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2022年6月 9日 (木)

木村敏『時間と自己』1982年中公新書「あとがき」

 以下は、木村 敏『時間と自己』1982年中公新書の「あとがき」です。彼の学問の成立、その知的探求の「舞台裏」が、木村自身の手により、簡潔、そして何より率直に書かれていて、一種の感銘を受けます。そこで弊ブログにも再掲したいと思いupすることにしました。

彼の著書は既に数か国語で訳され出版されています。

 しかし、不思議なことに、英訳版はどうも皆無のようです。そこで、本記事の英語版(supported by DeepL)も別途upします。英訳が出る小さな手懸りになれば宜しいのですが。

 

あとがき(pp.186-193)

 時間とはなんだろう、という疑問を、私はどうやら随分前から心の片隅に抱いていたのだと思う。『分裂病の現象学』の序論にも書いたことだが、学生時代から音楽の中に、そして詩の中にも時間を聴きとっていて、それをなんとなく自分の存在感のようなものと結びつけて感じていた。もちろんそのころは、まだそれをきちんとした問いの形で表現することはできなかったけれども、時間という問題が私の頭から離れなかったことは確かである。

 精神科に入ってビンスヴァンガーの勉強をはじめ、ある程度哲学書を読むようになってから、時間を非連続の連続とみる西田幾多郎の思索と、存在の意味は時間であるというハイデッガーの考えとが、私自身の経験にもっとも近いように思われた。

 精神科医になって最初に書いた離人症の論文で、私ははじめて時間と自己との関係について多少まとまった考えを持つようになった。時間が時間として流れているという感じと、自分が自分として存在しているという感じとは、実は同じ一つのことなのだと私に明確に意識させてくれたのは、この論文で扱った一人の女性患者だった。私はいまでもこの女性に深い感謝の気持をいだいている。

 その後はしばらく鬱病者の罪責体験の仕事をしていたが、「すまない」、「とりかえしのつかないことをしてしまった」という患者の自責感について私なりに考えていた「現在完了の未済」とでもいうべき時間様態と、ちょうどそのころ識り合ったテレンバッハ氏が「自分自身の背後に取り残される」という形でまとめた鬱病者のレマネンツ構造とが同じ事態を指していることがわかって、精神病の時間構造を考えて行く上での一つの道が拓かれたように感じた。しかし、それだけのことならば、ゲープザッテル、シュトラウス、ミンコフスキーなどが昔から書いている鬱病者の時間構造から一歩も出るものではない。鬱病の時間論を私なりに仕上げるためには、鬱病とはあらゆる点で異なった人間的現実を基盤にして出現する分裂病についても時間構造の特性を発見して、これを鬱病の時間構造と対比する必要があった。

 ところが、すべての分裂病者に共通の特徴的な時間構造を見出すという仕事は、それほど容易なことではなかった。ミンコフスキーやビンスヴァンガーをはじめ、多くの精神病理学者が分裂病の時間性について論じてきたけれども、そのどれひとつとして、私が実際に識っている多数の分裂病者から、私が直観的に感じとっていた印象を、ぴったりと言いあてているものはなかった。この不満は、従来の時間論が分裂病者の発病後に示す病的症状についての時間論ではあっても、それらの症状の背後にあって真に分裂病の特異性を示している基礎構造の時間論にはなっていないところから来ているように、私には思われた。

 私にとって分裂病の基礎構造というのは、最初から、自己の個別的自己性の成立にかかわる問題であった。このような基礎構造は、そのままの形では症状に現れてこない。それは、精神病の症状というものがそのまま病気の外部への現れなのではなくて、患者の自己が不可視の病気と対決している姿の表現だからである。つまり症状とは、危機的な事態に対して患者が能動的に示す一つの応答にほかならないからである。

 このような眼で見ると、分裂病性の基礎的事態に対する応答としては、臨床的な分裂病症状だけが唯一のものではないということになってくる。社会的にもっと有効な、あるいはすくなくとも無効ではない応答というものもありうるのであって、それは例えば詩人や芸術家、科学者などのような天才人たちのうちにも、私たちの周囲のいわゆる分裂気質者のうちにも見出せるような生きかたである。

