過去は「anchor」である/ The past is an "anchor"
塩沢由典氏の「カーン・ケインズ過程の微細構造」(1983年『経済学雑誌』大阪市立大)の、スラッファ経済における乗数効果の計算が、前々期、前期の変化を外挿して今期の需要量予想とするとマクロの産出量が発散してしまうのに対して、谷口・森岡方式では過去実績の数回平均を需要予想とするためマクロの産出量は収束する、という議論は、塩沢由典氏の『複雑さの帰結』(1997年NTT出版、pp.77-8)に記載されています。
私は、その記述を読んだ時は、「そういうものなのか」程度だったのですが、塩沢由典氏の『増補 複雑系経済学入門』(2020年ちくま学芸文庫)、pp.479-80補章を読んで思ったのは、過去のデータというものは、現在から未来にかけて投企せざるを得ない人間行動において、anchor の役割を果たしているのだな、ということです。
従いまして、上記の裏面として、現代の教科書的経済学の常識とは異なり、経済エージェントたちの「期待形成」ではシステムを不安定化させかねない、と言うことになります。
過去(の実績)を踏襲することは、保守固陋な心性と見なされがちですが、「既に実現」していること(feasibility)が判明で、近過去であれば、周辺の資源環境(resources)にも極端な違いもなく、三つの「合理性の限界」下にある人間にとり、十分「合理的」なのだ、ということです。世界の頑健性(robustness of World)への信頼も、迷い多き人間を支援するリソースとなる、と思い直しました。
「過去」とは、未来/世界に対して、局所的(local)に合理的な見通ししか持ちえない人間にとり、貴重な resources であり anchor でもあると言うべきでしょう。
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コメント
塩沢先生
いつも貴重なコメントありがとうございます。
>貨幣政策(金融政策と呼ぶべきかどうか)でできることはかぎられている
先生もよく指摘されるように、マクロの産出量を動かすのは有効需要ですから、貨幣政策で操作可能な変数が有効需要へ影響を与えられるか否かだけが問題となります。結局、公定歩合にしろ、マネーサプライにしろ、ダイレクトに有効需要を動かせず、間接経路でしか有効需要へ影響を与えられない。マネタリストはなにがあっても「支出政策」に触れたくない、という大前提があるということなのでしょう。政府の「支出政策」は、個人の自由な経済行動に中立的ではない、あるいは選択の自由を侵害する、という信条があるのだろうと思います。
投稿: renqing | 2022年1月 1日 (土) 00時37分
よいところに気付いてくれました。
アベノミクスの第1の矢(大胆な金融政策)を支えた思想は、次の2点でした。(1)マイルドなインフレーション(年2%ぐらい)は、経済/景気を活性化させる。(2)インフレをひきおこすには、ひとびとの期待に働きかけることが重要だ。
アベノミクスの経験が教えたことは、すくなくとも(2)はほとんど頼りにならない(政策手段としては使えない)ということでした。(1)は、これから結果が見えてくるでしょうが、来年になり年2%のインフレが実現しても、実体経済の景気はよくならないでしょう。これからおこるインフレは、典型的なコストプッシュ・インフレです。それで景気がよくなるとは、リフレ派の諸君もいわないでしょう。
貨幣政策(金融政策と呼ぶべきかどうか)でできることはかぎられているのに、フリードマン以来、われわれはいまだに貨幣幻想にとらわれているのではないかと思います。
投稿: 塩沢由典 | 2021年12月31日 (金) 05時02分