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2024年5月13日 (月)

書評:関 良基『江戸の憲法構想 日本近代史の〝イフ〟』作品社 2024年3月

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関 良基『江戸の憲法構想 日本近代史の〝イフ〟』作品社 2024年3月

本書は、関 良基氏の手になる、「明治維新」を再考する三作目の著書です。
1)『赤松小三郎ともう一つの明治維新 ―テロに葬られた立憲主義の夢』2016年12月
2)『日本を開国させた男、松平忠固 ―近代日本の礎を築いた老中』2020年7月
これで、関 良基氏の「幕末維新」三部作(すべて作品社刊行)が世に問われたと言ってもよいでしょう。

本書を論ずる枕には、一つの推薦文を置くことが適切であろうと思います。江戸文学/比較文化研究者である田中優子氏(前法政大学総長)のものです。

「日本を、江戸時代からやり直したくなる。いや、やり直さなければならない。
強くそう思わせる、驚くべき著書だ。現代日本を見ていて「何かおかしい」と感じ続けている。近代と戦後日本は、もっと別の可能性があったはずだ。なぜ日本の近代は天皇制となり、その結果、あのような戦争に突入して行ったのか?戦後になったというのに、なぜ藩閥政治のような考え方が今でも世襲的に繰り返されているのだろう? なぜマルクス主義者たちは国粋主義者と一緒になって江戸時代を否定したがるのか? これらは明治維新のもたらしたものではないのか? 本書は、それらの謎を解く、新たな入り口を開けてくれた。発想の転換だけではなく、価値観の転換を迫られる。」


1.【本書目次】

はじめに――“江戸の憲法構想”と“もう一つの近代日本”を求めて
第Ⅰ部 徳川の近代国家構想――もう一つの日本近代史の可能性
 第1章 よみがえる徳川近代史観――尾佐竹猛と大久保利謙
 第2章 慶応年間の憲法構想――ジョセフ・ヒコ、赤松小三郎、津田真道、松平乗謨、 西周、山本覚馬
 第3章 サトウとグラバーが王政復古をもたらした

第Ⅱ部 徹底批判〈明治維新〉史観――バタフライ史観で読み解く
 第4章 〈皇国史観〉〈講座派史観〉〈司馬史観〉の愛憎劇
 第5章 唯物史観からバタフライ史観へ
 第6章 丸山眞男は右派史観復活の後押しをした
 終章 福沢諭吉から渋沢栄一へ

あとがき 〝近代日本の記憶のあり方〟と〝未来の歴史〟を変えるために
注/人名索引


2.【紹介】
本書の一貫した主題は、あり得たはずの“もう一つの近代史”の説得的提示です。

第1部では、既に〝江戸時代〟には、近代主権国家の必須要件である「憲法」が、自生的かつ幾つも構想されていた事実、およびその「証拠」を列挙します。

まず、戦前においても、日本のもう一つの〝近代〟の可能性を論じた二人の史家、尾佐竹猛と大久保利謙を取り上げ、それに導かれる形で、より詳細かつ具体的に、6名の憲法構想者とその憲法案を取り上げて比較検討します。

第Ⅱ部では、「証拠」があるにもかかわらず、明治以降の歴史学が、それらの歴史的証拠(evidence)をなぜ軽視したり、無視できたのか、その理由を考察します。

具体的に俎上に上るのは、戦前の文部省編『維新史』、司馬遼太郎、井上清、遠山茂樹、丸山眞男、等の議論です。それらの比較検討の結果、〈皇国史観〉〈講座派史観〉〈司馬史観〉および丸山眞男の維新史観、これらの評価軸がみな共通して、長州/薩摩連合による「武力倒幕」を肯定しており、その意味で、これらは、本質的に共通性がある、としています。私流に言い換えれば、〈同じ穴の狢ムジナ〉となりましょうか。

そして、Ⅰ部とⅡ部の接続部、つまり、第Ⅰ部のおわりに、第3章「サトウとグラバーが王政復古をもたらした」を挟みます。これによって、「江戸」から「明治」にかけて、歴史が「進歩」ではなく「退歩」してしまった歴史の”捻じれ”、の実例とします。著者関 良基氏はこれを、

「覇権国の軍事支援があれば、前近代は近代に勝利し得る。明治維新とはそういうことなのだ。」第4章「〈皇国史観〉〈講座派史観〉〈司馬史観〉の愛憎劇」、本書、p.149

