半世紀の時の篩に耐える第一級の思想史事典
本書(新版)の発行年は、昭和36(1961)年で、今を遡ること、60年前です。従いまして、1960年前後(と言うより戦前の)の思想史研究を前提に執筆されています。もしこれが数学辞典や理化学辞典なら、懐古趣味でもない限り、座右に置く意味はないのでしょうが、人文系の学問となるとそうでもないようです。本書は、半世紀の時の篩に耐えるコンテンツを擁している、と言ってよいからです。
本書名に「社会思想史」とあるため、なんだか古色蒼然とした第一印象を持ちます。21世紀の現代では、大学の専門科目でも教養科目でも、「社会思想史」なる講義名はあまり流行らないでしょう。古書店の店先の均一コーナーで投げ売りされかねません。むしろ忌避されそうな名称ですが、内容に鑑みて、今風にタイトルをつけるなら、「思想史辞典」が適当でしょう。Oxford やら Cambridge のUPあたりから出る、Companion(手引、必携)のように常に手許において、基本的なことを念のため確認するタイプと言っても良いと思います。
本書が半世紀を超えて生命を保っている大きな要因の一つに、大項目主義の編集方針に基づく各概説のクォリティの高さがまず挙げられます。現代ではコストの関係で項目執筆者にそういう余裕を与えられないしょう。他には、典拠/参照文献が明記されている点です。ただし、先述したように参照文献自体が、戦間期ぐらいまでのもので恐ろしく古いため、現代の研究文献リスト上には決してノミネートされないものばかりです。そこがむしろ現代では忘れられた古典的研究の再発掘の趣があり、「怪我の功名」的に重要です。また、知的道具として優れているのは、索引が充実していることです。人名、著作、事項、と3種類あり、それぞれ詳細です。当時、PCもなかったのですから、索引カード作りなどその労力が偲ばれます。もし本書がデジタル復刻され全文検索可能になったなら、さらに有益になるでしょうに、と惜しまれます。
私は全項目に眼を通した訳ではないので、その記述レベルを評価するリスクはかなりありますが、少なくとも私が読んだ(と言える)、「近代自然法(大道安次郎・執筆)」「保守主義(五十嵐豊作・執筆)」などは、思想史研究の昨今の流行に関係なく、啓蒙性と高度な内容を兼ね備えており、貴重です。
少々、古書としては値が張るような気もしますが、60年前の価格が1900円だったことを考慮すれば、むしろ reasonable なのかも知れません。60年安保の後で、高度経済成長が顕わになっていない、まだ「理想」も「生真面目さ」も冷笑されなかった時代の産物で、現代ではもう作れないタイプの思想史辞典でしょう。
追記すれば、古いタイプと言う意味では、版面が縦書きなのは、私としては嬉しい点です。文字を追う眼球の動きは、左右より上下の方が楽なので。縦書きのメリットです。
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