« 佐藤竹善「ウタヂカラ CORNERSTONES4」2007年CD | トップページ | 有田焼のマグカップ/ Arita porcelain mug »

2024年4月22日 (月)

愚かな勉強法と賢い勉強法/ Stupid, or Smart Study Methods

Quora、というQ&Aサイトでたまたま見かけたのが下記。

(25) 頭の悪い人間のする勉強方法は? - Quora

ある回答者は、以下のように返信しました。

「解ってから先に進むと言うのが一番下手な勉強法です。」
「解らなくても良いからどんどん先に進む。ただし進みっぱなしでは駄目です。時々戻ってこなくてはならない。そうすると、あの時解っていなかったことが、驚くほど簡単に解っていることに気がつく。螺旋状の輪を描きながら先に進んで行くのです。」

これは素晴らしい回答だと思いました。

私なりに、この回答が優れている理由を謎解きしておきましょう。
下の図を見てください。(下記の図は、Wikipedia様「ベン図」から拝借しました。Wikipedia様ありがとうございました。


「わからない」という状況は、Aという知識領域にいる人物が、Bという領域を考察することです。

「わかる」という状況は、Bという知識領域にいる人物が、Aという領域を考察することです。

したがいまして、Bという知識領域を「わかる」ためには、Bを部分領域として包含するより広い C領域に到達して振り返ってみることで、結果的に、「ああ、なるほど、そういうことだったのね。」と合点がいく訳です。

かつて、J.S.Mill は、人間の持っている知識というものは、例外なく half-truth だと表現しました。なぜなら、人間の持っている合理的な推論能力、あるいは理性には、当然、限界があるからです。H.A.Simon の bounded rationality ですね。

したがいまして、人間がどれほどジタバタしても、whole-truth には到達できません。しかし、それは別に気に病むことではありません。なぜなら、ある half-truth 状態から、それを部分として含むより大きな half-truth に移行することが禁じられているわけではないからです。

だから、多少わからないことがあっても、とりあえず、先へ進む。そうしてしばらくすると、より広い領域をすでに渉猟していたり、より高い見地に到達できていたりします。その高みから、かつてわからなかったことを眺めてみると、かつてわからなかったB領域だけでなく、より広いC領域のまだ未着手の領域でさえも、ある程度見当が付くことに気付きます。それは、知識というものが、断片の寄り集まりではなく、一つの集合体として意味や文脈 context を有することを手掛かりに、自分の中の欠けた1ピースを全体像の中にはめこむことが可能だからです。

こうなりますと、知識の獲得過程とは、指数関数に類比できます。下記をご参照ください。

https://qph.cf2.quoracdn.net/main-qimg-ab75f99ef4425a1c3357d25b99e13324

(24) 勉強のやる気がでるような言葉を掛けてくださらん? - Quora より

なにしろ、新しい事象/知識であっても、大抵は「ああ、あれは、これのことね」と見当がついてしまうのですから、知識は倍々ゲームで増殖することになります。

すると、この問題の肝は、この境界/閾値の壁を乗り越えるまで、頑張れるか、否か、に帰結されます。このしんどいメンタルな状況を乗り越えるエネルギーは、知的能力(DNAの部分も影響する)というよりは、「三度の飯より好き」といった情念から供給されるのだろうと思われます。別に negative な passion でも、です。「愛憎」ってい言いますものね。

自動車(人間)は、ハンドル(理性)だけでは決して動きません。ガソリン(情念)が不可欠です。暴走は勘弁してもらいたいですが、ガス欠で動かないのでは、何事も始ならない、という訳です。

|

« 佐藤竹善「ウタヂカラ CORNERSTONES4」2007年CD | トップページ | 有田焼のマグカップ/ Arita porcelain mug »

知識理論(theory of knowledge)」カテゴリの記事

科学哲学/科学史(philosophy of science)」カテゴリの記事

複雑系(complex system)」カテゴリの記事

学習理論」カテゴリの記事

Mill, John Stuart」カテゴリの記事

Shiozawa, Yoshinori(塩沢由典)」カテゴリの記事

コメント

遍照飛龍 様
コメントありがとうございます。

太極拳の名人の挿話、まさにその通りですね。本物のプロフェッショナル(達人)だからこそ、実感をこめて出てくる言葉だと思います。

「完全主義って、現実には不可能なことを追い求める狂気」

自分を、俺もまだまだだな、と照れ笑いしながら謙虚に客観視して、より高い次元を求めることと、完全な自分を想定して、それに対して欠けている自分を否定してしまう、のでは、人間の成長において雲泥の違いを生み出してしまいますね。

なかなか難しいことではありますが、自分を笑える余裕の有無、のような気がします。

近代日本人(=明治以降の日本人)に切実に欠けていたもの、とは、「自分を笑ってしまえる」理性、だったように思います。

投稿: renqing | 2024年5月 2日 (木) 12時18分

>「解ってから先に進むと言うのが一番下手な勉強法です。」
>「解らなくても良いからどんどん先に進む。ただし進みっぱなしでは駄目です。時々戻ってこなくてはならない。そうすると、あの時解っていなかったことが、驚くほど簡単に解っていることに気がつく。螺旋状の輪を描きながら先に進んで行くのです。」

たしかにそうですよね。

>その高みから、かつてわからなかったことを眺めてみると、かつてわからなかったB領域だけでなく、より広いC領域のまだ未着手の領域でさえも、ある程度見当が付くことに気付きます。

太極拳の中国人の名手が、そんなこと言ってました。「7割でも習得出来たら、次のレベルの事を修行する。それで前に修行していたことでわからなかったことがわかるようになる」
ていう風に。

完全主義って、現実には不可能なことを追い求める狂気なのでしょうね。

投稿: 遍照飛龍 | 2024年5月 1日 (水) 10時03分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 佐藤竹善「ウタヂカラ CORNERSTONES4」2007年CD | トップページ | 有田焼のマグカップ/ Arita porcelain mug »