関 曠野とフェミニズム(1)
いま、関 曠野のなした仕事を顧みると、一つ顕著なことは、フェミニズム思想/運動にたいする積極的発言です。とりわけ、「家の平和と主権について」(1986年)と、ドロレス・ハイデン『家事大革命』(原書/1981年、邦訳/1984年)への書評(1986年)が重要でしょう。※1そこでこの忘れ去られようとしている二編を、ネット上で日本語/英語で accessible にしようと思います。まず、第一弾として、前者を掲載します。
※1 ともに、関 曠野『野蛮としてのイエ社会』1987年、御茶の水書房、に収載されています。
※2 記事(2)をご参照ください。
関 曠野「家の平和と主権について」1986年バハオーフェン(Johann Jakob Bachofen)やブリフォールト(Robert Briffault)の書を味読する暇もないままに書棚に埃まみれにしている私が、あえてフェミニズムについて語るとすれば、それは西洋の思想史・政治経済史をかじった者としての資格においてのことにすぎない。しかし現代のフェミニズムが提起しつつある問題が、旧来の女権拡張論や男女平等論の問題圏をはるかに超えるものであることは、私もわきまえているつもりである。女性は、かつてマルクスにとりプロレタリアートがそうであったように、己れの解放をつうじて全人類を解放すべき普遍的問題性をはらむ存在となった。それというのも、男女の性別という、自然が我々の身体に刻印した事実は、政治と論争の主題となることをつうじて、自然と文化の関係をめぐる現代の歴史的にして「存在論」的な危機と転機を象徴し要約するものとなっているからである。自然と文化の関係をめぐるそのラディカルな問いかけによって、フェミニズムは文明の底部における目立たないが巨大な地殻の変動を予告している。
だが私には、いわゆるマルクス主義フェミニズム(MF)とエコロジカル・フェミニズム(EF)の双方に、いささか異論と批判がある。例えば一部のMFが説く資本主義と家父長制との接合論には私は納得できない。「ツンフトやギルドの家父長関係からマニュファクチュアの貨幣関係へ」ということは、マルクス的な資本主義理解の決定的なポイントの一つである。マルクス主義の観点からすれば、マルクス派を自称するMFと反対に、近代世界における女性の抑圧や差別は、あくまで資本主義的貨幣関係が貫徹した結果として説明されねばならない。もっともMFの理論のひずみ(私にはそう見える)はMFの責任というより、貨幣関係すなわち「経済学的」な階級関係としてしか見ない古典マルクス主義の限界から生じたものといえよう。ここで必要なのは、貨幣関係をロゴス的一元的な象徴秩序とみる視点、ならびに現代社会において問題なのは、古典的階級ではなく様々な差別と隔離から構成されたヒエラルヒー秩序なのだとする視点である。このヒエラルヒー秩序においては、女性は女性であることを理由にたんなる下級労働者に還元される。性は実は性別とは無関係な差別の記号として使われている。
一方、女性を生命、自然、母性という観点から近代工業世界とは異質な存在として評価しようとするEFに対しては、女性的なるものを自然や霊性と同一視することで女性を一種の巧妙な政治的拘禁の対象としてきたロマン主義文学以来のブルジョワ文化の罠に女たちが再びすっぽりはまりはしないか、という危惧を覚える。EFはEFで、エコロジズム自体の思想的混乱を反映している。エコロジー運動は自然や生命のロマン主義的讃美と同一視されうるものではない。反対にエコロジストにとっては、人間はどこまでも技術と労働に規定され、自然の自ずからなる秩序から逸脱しがちな存在なのであり、それゆえに自然ではなく倫理と法によって規制されるほかない存在なのである。自然を自明な「与件」とみなすのはブルジョア・イデオロギーであり、その意味でロマン主義の文化と環境破壊の間には一つの逆説的な共犯関係が存在する。
一
MFとEFの各々の限界は、私見によれば双方共に「男性=文化/女性=自然」という、いわゆるオートナー・パラダイム[Ortner-Paradigm (Sherry B. Ortner)]の枠内に留まっていることに由来する。前者は女性を社会参加や地位の向上をつうじて自然から文化に引き上げようとし、後者は女性の徳を自然な存在たるところに求める。しかし現代の構造主義によって究極的に完成されたといえるこのパラダイムは、男性・国家・資本が女性を欺くためにでっちあげた嘘八百の政治的神話にほかならず、このパラダイムの実証的研究による破砕は現代の最も重要な課題なのである。残念ながらこの問題をここで論評することは不可能なので、基本的事柄だけを述べておこう。