と簡潔に(冷徹に?)表現しています。著者にこのような歴史観の洞察を可能にしたものが、第5章で論じられる複雑系科学に基づく「バタフライ史観」です。

本書で展開されてきた議論を総括するのが、終章「福沢諭吉から渋沢栄一へ」です。著者は、これまでの歴史学において、何故、渋沢栄一が過小評価され、福沢諭吉が過大評価されてきたのか、その由来を尋ねます。

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ダウンロード - 福沢諭吉vs.渋沢栄一

上記の比較考察から、著者はこう述べています。

「渋沢は、数多くの会社経営のかたわらで、・・・、(孤児院、日本赤十字社など)、多くの社会福祉事業に関与し続けた。 丸山眞男は、自己責任論を主張した福沢の方が、弱者救済を主張する渋沢よりも近代的だと考えるのであろうか?」本書p.223

「江戸の寺子屋教育の申し子と言ってよい渋沢が、製造業・金融業・運送業・食品業と多方面にわたってベンチャー企業の創業活動を行なって、日本資本主義の父となった。渋沢の存在そのものが、江戸の寺子屋の人材育成に優れた面があったことを示す好例であろう。」本書p.225

そして、下記の一文でもって、終章を結びます。

「渋沢栄一が新一万円札の肖像になるのを契機として、私たちは江戸文明が内発的に生み出すはずであった〝もう一つの近代日本〟の姿を再検討し、それを再興する形で未来社会を構想すべきではないだろうか。」本書、p.227

3.【評価①】
本書は、著者の前二著とくらべて、際立って優れた工夫があります。それは、第1章から第6章まで全てに、「はじめに」および「おわりに」が設けられていることです。

「はじめに」は、その章で解明したいテーマを、「問い」として掲げています。「おわりに」は、先ほどの「問い」に応じ、その章の議論で明らかにされた著者の「答え」を簡潔に提示しています。

これは、日本のアカデミック、かつ非自然科学分野では、珍しい(初の?)論述の構成ではないでしょうか。とりわけ、歴史学関連では珍しく、かつ読者の理解を助ける優れた論述スタイルだと思われます。こういう地味ですが、優れた試みが広がると良いのですが。

前著(松平忠固論)から継続して、本書全体の内容構成のバランスが良いです。第3章を中間に挟んで前後半がほぼ均等におかれています。これも、見やすい後注、人名索引とともに、読者の理解を支援する工夫で、本書全体に著者の神経が行き届いている証拠だと思います。今回、前二作のハードカバーから、軽装版のぺーバーカバーになりました。コストの面もあるでしょうが、持ち運びの点から、個人的は好印象です。軽装版の学術書が増えることは大歓迎でなので。

4.【評価②】

本書には前二作と比較して、少し異色な点が二つあります。「憲法」を前面に押し出したことと、複雑系科学由来の歴史理論「バタフライ史観」を挿入した点です。

著者は、「あとがき」にて本書執筆の動機として、既存の《史観》の検証の必要性を語っています。従いまして、先の二点はそのための基礎作業と言えます。

ただ、著者の前二著を熱烈に支持した読者たちは、「歴史」そのものへの関心、あるいは新しいリアルな「幕末維新史」の切り口を待望していたでしょうから、過去の二著に較べると本書が若干理論的になり話題性はその分下がるかも知れません。

その点を考慮すると、本書での衝撃度の高さから言えば、第3章「サトウとグラバーが王政復古をもたらした」が、衝撃度、話題性がともに高く、次に終章「福沢諭吉から渋沢栄一へ」が、説得性が最も高い、を言えそうです。

一人でも多くの読者に本書(を含めた三部作)が届いて欲しいと念ずる批評子からしますと、本書の内容・論述は充実しているので、本書のタイトルと内容の構成を、この二つの章をもう少しアピールするようにできていれば、より訴求力が高まり、読者の範囲をさらに広げることができるのではないか、という望蜀の感無きにしも非ず、というのが正直なところです。

5.【議論①】

前項でも指摘しましたが、本書第3章「サトウとグラバーが王政復古をもたらした」は、ここまで明確に特定して記述できるとは思いませんでした。もちろん、列挙されたのは状況証拠ではありますが、これだけ揃えば、直接証拠でなくとも、十分説得性があると思います。過去の史家たちの議論では、読者に推測させるか、匂わす程度でしかありませんでしたし、思い切って論断する威勢の良い議論は、大抵は憶測の域を出ていませんでした。

