書評Ⅰ:宇野重規著『トクヴィル 平等と不平等の理論家』2019年5月講談社学術文庫
◆本書に対する評価
1.浩瀚な古典へ誘(いざな)う優れたアペリティフ
トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』は、岩波文庫に優れた完訳版があります。仏文原本は2巻本(Gallimard版Ⅰ640頁Ⅱ480頁)ですが、邦訳では1巻が2分冊になり、全2巻4分冊という構成です。
この全容を見て、ますます読み甲斐がでた、と飛びつく読者はそう多くはないはず。その意味で本書は、浩瀚なトクヴィルの『デモクラシー』を読みたい、読まなくてはいけない、と思いつつ、そのボリュームに気後れしている(潜在的)読者たちに、やはり読もう、と踏ん切りをつけさせる、日本語で書かれた最良のアペリティフ(食前酒)の一つといえます。
そう言える理由は、①晦渋さ皆無の明快な文、②よく練られた章構成、③文庫版で追記された「補章」を含めても全223頁という適切な量、によります。
2.よく練られた章構成
先に挙げた1‐①は、本書を書店で少し立ち読みでもすれば納得されます。従いまして、特記すべき特徴の2として、「よく練られた章構成」を挙げておきましょう。
本書の「はじめに」の17頁に、「三つの課題」という節が設けられています。列挙しますと、
①トクヴィルの〈思想〉は、近代社会の特質を説明するグランド・セオリーとして読まれるべきである、
②トクヴィルは、「デモクラシー」社会の特質と、アメリカ社会の特質を区別しようとしていた、
③トクヴィルの未来の社会構想、ヴィジョンとはなにか、
となっています。
著者は、この自ら設定した「課題」に対する応答として章を構成しています。
①→第二章 平等と不平等の理論家
②→第三章 トクヴィルの見たアメリカ
③→第四章 「デモクラシー」の自己変革能力
事程左様に、章構成にも、一貫した著者の明確な意志は行き届いており、「あとがき」201頁にある、「今の著者の持てる全力をふり絞って」という言葉を裏切らない作品となっていると評せます。少なくとも、私は本書読了後に「トクヴィルはやっぱり面白い」との感慨を持ちました。
3.本書への「望蜀の嘆」:発展的論点
①徳川日本における「平等と不平等」を巡る想像力の拡張
仏人トクヴィルの生没年〔1805-1859〕を日本史上に投影しますと、〔文化2年-安政6年〕です。徳川公儀体制にようやく動揺が走り、没落へのプレリュードが始まっていました。人物で言えば、藤田東湖〔1806-1855〕であり、横井小楠〔1809-1869〕です。
せっかく、著者が日本人であるので、トクヴィルの見据えた問題と当時の徳川日本人が負わされた課題、といった比較歴史社会学の切り口があっても良かった、と感じます。
私流の見方では、徳川日本は文化・文政期から、Business Society へ突入しています。そこには実質的に「平等と不平等」を巡る想像力の拡張の問題が芽生えていた可能性があります。だからこそ、このころは「処士横議」だったし、福沢諭吉は、中津奥平家の厳しい身分制度に不平たらたらだったのではないでしょうか。
②精神のデカルト主義と福沢イズム
〈人の思考を規定するさまざまな先入観を排し、手段や形式よりもその内奥にあるものを目指そうとする姿勢〉本書p81、は、まさに福沢イズムそのもの、という印象を持ちます。そして福沢はこの姿勢を既に「ご一新」の前から確立していました。徳川日本人がワシントンが大好きだったり、明治皇后がフランクリンの大ファンだったりすることと思い合わせますと、現代日本人の「欧米」観が、実は「米」に偏重していることとも通底しているように私には思われました。
③アメリカ的「デモクラシー」の成立要因
本書では、第2章にトクヴィルの見解を祖述しています。トクヴィルが指摘するのは大きく2点です。
・要因1=地理的孤立 他国からの干渉がない。本書p.112-4。
・要因2=歴史的条件 最初期の植民者たち、すなわちニュー・イングランドのイギリス系アメリカ人の政治的エートスが近現代のアメリカ社会の社会的特質を規定した。本書p.116
これについては、トクヴィルにも、祖述者である宇野氏にも強い異論があります。
まず地理的要因です。アメリカ大陸が欧州大陸と大西洋を隔てていたことにより、欧州列強の政治的、軍事的干渉/圧力が少なかった。この点は首肯できます。しかし、アメリカのその後の社会的特質を長く決定したのは、異様な資源/人口バランスです※。圧倒的に過小な人口、過大な資源であった点です。広大な大陸国家の版図の上に疎らな人口。このことがもたらす帰結は3つです。
※鬼頭宏「近代日本の社会変動」、長期社会変動 (アジアから考える) 、東京大学出版会(1994)、p.201
1)慢性的な(肉体)労働力不足
これは高賃金/低資源価格の経済を意味します。移民が歓迎・促進されます。これでは、upper class でなければメイドを置けません。欧州ならmiddle class でも家内労働者を置けました。