人類が定住することを学び文明化への途を歩み始めた新石器時代における女性の技術者・実業者としての偉大な役割を発見し強調したことは、ヴェブレンと彼の影響を受けた技術史家マンフォードの不朽の功績である。料理を始めととして定住生活を可能にした技術のほとんど全てが女性によって ― 恐らく子供と老人を介助する必要から ― 開発されたものであることは疑う余地がない。そして物質に人間がエネルギーを加えてその化学的組成に変化を起こさせる行為という点では、料理は現代科学技術の原型なのである。
家と家族は自然な生物学的与件であるどころか、女性に主導された人類史上最初の「科学技術革命」の文化的効果として生まれた。また技術者としての女性はその文化革命をつうじて史上最初の法 ― 家の平和を生み出した。「我々はここで、戦争の要素と並んで平和の要素がいかに発達してきたかを振返って見ることにしよう。平和のルールと平和の制度が最古の文明からグループ相互間の関係においてすら打ち立てられていたことが分かる。家の平和 house peace は恐らくその最も単純な形態である。自然民族は往々にして人間をその住居の炉辺に葬り、この習慣から様々な習慣が芽生えて、死者の霊を生者の家のまどいに結びつけることになった。その結果、炉辺での争いや口論や腕力沙汰は死者の霊に対する侮辱であることになった。ここから炉辺の宗教的な神聖さの観念が生まれ、平和の雰囲気が創り出されて、家にいて炉辺で働く女たちはそれによって益を得たのである」(ウィリアム・G・サムナー)。註(1) 最古のゲルマン法は、この家の平和を中心に構成され、そこでは女性に対する不法行為は男性に対する行為よりも二倍から三倍も重い刑をもって罰せられた。
家の文化の司祭としての女性には、たんなる家事を越えて、死者の記憶を保ちつつ家の平和を守り抜き、機を織るように伝統を紡ぎ、若い命の裡にそれを再生させるという使命があった。その限りで女性的なるものは、戦士的なるもの及び若者的なるものと深い親和性をもつ。そして家の平和の発展は家の連合体としての農村や都市の誕生をもたらす。古代ギリシアのポリスに始まる西洋の市民権 citizenship の概念は、家の文化の延長線上に、「住むこと」の政治的な意義の発見として生じた。ポリスの文化が示しているのは、家の文化の否定ではなくその完成なのである。
現代人は近代的・議会制民主主義的偏見から、古代のポリスにおいては女性は政治的無権利状態の下に置かれ家父長の専制に虐げられていたと信じこむ傾向がある。しかし古代のポリスは農村化した都市(マルクス)なのであって、そこでは伝統的な農村にみられるように、家(オイコス)の文化のポリスに対する自立と優位および家における女性の主権者的地位は政治生活の自明な前提だったのである。そう考えなければソポクレスやアリストパネスの作品は説明がつかない。ちなみに女性が一家の大黒柱であるような「古代的」状況は、伝統的農村においては近代に入ってもかなり長く存続した。勿論そうした社会においても女性の差別や抑圧が全くなかった訳ではない。しかし伝統社会の女たちが男たちに抗議したことがないのも事実である。これを彼女たちの無知や諦念のせいにすることはできまい。
二
しかしながら西洋史を貫くアイロニーは、まさに市民権の理念として住むことの政治的意味を発見した西洋文明が、同時に家の文化と住むことの意味の解体に専念し続けてきたことにある。オイコスの主権は国家のオイコスに対する支配としてのオイコノミア(エコノミー)となる。というのも都市の可能性はまた商業と戦争の可能性をも意味し、この両者をつうじて文明化の過程はそのまま野蛮化の過程に転化しうるからである。この逆転の発端はローマのファミリアにある。都市化の過程に商業と戦争による利得と出世のための機会の増大しかみなかった古代ローマ人においては、家自体がそうした利得と権力追求の機会を前提とした奴隷制経営単位ファミリアとなり、妻と子は経営者たる家父長 pater familias が自由に酷使し売買できる動産奴隷となった。
文明化の名によるこの野蛮化に対応して、ローマ帝国の御用イデオロギーたるストア哲学は文化の頽廃と解体を「自然に戻ること」として説明し始めた。先のオートナー・パラダイムに関連して西欧の伝統的な自然概念を考察する際には、これは充分銘記さるべき事実である。家の平和の支配の下では、女性が文化を代表していた。しかるに男性は家父長奴隷制の下での家の文化の解体と死を自然の名で正当化し、やがて男性=文化/女性=自然へと価値基準を転倒させた。