今回、ここまで言い切れたのは、著者が赤松小三郎という、オモテの「幕末維新史」から消されていた、重大な思想家、かつ非常に重要な軍事技術者、すなわちミッシング・リンクの再発見/再評価をなしたことが大きな力となっていると思います。とりわけ、島津家の軍事指導者西郷吉之介の心変わりを軍事技術者赤松小三郎の動向と結びつけられたことで、全ての点が線に結びついたのであろう、と考えられます。赤松が線上に登場したことで、アーネスト・サトウとのリンケージも結べたのは驚きました。多分、これが歴史の真実(の重要な一部)なのでしょう。

それにしても、名のみしか知らなかったサトウの『英国策論』が、これほど内政干渉の震源だったという事実に無知だったのは、書評子自身、不明の至りで、本当に恥ずかしい限りです。改めて、英国という国家の影の部分(悪辣さ)には、腹の虫がおさまりません。「バルフォア宣言」に淵源する、現在進行形の、パレスチナでの虐殺を思うと余計です。

※サトウ「英国策論」は、『日本近代思想大系1 開国』1991年岩波書店所収

この件に関連して1点だけ。

よく言われることに、幕末期、英国政府は交渉相手として、無能、非合理な「大君政府」を見限り、薩長連合に肩入れした云々といった評言を読んだり、聴いたりします。しかし、昨今の19世紀の「公儀」権力研究、例えば、

眞壁仁『徳川後期の学問と政治―昌平坂学問所儒者と幕末外交変容』2007年名古屋大学出版会(古賀とう庵は学問所の中心儒者)
前田勉「古賀とう庵の海防論―朱子学が担う開明性」『兵学と朱子学・蘭学・国学』2006年平凡社所収
前田勉「女性解放のための朱子学―古賀とう庵の思想2」同上

などによれば、最新の海外情報を入手した開明的な昌平坂学問所儒者たちが「公儀」政治・外交にかなり関与しており、その膝下から弟子たちが、海防担当の有能な官僚として活躍していたことが明らかになっています。

それからしますと、英国政府は、無能・非合理故に「大君政府」から薩長連合に乗り換えたというより、「大君政府」外交部がタフ・ネゴシエーターであったために、より与し易い薩長連合に乗り換えた、とみるほうが合理的なのではないか、と思います。つまり、常識と真逆だったのではないか、ということです。


6.【議論②】
・「バタフライ史観」に関して
何事にも、「日のもとに新しきものなし」と言われます。弊ブログでも、先人の言葉を幾つか引いています。

引用ⅰ 奇妙なことに、意図されずにしかし実際に実現しているような影響と比較して、意図されてはいたが実現されなかったような社会的決断の影響の方が研究を必要としている。というのは、前者は少なくともそこにあるのに対して、意図されたが実現しなかった結果はしばしば過ぎ去るある時点において社会の行為者たちが表明した期待の中だけに見出されるからである。
アルバート・O・ハーシュマン『情念の政治経済学』法政大学出版局(1985) 、p.132

引用ⅱ われわれは初発の出来事を決して繰り返すことはできない。この出来事は自分が何をしているのか分かっていない人々によって行われたのであって、この無自覚性こそが出来事の紛れもない本質であった。
アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』岩波書店(2000年)、第3章産業社会、p.32

以上も、歴史の複線的可能性を示唆しているとみられます。大きくカテゴライズすれば、みな「複雑系」的な発想法であるでしょう。従いまして、これらの史観を、どう命名するか。もう少し検討の余地があるかなと思います。
※下記弊ブログ記事もご参照頂ければ幸甚です。
引用ⅰは、下記参照。
過去の擬似決定性と未来の選択可能性/ Pseudo-determinism of the past and the possibility of choosing the future: 本に溺れたい
引用ⅱは、下記参照。
歴史における発生と定着、あるいはモデルと模倣: 本に溺れたい

7.【議論③】
・世代について
本書で論じられているように、明治維新を肯定する司馬遼太郎や丸山眞男たちが、そう信じたい動機は、彼らが大正時代に青少年期を過ごしたことと関連するかもしれません。つまり、彼らにとり、大正時代がピークとなり、昭和においてどん底まで突き落とされた訳です。

