小説「ジョゼと虎と魚たち」(田辺聖子/1984年)②
amazonレビュー、をこちらにも再掲。〔①はこちら〕
「隠花植物の恋」
◆親に二度捨てられること
ジョゼは母親を知りません。赤ん坊のときに家を出てしまっていたからです。ジョゼが十四の時、父親が再婚した女は、車椅子つきで、さらに生理の始まったジョゼを、面倒くさがって施設へ入れてしまいます。人間の悪意というものが厳然として、そこ、ここにあることを、作者は見逃しません。その上に、祖母の死によって三度目が訪れます。
◆ユーモア
関西ことばのキャッチボールは、この重く辛い短編を浮揚する強力な武器です。
「めしはちゃんと食うとんのか、痩せてかわいそうに。顔、しなびとるやないか」
「あんた、アタイを哀れんでるのか、ゴハンぐらい食べとるデ。心配していらん!」
「また、来るわ」
「来ていらん!もう来んといて!」
「・・・ほな、・・・さいなら」
〔恒夫は仕方なく、ドアの前で靴を履こうとします〕
「なんで帰るのんや!アタイをこない怒らしたままで!」
「どないせえ、ちゅうねん」
「知らん!」
「クミちゃん」
「早よ帰り。早よ、帰りんかいな・・・。二度と来ていらん!」
〔ジョゼに過呼吸発作が出たのを心配して恒夫が近づくと〕
「帰ったらいやや」
〔ジョゼは恒夫にしがみつきます〕
「帰らんといて。もう、三十分でも居てて。テレビは売ったし、ラジオはこわれてしもたし、アタイ淋しかったんや・・・」
「何や。僕、テレビやラジオ代わりかいな」
「このラジオは返事するだけマシや」
◆「幸福」の身代わり
ジョゼは、恒夫との事実婚からようやく《幸福》を感じ始めます。しかし、ジョゼには「幸福」という言葉の持ち合わせがありません。そこで、作者は、《新婚旅行》がわりに観光地の水族館を訪れた夜更け、恒夫と布団にくるまったジョゼにこう呟かせます。
(アタイたちは死んでる。「死んだモン」になってる。)
(アタイたちはお魚や。「死んだモン」になった ― )
◆ジョゼ像
これは、本ひろ子氏装画の1987年角川文庫初版カバーが素晴らしいです。
アニメ版に欠けていたものは、「世界」からネグレクトされた娘ジョゼの、隠花植物のような恋といじらしくも大胆なエロス、そして「救い」としての大阪ことばです。
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