ローマの家父長たちは各自の栄光 gloria を求めて家の平和と主権を解体し、家を奴隷制経営単位に再組織したが、キリスト教会は神の恩寵 gratia の名の下に、介入と操作に基づく家に対する福祉主義的支配を確立した。ここでも教会の民衆支配について詳しく論ずることはできないが、家の問題に関連して重要なことを二つだけ指摘しておきたい。
第一に、古代奴隷制社会をモデルに、無性にして不在の神を想像上の主人として組織された教会組織は、両性間の人間くさい拮抗作用に制約されることのない不死にして普遍的影響力をもつ、父なき抽象的家父長制を実現した。ここで官僚制権力による家の植民地化が始まる。
第二に、教会は軍事組織でも商業組織でもない純粋な人倫のみを根拠に成立する権力組織として、その支配を家の文化に似せて愛と庇護とサービスの名で正当化するものであるから、家の論理と教会の擬似家政的な権力の間に次第に区別がつかなくなってくる。
教会の民衆支配を契機として、西欧においてのみ、このような拡大された家政の形をとるインパーソナルな権力が成立し、これは教会から多くの遺産を引き継いだ近代国家の官僚制をも特徴付けていることなのである。他の文明にはこうした例は見られず、そこでは家および家族の秩序と、祭祀や軍事的暴力を基盤に民衆社会に寄生する形で成立している公権力との間には明確な一線が引かれている。
中国やイスラムその他の権力者たちは、家と農民の自生的で伝統的な自治の土台に上から介入しようとしたことはない。しかるに拡大された家政という形をとる西洋の官僚制権力だけが、ドイツ語の国家財政 Staatshaushalt という言葉が示すように、「経営」とか「財政」という概念をもっているのである。言い換えれば、西欧においては家はこのような権力によって、家と家族は租税や兵役の重荷を課されるに留まらず、家の文化の水準において徹底的に植民地化されたのである。
ここでは人間の生殖と生産と教育自体が権力の政策対象となる。秘蹟としての結婚をとりしきった中世教会のような、一般的結婚政策をもつ公権力などというものは他のどの文明で考えられるであろうか。そして家を植民地化する権力は、まさにその植民地主義のゆえに男と女の共同体としての家を否定し、同性の存在を普遍的な「人間」の概念に置きかえる。神学的な人間の概念は、近代世界においては生物学的なそれに変化する。
三
しかしながら中世の教会の家に対する支配は、十六世紀以降の資本主義社会の誕生と共に始まる資本と国家による家の植民地化に較べれば、そのほんの序曲にすぎなかった。生まれたばかりの資本主義はその安定した成長の条件として強大な国家権力を必要とし、絶対主義国家の王たちは国家を大きな家族になぞらえ、臣民たちの家父長として自らを正当化した。まず、ピューリタン、ついでロックのようなブルジョア・イデオローグはこの国家の家父長主義に反抗し、王制を打倒したが、反抗と解放は家族自体が教会と国家の多くの機能を引き継ぐ自律的な政治的・経済的・文化的単位となることを条件としてなされた。ピューリタン的家父長は、ローマの家父長のような強欲な奴隷制経営者だったのではない。彼らは俗世における聖職者として、妻への愛、子供への配慮の名の下に家族を支配した。だが、そこにこそ問題があるのだ。「女たちは結婚後は夫を愛しいつくしむことを期待され、それが彼らの神聖な義務であると教えられた。(中略)逆説的にも夫婦愛の最初の帰結の一つは、妻に対する夫の権威の強化であり夫の命令に服従しようとする妻の側の順応性の増大だった。これは、子供への関心の高まりが鞭打ちにより彼等の意志を挫こうとする決意を強めた逆説にも等しいものである」。註(2)
初期のブルジョアジーは彼らの利潤動機を明確に自覚せず、それを家族への愛、子供に豊かな財産と高い地位を残すための努力として捉えた。この近代ブルジョア的な家族への愛をつうじて、家族は私有財産の形成と保全、継承と蓄積の単位に還元されてしまったのである。
こうしてブルジョアの家族は地縁や親族関係から切り離された孤立した一世界となり、結婚と出産も資本主義的な投資と蓄積の論理に規定されることになった。親族以外の成員もふくむ中世的な家 household は直系の血縁者を核とする近代家族 family に次第にとって替わられたが、人種主義をはじめとする諸々の差別を生み出すこの血縁関係の強調は、共同体が生産した富の私的横領の上に成立するブルジョア的富の本性から必然的に出てくるものである。