各時代を、「進歩史観」で序列化するとこうなりますでしょうか。

《大正=近代》 → 《明治=半近代》 → 《明治維新=近代化革命》 → 《江戸時代(徳川日本)=前近代》

しかし、それは大きな勘違いでした。

象徴的なことの一例を示します。

21世紀の現代でも、新聞の投稿欄があり、俳句欄、短歌欄がありますね。戦前から存在し、無論、明治からありました。しかしながら、戦前のある時期に廃止された投稿欄がありました。それは、「漢詩」欄です。昨今では、高校国語でもあまり漢文を選択授業に設定しなくなったかもしれませんが、例の李白や杜甫が作った詩のことです。これは古典語(漢語)による詩作、という極めて高度な創造活動です。分かりやすく言えば、現代ヨーロッパの民衆が、ラテン語で詩作することに匹敵します。この漢詩形式による詩作は徳川日本でピークに達しましたが、明治になってもしばらくは、一般購読者による漢詩の投稿は盛んでした。ところが、明治がすすむにつれて、投稿数が減少し続け、漢詩の投稿欄は大正六(1917)年に消えたのです。
※参照 石川忠久/陳舜臣ほか『「漢詩」の心―自然を謳い人生を詠む』1995年プレジデント社、p.6

つまり、江戸文明(徳川文明)は、大正時代に消失した訳です。最後の徳川将軍、慶喜が没したのは、大正2(1913)年11月22日、享年76歳でした。

※人口学的な世代論については、詳細は下記の弊ブログ記事をご参照下さい。
徳川文明の消尽の後に(改訂版)/After the exhaustion of Tokugawa civilization (revised): 本に溺れたい


最後に、本書の丸山眞男論に触れたかったのですが、弊記事が長くなり過ぎたことと、他論者の丸山眞男論も含めて、別途論じさせて頂くこととします。

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コメント

本当に痛切に思います。

「自己効力感」が、少ない。
特に社会・政治方面では。
まあ、それが強いと天皇はじめ統治・指導者が国民を騙して頤使するのが難しい。
ブラック企業やブラック部活やブラック校則も、それの原因とも結果とも思えます。

日本人の多くがそれに気づかない・認識しない。まさに「奴隷」かストックホルム症候群のような状態に思えます。

まさに無力感で一種の精神疾患みたいな・・


>「正当性」と「責任感」は、自他ともに認める尊厳、名誉、誇りから生まれるものでしょう。


残念ながら、「天皇」にその「尊厳・名誉・誇り」が、見えないのですよね。

鎌倉殿の13人 てドラマがありましたが、後鳥羽院も正直「誇り」も「尊厳」も「名誉」も、無かったし。
まだ島流しを受け入れただけ裕仁帝よりも「まだ尊厳も誇りもあった」のですけど。


誇り・尊厳・名誉を掘り起こすて腐らせる大きな手助けをしたのが、「知が徳をしのぐ」っていう福沢諭吉の思想だったと思います。
その「恥知らず」でた名利を、また恥知らずにも「知」と「欲」に使う・・てのも阻害しなかったのも、たぶん福沢の思想とかもあるのでしょうけん。

天皇とかなんからの思想也宗教を守っていたら、正当性や誇りを守れる・・・そんな安易な考えが、なんか日本て流行りやすいように思えます。

でも、そんなんのでは無いのですよね。普段に、尊厳・誇り・名誉を守る行為や言行だけが、それを維持し得るのでしょうけど。
これについて「偉そうなことを言ってしまってる」気がしますが、結局はそうなると思います。


まとまりが付きませんが、そんな思いです。


投稿: 遍照飛龍 | 2024年5月27日 (月) 15時41分

遍照飛龍  様

>日本は「天皇」以外に「日本の統治の正当性」を規定するモノが、私には見えない

ロシア系ユダヤ人の米国思想家リア・グリーンフェルド(Liah Greenfeld)は、
①普及的主権(popular sovereignty)
②構成員の基本的平等(fundamental equality of members)
を、現代人はデモクラシーの原則と見なしていますが、それは誤解だと指摘します。
これらは、元来、ナショナリズム(nationalism)の原則でした。なにしろ、近代デモクラシーは、19世紀製で、ナショナリズムは16世紀イングランドに誕生しているからです。

グリーンフェルドは、nationalism の二つの基本原則から、ネイションは尊厳(dignity)と競争心(rivalry)を持つようになったも指摘します。

「正当性」と「責任感」は、自他ともに認める尊厳、名誉、誇りから生まれるものでしょう。

あの「敗戦」を契機に、自力で裕仁帝を馘首し、明仁帝を誕生させることができていたら、自己効力感、自尊感情と責任感が生まれ、真の意味で、日本人を「国民 nation」にしていた可能性が高い、と思います。そしてこれが、近代国家における、統治の正当性の源泉です。