 分裂病の患者からそういった健常な分裂病親和者へと眼を広げるうちに、私はひとつのことに気がついた。それは、彼らの意識や行動が不均合いに未来志向的だということである。苦境に立ったとき、彼らはきまって未来へ向って走ろうとする。どんな場合にも、いつも「次の一手」を探している。二手も三手も先を読もうとする。鬱病親和的な人もそれなりに将来を気遣って取り越し苦労をするけれども、分裂病親和的な人の先走りはそれとはどこか本質的に違っている。鬱病圏の人が現状を維持するために先を見ようとするのだとすれば、分裂病圏の人は現状から逃れるために先に走ろうとするのだといってよい。

 私は、この一点にこそ分裂病者の時間構造の特徴があるのだと思った。たまたま読んでいたガベルの本に出てくる「アンテ・フェストゥム ante festum」という言葉が、この未来先取的な意識構造を表すのに恰好の表現のように思われた。そうすると、鬱病者の意識構造はその対語である「ポスト・フェストゥム post festium」という表現で言えることになる。日本人のくせに、欧米の精神医学にも採用されていない術後を横文字で作ることには気恥ずかしさがあったが、あまりにも誤解を招きやすい「未来志向」、「過去志向」などの表現よりは使いやすいと考えたのである。

 ところで、私が精神病理学的に関心を向けているのは、分裂病や鬱病だけではない。ずっと若いころに非定型精神病の脳波に現れる癲癇性の変化を調べていたときから、癲癇においてもっとも劇的に現れるような意識の不連続性が、多くの精神病の重要な構成契機になっているのではないかと思っていたし、この問題をつきつめるためには、まず癲癇そのものの構造を知らねばならないと考えていた。

 従来、癲癇患者の精神構造を人間学的に考えて行くための手懸りになるような、まとまった性格構造としては、「類癲癇性格/エピレプトイード」というかなり偏った性格類型しか整理されていなかった。そこへ、やはり私が親交をもっているドイツのヤンツという癲癇学者が「覚醒癲癇型」という斬新な性格論を提出してくれて、私の考えは大きく広がった。この覚醒癲癇型の性格類型は、非定型精神病や両極型の躁鬱病など、意識の連続性の変動を特徴とする多くの精神病の患者に見られる性格的特徴と、本質的に近縁のものであることがすぐに見てとれたからである。

 覚醒癲癇型の性格を基本において癲癇の患者を見て行くうちに、私は彼らの存在構造においてもっとも重要な時間契機が現在の一瞬であるということに気づくようになった。それと同時に、この現在の一瞬こそは、人間が永遠の死と真正面から向き合って存在の充溢を生きる輝かしい瞬間のことではないのか、とも考えるようになった。

 若いころに京大の辻村公一教授の指導でハイデッガーを読んでいたころ、辻村さんがふと洩らされた「ハイデッガーと西田先生の違いは、ハイデッガーでは将来が中心になるのに西田先生では現在が中心になることだ」という言葉が、その後もずっと私の心を離れなかったが、癲癇に関係して「現在」という時間のことを考えているうちに、禅の考えはずいぶん癲癇的だと思うようになった。大疑現前から百尺竿頭一歩を進めて、大死一番乾坤新たなりという境地で父母未生以前の自己に出遭うなどという構造は、癲癇的な現在の生きかた以外では不可能である。

 私は、このような意識構造のありかたを「イントラ・フェストゥム intra festium」と呼ぶことにした。この表現は、それまでに思いついていた「アンテ・フェストゥム」、「ポスト・フェストゥム」と揃えるために私自身が作り出した用語であるけれども、「祭のさなか」などという意味をもつこの用語を作った気持の背後には、どこか癲癇発作を一種の祝祭として見ようという考えが隠れていた。