2)労働力節約/資源多投入型のイノベーションへの強い志向
「ヒト」が高価で、「モノ」が廉価なら、前者を節約し、後者をより多く投入するタイプの産業技術イノベーションを、ヤンキーなら追求することになります。これがmiddle calss の家庭内労働、つまり家事をことごとく機械化(電化)するモチベーションとなります。洗濯機、掃除機、レンジ等は、メイド(家内労働者)の代替品です。ガソリン自動車は御者の無い馬車です。
3)コミュニケーションのコストを下げるイノベーションの追求
広域に人口が散在するなら、その通信連絡網のコストを下げることが必需となります。モノ・ヒトのコミュニケーションでは、蒸気船、鉄道(網)、自動車・道路網、の著しい発達。情報〔文字・音声・画像・動画〕のコミュニケーションでは、郵便(網)、電話(網)、レコード・蓄音機、フィルム・映画、磁気テープ/フロッピーディスク等の磁気記録システム、インターネット等の革新的技術開発。
上記の3点すべてが、農民、工員、店員といった labor class の人々の力(capability)を強化することに貢献します。それらは彼等の「異議申し立て」力を支援することを同時に意味します。そして、欧米諸国で唯一の産油国アメリカで、エネルギー多消費型のライフスタイル( American way of life)が19世紀末に完成され、20世紀後半、世界中に拡散しました。
次に、トクヴィルの言う、要因2=歴史的条件はアメリカ社会のプロトタイプがニュー・イングランドだった、ということでしたが、これにも異論があります。
もしアメリカ社会の独自性に影響した歴史的条件があるとするなら、それは「アメリカには歴史がない」、より分かりやすく言えば「アメリカには旧体制(Ancien Regime)がない」ということです。トクヴィルはアメリカは革命なしに平等を実現しいている、と言いますが、それを可能にしているものこそは、旧体制(Ancien Régime)がない、ということ、それに加えて、(労働力)人口不足によって奴隷制度や小作制度を維持できなかった、という極めてアメリカ独自の歴史的与件があります。
そして以上の二つの歴史的与件が相まって、旧欧州のような「革命」を不要とする、歴史リセット主義が容易にアメリカの知的世界に定着します。アメリカの植民地政策はこの頭でっかちの「歴史リセット主義」です。そして不幸なことに20世紀半ばの対日占領軍司令部(GHQ)の「戦後改革」の「成功」例が、モデルとされてしまいました。その後のアメリカの「戦争」と「戦後処理」の失敗は悉く、このリセット主義の幻想、に深く起因しています。
4.結語
世に無尽蔵の「資源」がない限り、「豊かさ」が実現できるのは、社会の一部の人々のみです。即ち、少数の人々がより多くの資源を消費し、多数の人々がより少ない消費で我慢する、という組合せです。人間の成長可能性も含めた「能力(capability)」もそれに比例することになります。他には、全ての人々が少ない消費で満足する、しかありません。
しかし、人類史上でただ一回破天荒な事件が起きました。社会のすべての人々が自らに「豊かさ」を想像できる社会の出現です。「なぜ、今、わたしは豊かではないのか」と。それが19世紀末から20世紀中葉のアメリカ合衆国です。
彼等は人口に比して有り余る国内資源を、アメリカ人全員で多消費することで、その成員のすべてが「豊かさ」を享受できる(と想像できる)社会を一時的にしろ、作り上げました。それを可能にしたのは、19世紀半ばまでは、邪魔者扱いされていた自国内で産する極めて低廉な原油(cheap oil)でした。このオイルを動力用燃料とした内燃機関による個人ベースの「力 power」の解放。同じく発電燃料とした、立地に制約されない発電システムと工場/家庭内の電化。石油化学を中心とするの有機工業化学の爆発的発展。これらの全ての基礎は、廉価な原油(cheap oil)です。
アメリカの建国の父たち、ジョージ・ワシントン※1やベンジャミン・フランクリンが使ったアメリカの自称があります。"our rising empire(我々の興隆しつつある帝国)"※2。 アメリカの代々のパワー・エリートたちの自国の(もう一つの)表象は「The Empire 帝国」としての興隆だったとしたら、それは oil によってもたらされたとも言えるでしょう。
※1 Newburgh Conspiracy - Wikipedia
Washington then gave a short but impassioned speech, now known as the Newburgh Address, counseling patience. His message was that they should oppose anyone "who wickedly attempts to open the floodgates of civil discord and deluge our rising empire in blood."
