菊池寛「私の日常道徳」大正十五年一月(1926年)
これは、『ちくま日本文学027 菊池寛 1888-1948』ちくま文庫(2008年)pp.449-51、にあります、菊池寛三十八歳の処世訓です。作家というより、成功する実業家(businessperson)のもの、といった感がありますし、意外にも方法的人間なのだ、と思い直しました。デカルトの『方法序説』を少し彷彿とした、とまで云うと大袈裟でしょうか。下記です。
これは、『ちくま日本文学027 菊池寛 1888-1948』ちくま文庫(2008年)pp.449-51、にあります、菊池寛三十八歳の処世訓です。作家というより、成功する実業家(businessperson)のもの、といった感がありますし、意外にも方法的人間なのだ、と思い直しました。デカルトの『方法序説』を少し彷彿とした、とまで云うと大袈裟でしょうか。下記です。
長田弘『世界はうつくしいと』2009年みすず書房、の「あとがき」に、ロラン・バルトのとても印象的な文が引用されています。
寛ぎは、試みの安らぎであるとともに、「倫理的な力」ももっている。「寛ぎとはありとあらゆるヒロイズムを進んで失うこと」(ロラン・バルト)であるからだ。(p.98)
そこで、バルトのどこに書いてあるのか、知りたくなりました。しかし、長田氏は何にも出典を明記していません。仕方なく四苦八苦の末、ようやく下記にたどり着きました。
中学生の国語教科書の冒頭には、たいてい散文の詩が掲げられます。私は、仕事で国語科を子どもたちに教えます。そのため、公立学校の教科書を読む機会もかなりあり、そういった「詩」もよく目にします。いつもなら、「既読スルー」するのですが、この詩はそれができませんでした。読んでうれしくなってしまったのです。そこで、娘さん、息子さんの教科書などを読むことなど普段皆無の方々にも知って頂きたいと思い立ち、弊ブログに掲載することと致しました。
国語3 光村図書(令和3年中学校国語教科書)より、【出典】長田弘『世界はうつくしいと』2009年4月 みすず書房pp.16-18
The following is an afterword to "Time and the Self" by Bin Kimura, published by Chuko Shinsho in 1982.
I am impressed by the concise and frank description by Kimura himself of the formation of his scholarship and the "behind-the-scenes" of his intellectual pursuits. We decided to republish it on our blog.
The above photo image was borrowed from History of the Classroom | About the Classroom | Nagoya City University Psychiatry, circa 1980.
His books have already been translated and published in several languages.
Scritti di psicopatologia fenomenologica : Kimura, Bin
Zwischen Mensch und Mensch. Strukturen japanischer Subjektivitaet
L'entre. une approche phenomelogique de la schizophrenie
Ecrits de psychopathologie phenomenologique
Tra. Per una fenomenologia dell'incontro
Strangely, however, there seems to be no English translation available. This article is an English translation of the Japanese version (supported by DeepL). I hope this will be a small clue that an English translation will be published.
以下は、木村 敏『時間と自己』1982年中公新書の「あとがき」です。彼の学問の成立、その知的探求の「舞台裏」が、木村自身の手により、簡潔、そして何より率直に書かれていて、一種の感銘を受けます。そこで弊ブログにも再掲したいと思いupすることにしました。
上記画像は、教室の歴史 | 教室について | Nagoya City University Psychiatry 様より、拝借致しました。1980年頃。
彼の著書は既に数か国語で訳され出版されています。
しかし、不思議なことに、英訳版はどうも皆無のようです。そこで、本記事の英語版(supported by DeepL)も別途upします。英訳が出る小さな手懸りになれば宜しいのですが。
首次发表于:《思想的话语》,思想,1948年9月,岩波书店。
资料来源:丸山真男,《战争与战后的岁月之间1936-1957》,1976年,三铃书房,《现代自由主义理论》第363-6页。
出典:丸山真男『戦中と戦後の間 1936―1957』1976年、みすず書房、pp.363-6
First published in: Words of Thought, Shiso, September 1948, Iwanami Shoten
Source: Masao Maruyama, Between the War and the Postwar Period 1936-1957, 1976, Misuzu Shobo, pp. 363-6
初出:思想の言葉、『思想』昭和23年9月号、岩波書店
出典:丸山真男『戦中と戦後の間 1936―1957』1976年、みすず書房、pp.363-6
以下是半个世纪前(1967年)林恩-怀特先生发表的不朽论文《我们生态危机的历史根源》的全文。
不幸的是,这篇论文已经被遗忘了。它在互联网上有一个PDF文件〔ダウンロード - lynnwhiterootsofcrisis.pdf〕,但我怀疑很多读者会费力去搜索它。然而,我决定将这篇文章发布在我的博客上,因为我认为将文章的文本放在互联网上会更好,使那些对环境危机感兴趣的人在搜索关键词时更容易找到它。但是,如果版权人要求删除该文章,我们会遵从其要求。
※原文为英文,但日文和中文的翻译将使用DeepL,并作为本文的单独文章发布。
※cf. 这篇论文被收录在.
LYNN WHITE, JR. Dynamo and Virgin Reconsidaered: Essays in the Dynamism of Western Culture, 1968, Massachusetts, The MIT Press
リン・ホワイト(青木靖三訳)『機械と神―生態学的危機の歴史的根源』1999(1972)年、みすず書房
以下は、半世紀前(1967年)に発表されたリン・ホワイトJr.の記念碑的論文「The Historical Roots of Our Ecological Crisis」の本文である。
この論文は、残念ながらすでに忘れ去られている。インターネット上でPDFファイル〔ダウンロード - lynnwhiterootsofcrisis.pdf 〕として公開されているが、わざわざ検索する読者は多くないでしょう。しかし、環境危機に関心を持つ人がキーワードで検索したときに見つけやすくするためには、インターネット上に記事の本文があった方が良いと考え、ブログに掲載することにしました。ただし、著作権者から記事の削除依頼があった場合は、それに応じます。
※原文は英語ですが、日本語(本記事)と中国語はDeepLで翻訳し、別の記事として掲載します。
※本論文の原論文(英文)、日本語訳は、それぞれ下記に収録されています。
LYNN WHITE, JR. Dynamo and Virgin Reconsidaered: Essays in the Dynamism of Western Culture, 1968, Massachusetts, The MIT Press
リン・ホワイト(青木靖三訳)『機械と神―生態学的危機の歴史的根源』1999(1972)年、みすず書房
The following is the text of the monumental paper "The Historical Roots of Our Ecological Crisis" published half a century ago (1967) by Lynn White, jr.
This paper has unfortunately already been forgotten. It is available as a PDF file 〔ダウンロード - lynnwhiterootsofcrisis.pdf〕on the Internet, but I doubt that many readers will bother to search for it. However, I have decided to post this article on my blog because I think it is better to have the text of the article on the Internet to make it easier for people who are interested in the environmental crisis to find it when they search for keywords. However, if the copyright holder requests that the article be removed, we will comply with the request.
※The original article is in English, but Japanese and Chinese translations will be made using DeepL and posted as a separate article from this article.
※cf. This paper is included in
LYNN WHITE, JR. Dynamo and Virgin Reconsidaered: Essays in the Dynamism of Western Culture, 1968, Massachusetts, The MIT Press
リン・ホワイト(青木靖三訳)『機械と神―生態学的危機の歴史的根源』1999(1972)年、みすず書房
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