菊池寛「私の日常道徳」大正十五年一月(1926年)
これは、『ちくま日本文学027 菊池寛 1888-1948』ちくま文庫(2008年)pp.449-51、にあります、菊池寛三十八歳の処世訓です。作家というより、成功する実業家(businessperson)のもの、といった感がありますし、意外にも方法的人間なのだ、と思い直しました。デカルトの『方法序説』を少し彷彿とした、とまで云うと大袈裟でしょうか。下記です。
菊池寛「私の日常道徳」大正十五年一月(1926年)
一、私は自分より富んでいる人からは、何んでも欣んで、貰うことにしている。何の遠慮もなしにご馳走にもなる。総じて私は人から物を呉れるとき遠慮はしない。お互に、人に物をやったり快く貰ったりすることは人生を明るくするからだ。貰うものは、快く貰い、やる物は快くやりたい。
一、他人にご馳走になるときは、出来るだけたくさん喰べる。そんなとき、まずいものをおいしいと云う必要はないが、おいしいものは明らかに口に出してそう云う。
一、人といっしょに物を食ったとき、相手が自分よりよっぽど収入の少い人であるときは少し頑張ってもこっちが払う。相手の収入が相当ある人なら、向うが払うと云って頑張れば払わせる。
一、人から無心を云われるとき、私はそれに応ずるか応じないかはその人と自分との親疎によって定める。向うがどんなに困っていても一面識の人なれば断る。
一、私は生活費以外の金は誰にも貸さないことにしている。生活費なら貸す。だが知己それぞれ心の裡に金額を定めていて、この人のためにはこの位出しても惜しくないと思う金額だけしか貸さない。貸した以上、払ってもらうことを考えたことはない。また払ってくれた人もない。
一、約束は必ず守りたい。人間が約束を守らなくなると社会生活は出来なくなるからだ。従って私は、人との約束は不可抗力の場合以外破ったことがない。ただ、時々破る約束がある。それは原稿執筆の約束だ。これだけはどうも守り切れない。
一、貴君のことを誰がこうこう云ったと云って告げ口する場合、私は大抵聞き流す。人は、陰では誰の悪口でも云うし、悪口を云いながら、心では尊敬している場合もあり、その人の云った悪口だけがこっちへ伝えられてそれと同時に云った賞め言葉の伝えられない場合だって非常に多いのだから。
一、私は遠慮はしない。自分自身の価値は相当に主張し、またそれに対する他人からの待遇をも要求する。私は誰と自動車に乗っても、クッションがあいているのに補助座席の方へは腰をかけない。
一、自分の悪評、悪い噂などを親切に伝えてくれるのも閉口だ。自分が、それを知ったため応急手当の出来る場合はともかく、それ以外は知らぬが仏でいたい。
一、私は、往来で帯がとけて歩いている場合などがよくある。そんなとき注意をしてくれるといつもイヤな気がする。帯がとけているということは、自分で気がつかなければ平気だ。人から指摘されるということがいやなのだ。そんなことは、人から指摘されなくてもやがて気がつくことだ。人生の重大事についても、これと同じことが云えるかも知れない。
一、人への親切、世話は、慰みとしてしたい。義務としてはしたくない。
一、自分に好意を持っていてくれる人には、自分は好意を持ち返す。悪意を持っている人には悪意を持ち返す。
一、作品の批評を求められたとき、悪い物は、死んでも、いいとは云わない。どんなに相手の感情を害しても。だが、少しいいと思う物を、相手を奨励する意味で、誇張して賞めることはする。
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