 私は専門外の本をあまり読まない方なので、文化人類学のことについてもまったく無知だけれども、それでも現在の文化人類学において、山口昌男氏らを中心として祝祭論が一つの大きなテーマになっていることぐらいは知っていた。それだけに、門外漢で知識のない私が祝祭のことで意見を述べるのは大それたことのように思われたが、精神科医というものは何事にも厚かましく口出しをするものだという、考えてみれば不名誉な既成観念を隠れ蓑にして、祝祭論としての癲癇論といったものを構想してみることにした。死を祝祭の不可欠の構成契機として考えるという最近の祝祭論の考えかたが、私を力づけてくれたのだと思う。

 私はつねづね、人間に関するいかなる思索も、死を真正面から見つめたものでなければ、生きた現実を捉えた思索にはなりえないのではないかと思っている。もちろん、この死というのは個人個人の有限な生と相対的に考えられた、個別的生の終焉としての死のことではない。生の源泉としての死、生が一定の軌跡を描いたのちに再びそこへ戻って行く故郷としての死、私たちの生にこれほとまでの輝かしさと、同時にまたこれほどまでの陰鬱さを与えている包括者としての死のことである。私たちの生は、その一刻一刻がすべて、この大いなる死との絶えまない関わりとして生きられているのであろう。

 私たちは自分自身の人生を自分の手で生きていると思っている。しかし実のところは、私たちが自分の人生と思っているものは、だれかによって見られている夢ではないのだろうか。夢を見ている人が夢の中でときどきわれに返るように、私たちも人生の真只中で、ときとしてふとこの「だれか」に返ることができるのではないか。このような実感を抱いたことのある人は、おそらく私だけではないだろう。

 夜、異郷、祭、狂気、そういった非日常のときどきに、私たちはこの「だれか」をいつも以上に身近に感じとっているはずである。夜半に訪れる今日と明日のあいだ、昨日と今日のあいだ、大晦日の夜の今年と来年のあいだ、去年と今年のあいだ、そういった「時と時のあいだ」のすきまを、じっと視線をこらして覗きこんでみるといい。そこに見えてくる一つの顔があるだろう。その顔の持主が夢を見はじめたときに、私はこの世に生まれてきたのだろう。そして、その「だれか」が夢から醒めるとき、私の人生はどこかへ消え失せているのだろう。この夢の主は、死という名をもっているのではないのか。

 私たちが科学的真理とみなしているものも、合理的思考と呼んでいるものも、こう思えばすべて夢の中の迷妄にすぎないことになる。私たちが時間とか自己とかの名で語っているものも、夢の中以外にはどこを探しても存在しないまぼろしではないのだろうか。

 しかし、たとえはかない夢でであってもまぼろしであっても、私たちはいったんこの「だれか」の夢に登場してしまった以上は、この夢の中で生き続けなくてはならないのだろう。そのためには夢の中の論理をも求めなくてはならないのだろう。ただ、私たちが普段確かな現実だと思いこんでいるこの人生をひとつの夢として夢見ているような、もうひとつ高次の現実が私たちのすぐ傍らに存在しているらしいということだけは、真理に対して謙虚であるためにも、ぜひとも知っておかなくてはならないように思う。


 中公新書の加納信雄さんから、時間論をまとめてみるようというお誘いがあったのは、もうかれこれ5年も前のことだったろうか。時間のことはそれ以後もずっと考えたり、いくつかの論文に書いたりしてきたのに、これを一冊の本にまとめるというふんぎりがつかないまま、いまになってしまった。ずいぶんぐずぐずしたあげく、今年の夏、もうそろそろ年貢の収めどきだと思って一念発起、一息に書き上げてしまったのがこの本である。書きはじめてから準備不足、勉強不足をあらためて痛感したがあとのまつりで、この機会を逃したら今後また当分はその気にならないだろうという気持だけを支えにして書き終えてしまった。しかしともかく、まがりなりにも私の漠然とした考えに形をつける機会を与えて下さった加納さんに、心から感謝している。

昭和五十七年秋 木村 敏

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