投稿: renqing | 2024年5月27日 (月) 15時11分

早速の返信ありがとうございます。

こんな記事もありました

一番の長は責任をとらない
https://ameblo.jp/midre/entry-12852259529.html

>しかし、天皇も皇族も誰一人自決していません。
モーリス パンゲのように、敗戦によっておのが過ちとおごりに
気づいた者はいません。
いたかもしれないが、責任はとっていません。
高貴とは責任を逃れぬ者にある、高貴とはおのが引き受けるべき
重荷を決して重すぎるとは言わぬ者にある。


>責任をとったのは、陸軍大臣、中佐、少佐などの階級の人ばかり。
>政治家もそうですね、責任を取るのは秘書などの使われている者ばかり。
>一番の長は責任をとらない、、、、


>一番の長が責任をとらないことによって、その後の日本が歪んで行くんです。


A級戦犯が英霊に
https://ameblo.jp/midre/entry-12853398325.html


>A級戦犯は日本国首脳にとっては、英霊なのです。
占領軍が未だに撤退せず、居続けるのもアメリカによって救われた
天皇あればこそです。


裕仁帝を「生かしてやる」ことで、米英は、天皇を「走狗」に完全にできた・・


ただ、問題は・・・日本は「天皇」以外に「日本の統治の正当性」を規定するモノが、私には見えないのです。
それが一つの「日本の宿痾」みたいに思えます。

投稿: 遍照飛龍 | 2024年5月27日 (月) 13時42分

遍照飛龍 様

ご発言を流用させて頂きます。

《日本が米国の支配を受け入れる代償に、裕仁帝がその身分を保証されたこと》

日本国憲法が「押し付け」なら、昭和天皇も占領軍の「押し付け」です。

投稿: renqing | 2024年5月27日 (月) 12時44分

遍照飛龍 様
下記の本に、昭和21年2月頃の、皇族における昭和天皇退位論が紹介されています。
冨永 望『昭和天皇退位論のゆくえ』2014年6月吉川弘文館(歴史文化ライブラリー379)pp.37-8
・裕仁帝退位→皇太子即位+高松宮摂政(皇族賛成)
・三笠宮の枢密院本会議での発言〈現在天皇の問題について、また皇族の問題について、種々の論議が行われている。今にして政府が断然たる処置を執られなければ悔いを後に残す虞ありと思う。旧来の考えに支配されて不徹底な措置をとる事は極めて不幸である(芦田均日記昭和21年2月25日)〉
後者の三笠宮の発言を本会議場で聞いた昭和天皇は顔面蒼白だったようです。

昭和天皇は、とにかく戦犯として訴追され、裁判に引っ張り出されること(死刑判決?)を非常に恐れていたようです。そのため、会談でマッカーサーに自分を売り込んだ。マッカーサーは、それなら間接統治上、メリットがある、と判断して、米本国政府を説得し、免訴を勝ち取った。それでも、皇族からでさえ、退位論が出てくることを抑えることができなかった。自己弁明としては、「自分が退位するのは簡単だ。それでは責任をとったことにならない。いまのこの地位にいて日本のために尽くし、責任を全うしたい。」という理屈でした。
しかし、これを認めちゃったら、どんな組織のトップでも、責任をとらなくていいことになっちゃう。

サッカーワールドカップで、日本代表チームがグループ予選リーグで敗退して、代表監督がその敗戦の記者会見で、「責任を取って監督を続け、次のWCまでにチームを強くしたい。」なんて言ったら、誰も許しませんよね。その敗戦を弁護する人だって、辞めずに続けさせろ、なんて口が裂けても言えません。

昭和天皇のそんな曲芸のような論理がまかり通ったのは、当時の事実上の主権者マッカーサーの容喙、つまり、裕仁帝が "MacArthur's pet"として《身売り》したこと、旧帝国のパワーエリート大多数が保身でそれに乗ったこと、が大きかった。

それにしても、恩師である南原繁や、横田喜三郎という東大法学部のボスたちが退位論をブチ上げているのに、弟子筋の丸山眞男がその議論のアジテーターにならなかったのは、今考えると不思議な気がします。