※2 R.W.バン アルスタイン『アメリカ帝国の興隆』ミネルヴァ書房 昭和45年、p.1
The Rising American Empire (Norton Library)(Paperback)1974/9/1 Richard W. Van Alstyne
そして、「The Empire 帝国」という黒い名を、「Democracy」という白い名で結果的に覆い隠してしまったのが、トクヴィル『アメリカのデモクラシー』という評価も可能なのではないでしょうか。
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コメント
塩沢先生
では、楽しみにお待ちしております。
投稿: renqing | 2021年7月20日 (火) 22時57分
renqing さんのような考えが、いまの経済学の普通の考えですから、たしょう軽率だったととしても、それほどふかく反省すべきものでもありません。われわれのだいぶぶんの知識は、やや怪しげな通説の集合というべきものです。
先の指摘を敢えてさせてもらったのは、前に書いたように、いまこれに関係したことを本に書いているからです。江戸時代の勤勉革命(速水融、大島真理夫、杉原薫など)についての通説が、先のrenqingさんの意見にほぼちかいのです。どういう反応が出るか楽しみにしていたのですが、わたしの言い分もいちおう効果があるようですね。第3章を8月中に書きあげる予定ですので、原稿段階でぜひ読んでいろいろご指摘ください。
投稿: 塩沢由典 | 2021年7月20日 (火) 22時52分
塩沢先生
コメントありがとうございます。
ご指摘頂いた箇所は、少し安易な書き方でした。
少なくとも、このブログで以前、書評を書きました、
森 杲著『アメリカ職人の仕事史』中公新書1996年
を読んでいたなら、上記のようなことは軽々に言えない、と思い直しました。
機械が現場に導入されるか否かは、事実上、経営者に決定権がある訳ではなく、現場の職人たちが受け入れるかどうか、に直接左右されます。19世紀末くらいまでは。少なくともアメリカおいては、労働力vs.機械の相対価格変化で新技術やイノベーションが誕生普及したわけではない、と言えます。職人たちがイノベーションに積極的で、そのうえ、技術、スキルの公開性が顕著だったこと、イノベーションが(耐久)消費財生産において顕著だったことが、19世紀後半のアメリカ産業全体の急速な発展を支えていた、と言えます。イノベーションを相対価格だけで考えることは相当危険だ、と反省しました。
投稿: renqing | 2021年7月20日 (火) 22時14分
ほかの箇所には、とくに異議はないのですが、以下の部分、正しいでしょうか。
☆2)労働力節約/資源多投入型のイノベーションへの強い志向
☆ 「ヒト」が高価で、「モノ」が廉価なら、前者を節☆約し、後者を
☆より多く投入するタイプの産業技術イノベーションを、ヤンキーなら
☆追求することになります。
アメリカの賃金と物の価格とをくらべて、「「ヒト」が高価で、「モノ」が廉価」というためには、たとえばヨーロッパ、アジアの賃金と価格の関係を考えてのことでしょう。しかし、ヨーロッパの賃金と物の価格とをたとえばアジアと比べれば、18世紀のヨーロッパは「「ヒト」が高価で、「モノ」が廉価」となります。だから、イギリスで産業革命が起こったという説明がありますが、そんな簡単なことでしょうか。機械により人間の代替ができることを産業革命以前のひとたちは知っていたでしょうか。
投稿: 塩沢由典 | 2021年7月19日 (月) 03時37分