期(17世紀)は、牢人(浪人、武装失業者)たちがパイオニアです。これについては下記参照。
①近世初期における人的資源としての牢人(浪人)問題
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2007/11/post_cf89.html
②平和の配当 徳川前期のベビーブームと社会の複雑化〔徳川史②〕: 本に溺れたい
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2011/01/post-5dc7.html

2)文化商品の有効需要について
③十九世紀前半の列島における主権者なき「国民」化: 本に溺れたい
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2009/10/post-95b9.html
④十九世紀徳川のビジネス・ソサイエティ化: 本に溺れたい
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2009/04/post-bb9c.html
⑤19世紀徳川日本における民の力量の増大(1)~(4): 本に溺れたい
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2009/04/19-e784.html

投稿: renqing | 2021年5月21日 (金) 04時01分

>徳川日本では武家下層から庶民上層のクリエーターたちが、大衆をマーケットとして文化創造のビジネス化を実現していました。

たしかに、これは重要な点ですね。なぜこうなったのか、なにか仮説がありますか。

投稿: 塩沢由典 | 2021年5月20日 (木) 13時55分

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