資本主義が生み出した家族への敬虔なる愛は、宿命としての生物学的事実の拝跪になり終る。だが十九世紀後半までは、「家族から自由な」プロレタリアートについてのマルクスの言葉が示しているように、こうした近代的家族は上流社会の現象にすぎず、まだ地域経済の色が濃い農村や都市細民層の間では中世的な世帯の伝統が残存していた。前世紀以来の国民国家の完成および工業化と都市化の波が、このブルジョア家族の規範を全ての階層に強要し、核家族化の進行をもたらしたのである。
盲目の利潤動機と競争に支配される資本主義社会は、自らはいかなる共同体倫理も生み出しえないがゆえに、持続し安定した成長のためには、非資本主義的ゲマインシャフト的な要素をサーボメカニズムとしてそのシステム内に組み込む必要がある。つまり資本主義経済の自由でアナーキーな発展は、国家と家族の権威主義的構造の維持と強化なしには達成されえない。
しかしながら ― ここが肝心なのだが ― 資本主義は家族と国家において己と全く異質な要素をそのシステムに接合している訳ではないのだ。(もしそうならば家族と国家は資本主義体制を突き崩すための武器となりうる筈である)。反対にローマのファミリアやキリスト教会の民衆支配にその起源をもつ西欧的な家族や国家には、はじめから生殖と生産を経済合理的に管理する経営組織の要素が内在していたのであり、だからこそ両者の資本主義経済との見事な「接合」が可能となっているのである。してみれば六十年代のリブがまず近代的家族の解体を要求することから出発したことは、当然だったことになる。リブの要求は、大学解体を叫んだ若者たちの異議申し立てと同様に、巨大な変革に向けた欠くべからざる第一歩だったのである。
四
「拡大された家政」という形をとる西欧の権力の歴史は、このように家族それ自体に対する国家と資本の管理装置が、ますます一体化して日常的に見分けがつかなくなってくる過程だった。マイホーム主義者たること即国家主義者、「資本主義者」たることだった大戦後のケインズ主義的福祉国家・消費社会においてこの過程は頂点に達したといっていい。古代的な家の平和と主権の破壊、資本と国家の父なき家父長制による家の植民地化はここに完成された。
繰り返すが、資本主義の成立と発展に不可欠な条件の一つは、家政的権力による家の主権の否定、公権力の生物学的下部構造にまで家が解体・還元されることなのである。この点では、1936年のソ連のスターリン家族法はもっと研究される価値がある。というのもこの法は、たとえ国家社会主義国ソ連においてであれ、国家が国家たるためにはそれは家族に対しどのような態度をとらざるをえないかをよく示しているからである。
しかし六十年代以降のリブやフェミニズムの運動は、女性の地位がこれまで以上に絶望的に悪化したために生じたものではなく、反対にケインズ主義的な国家と経済の危機に伴う資本主義の統合力の弱まりをついて出現してきたものといえる。そして「北」の資本主義体制の危機が深まると共に、ここ十数年来、これほどの成長と変容をなしとげてきた文化の領域はほかにないといってもいい。エコロジズムがやがてフェミニズムの運動に吸収合併されてしまう可能性は充分にありそうだ。というのも、あの失われた家の平和と主権の回復が両者に共通の根源的な目標として、運動と理論の地平に今やゆっくりと浮上しつつあるからである。
フェミニズム運動は、一つの両面作戦を遂行することができるだろうか。すなわち孤立した核家族を地域と世界に開かれた社交的な家族、さらにはコミューンとしての家へと変革しながら、同時に上から押しつけられた抽象的な統一体の国家を家と家の連帯と連合に解体してゆくことができるだろうか。マイホーム主義の下でカプセル化し、今や崩壊寸前の家族を資本と国家に対抗する日常闘争の場としての家に逆転させることはできるだろうか。
だが本当の社会主義を構成するのは、こうした家の主権なのである。というのも、使用価値の宇宙である家が政治経済の究極の主体となり、公共の政治と経済が家と家の相互扶助の関係としてのみある場合には、資本蓄積の論理G‐W‐G´は本来の交換の論理W‐G‐Wに復帰するほかないからである。
しかしまた社会主義は、資本主義社会に蔓延する倒錯したモティヴェーションからの民衆の集団的な改心と転向という課題でもある。社会主義社会はその共同体倫理のゆらぎない存立のためには聖なるもの、世俗のエゴを抑制しそれをさし貫くような超越者を必要とするであろう。資本主義世俗化からの反転は、超越者との出会いなしにはありえない。ここにフェミニズムが引き受けるべきもっとも重要な課題があるのだ。
