「後期高齢化」社会の現実
日本列島では、2022年9月現在で、人口年齢構成は以下のようになっています。
総人口:1億2500万人
15歳未満:1500万人(12%、総人口比)
15歳以上64歳以下:7400万人(59%)=生産年齢人口
65歳以上:3600万人(29%)
〔うち、75歳以上:1900万人(16%)=後期高齢者〕
日本列島では、2022年9月現在で、人口年齢構成は以下のようになっています。
総人口:1億2500万人
15歳未満:1500万人(12%、総人口比)
15歳以上64歳以下:7400万人(59%)=生産年齢人口
65歳以上:3600万人(29%)
〔うち、75歳以上:1900万人(16%)=後期高齢者〕
以下に転載する文は、いまから49年前の対談の記録です。中央公論社から半世紀前に全50巻で出版された叢書『日本の名著』中の、第16巻「荻生徂徠」付録に掲載されたもので、この巻の編者尾藤正英氏(徳川思想史)と日野龍夫氏(徳川文学史)のお二人による対談です。ご両人とも既に鬼籍に入られておられます。
大日本帝国の「アジア・太平洋戦争」が、1945(昭和20)年に、連合国軍への無条件降伏で幕を閉じて以降の約25年間、石油ショック以前の、いわゆる「戦後」期において、徳川期の政治思想史における荻生徂徠像は、1952年に出た、丸山真男著『日本政治思想史研究』東京大学出版会(ただし、収録された論文はすべて戦時下に発表された業績)の強い影響下にあるものでした。それは要するに、モダンな、白「徂徠」だったと言ってよいでしょう。日本近世の政治思想史の展開において、肯定的に徂徠を位置づけたものでした。
この中央公論社の『日本の名著 第16巻』に収められた、尾藤氏の解説論文「国家主義の祖型としての徂徠」(以下掲載の講談社学術文庫版にも収録)が提出した徂徠像は、丸山氏の白「徂徠」とは真逆の、黒「徂徠」でした。その後、対談者の日野龍夫氏による《文学としての徂徠学派》研究も現れて、徂徠、および徂徠学派の文学運動としての側面からも光があてられ、戦後/高度成長期「徂徠像」は根本的に転換して今日に至っています。反民主主義思想家としての荻生徂徠、です。
つまり、この対談は、戦後の徂徠像の根本的修正に大きな影響を与えた、お二人の碩学の対談ということになります。それだけに貴重であり、また会話体ですから、議論の流れも理解し易いものになっています。徂徠の功(白い徂徠)と罪(黒い徂徠)をともに語っている点も見逃せません。私にとり、とりわけ興味深かった議論は、日野氏(下記日野氏著作にも関連論文収載)の語る、文学運動としての徂徠派、あるいは、自我解放の文学としての江戸期戯作、でした。
一方で、この対談が今後、活字化(テキスト化)される可能性は限りなくゼロに近いでしょう。著作権継承者たちはいらっしゃるでしょうが、対談でもあり、お二人の拾遺集のようなものが編まれても、複数の著作権がからむため、まず日の目を見ることはないでしょう。そのため、このまま歴史の絨毯の下に埋没してしまうのを恐れ、不肖私がデジタルテキスト化致しました。著作権継承者の方々から削除要請がくれば従いますので、それまで掲載させて頂ければ幸甚です。
荻生徂徠「政談」 講談社学術文庫2013/1
江戸人とユートピア 岩波現代文庫2004/5
日本の国家主義—「国体」思想の形成 岩波書店2014/5
弊記事、「鐘」と「撞木」の弁証法、あるいは、プロンプトエンジニアリング: 本に溺れたい
に、コメントを頂きました。その返信を書いているうちに長くなってしまいましので、改めて記事化すことしにしました。
It is said that when asked about the secret of writing, Mori Ogai replied, "First, clarity, second, and third". This is one of the definitive attitudes of a writer toward writing. It is well known that Stendhal modeled his writing on the "Napoleonic Code" and created a style of rare clarity. In fact, it is this kind of lucid writing that is the most difficult for the layman to imitate and the most subtle to taste with the tongue. This is because it is the opposite of tastelessness, and yet it is the opposite of tastelessness.Here is what Herbert Read said about Hawthorne's writing style. It seems to me that this is a very lucid definition of what "lucid writing" is all about. Herbert Read says the following:
鴎外は人に文章の極意を聞かれて、一に明晰、二に明晰、三に明晰、と答えたと言われております。これは作家の文章に対する一つの決定的態度であります。スタンダールが『ナポレオン法典』を手本にして文章を書き、稀有な明晰な文体を作ったことはよく知られていますが、実は最も素人に模写し難い文章、舌で味わうにはもっとも微妙な味をもっている文章は、こういう明晰な文章なのであります。何故ならばそれは無味乾燥と紙一重であって、しかも無味乾燥と反対のものだからであります。このような文章について、ハーバート・リードがこう言っております。これはホーソンの文体について言ったものでありますが、私にはこれが「明晰な文章」というものに関する、非常に明晰な定義であると思われる。
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