世俗化により超越者を見失った人間は、神の死の後にその身体に内在する異性という他者を見出し、我々の身体はその性への根源的分割をつうじて超越者が侵入してくる場所となった。だから我々は両性間の一致と平等ではなく、抗争と拮抗を期待しなければならない。そして両性の抗争が不当で隠微なものから晴れやかで生産的なものになり、抗争をつうじて我々の内なる他者としての異性と和解できる日が来るまでは、人間は解放されたとはいえないのである。
マルクス的な意味で根源的に生産的なもの、それはいかなる同一性も破砕して絶えず変容し生成する、この男と女の友情ある抗争なのである。
註(1)
Here, then, let us turn back and see how the peace-element develops alongside the war-element. We shall find that peace-rules and peace-institutions have been established, from the earliest civilization, even for the relations of groups with each other. House-peace is perhaps the simplest form. The nature-people very often bury a man under his own fireplace, and from this usage radiate various customs, all of which go to associate the ghosts of the dead with the hearthstone of the living. It follows that quarreling, brawling, or violence near the hearth is an insult to the ghosts. Hence arises a notion of religious sacredness about the hearth an atmosphere of peace is created, and the women who live in the house and work at the hearth profit by it.以上は、William Graham Sumner, War and Other Essays (1919), I War, p.16 の該当箇所の関による訳です。以下は、同じ段落の続きです。
The householder has a dignity and prerogative in his house, however humble his social position may be; hence the maxim that a man's house is his castle goes back to the beginning of civilization. It may be only a wind-shelter, but [17] the ghosts protect it; and any stranger, fugitive, suppliant, even an enemy, if admitted, comes under the house protection and hospitality while there. As the house becomes larger and better the peace-taboo extends from the fireplace to the whole house and then to the yard or enclosure. This is the house-peace.
上記の訳「家人は、たとえ社会的地位が低くても、自分の家には威厳と特権がある。だから、人の家は自分の城であるという格言は、文明の始まりにさかのぼる。家は風除けに過ぎないかもしれないが、幽霊が守ってくれる。見知らぬ者、逃亡者、依頼人、敵であっても、そこにいる間は家の保護ともてなしの下に置かれる。家が大きく立派になると、平和のタブーは暖炉から家全体へ、そして庭や囲いの中へと広がっていく。これが《ハウス・ピース》である。」
註(2)
Lawrence Stone "Rise of the Nuclear Family" in Charles E. Rosenberg ed. The Family in History, 1975. (pp.53-54)
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