世論調査でも、2割くらい退位支持者がいたのだから、議論を盛り上げれば、国民投票くらいまでは持ち込めた気がするのですけどね。

「焼け跡デモクラシー」が、竜頭蛇尾となってしまったのには、丸山眞男にも一分の責任はあるでしょう。

投稿: renqing | 2024年5月27日 (月) 12時35分

本当におっしゃる通りです。

さらにいうと、福島第一原発事故の「責任の有耶無耶さ」や、私の父が勤めていたJR西日本の福知山線事故の責任の「曖昧さと生贄の羊で誤魔化す」ってのも、天皇や為政者集団に責任を取らせられなかったことの延長にあると思います。

「天皇」が居直って居座ったことで、日本が独立を失った・・てことでしょう。

私の思いを、完全な形の文章にしていただけた・という気持ちです。

このことを、本当に日本人はわからないといけなのでしょう。
でも日本の指導層は、それが一番恐ろしいのでしょうね。

投稿: 遍照飛龍 | 2024年5月27日 (月) 11時09分

つまり、「戦後民主主義」、あるいは「焼け跡民主主義」が結局、虚妄になってしまったとしたら、それは、昭和天皇を国民(=主権者)の力で退位させられなかったこと。つまり、人民主権(popular sovereignty)を実感できなかったことの挫折感、に尽きます。

投稿: renqing | 2024年5月22日 (水) 14時19分

遍照飛龍 様

≫なんせ「天皇」はじめ為政者・指導者が国民に謝罪しない

これです。

昭和天皇、を筆頭に、政軍の帝国指導者たちは、公式には一切、《旧臣民たち》に向けて、《謝罪》の一言も発してない、と思います。

《謝罪》の内容は、戦後、マルクス主義の影響を受けた知識人たちが金切声をあげた、戦争を起こした責任という意味での「戦争責任」ではありません。そんなもの、《旧臣民たち》だって、戦争に反対だった訳でもないので同罪です。むしろ、メディアに煽られて乗り気だったのですから。

帝国を指導したパワー・エリートたちが、臣民に謝罪しなければならなかったのは、日中戦争から対米英戦争に至る約15年間の戦争が、結局「負け戦」で終わってしまったことです。

つまり、戦争の「始まり方」に対する「責任」ではなく、戦争の「終わり方」に対する「結果責任」です。

勝負事は、負けたとき、誰かが責任を負わなければなりません。スポーツだろうが、ビジネスだろうが、どの分野でも例外はない。それならば、最大の国事である「戦争」に負けたなら、その責任を「誰か」が、「負けたのは私の責任です。それを果たすために、現在の地位を去ります。」というパフォーマンスを演じなければ、この認めがたい「過去」の決着がつきません。それがなされて初めて、敗者たちは、歴史の重荷=失敗を祓い落とし、むしろ未来への糧として、これからを生きられます。

1945年の敗戦に直面した大日本帝国が、真の意味で新生日本国としてやり直すためには、「誰か」が明確に「結果責任」を負う儀式が必要不可欠でした。最も適任だったのは昭和天皇の退位だったでしょう。なにしろ、憲法でも、皇軍でも、その「主」だったわけですから。

敗戦直後の一年ほどはかなり優勢な世論でしたが、本人が望まず、君側にも「自己責任」をとれる人材がいなかったため、みなGHQの間接統治の「道具」に喜々としてなることに収まり、めでたくアメリカ合衆国の属国となりました。

ここで、占領軍の甘言と脅しを振り切って、昭和天皇退位、皇太子の新天皇誕生ができていたら、半世紀を超える対米従属の「半主権国家日本」の歴史は無かったと思われますし、多少は「有徳」で、「国際社会において、名誉ある地位を占め」(日本国憲法前文)ていたのではないか、と愚考します。

投稿: renqing | 2024年5月22日 (水) 14時14分

明治帝政の「徳」も、それは「得」に繋がり、それは日本人個々人の徳でも得でも無かった。通俗道徳・自己責任論などそうですよね・・・
でも・・為政者・セレブの「得」のための個々人の「徳」だった・・・・・てなことで「裏切り」を経験した・・・て思います。

なんせ「天皇」はじめ為政者・指導者が国民に謝罪しないもの・・「道徳」など、「権力者の厚化粧」って、帝政日本の本質がバレてしまった・・

ならアメリカの「得」がベターじゃない・・・それが戦後精神の一面だったのかな・・


為政者の在り様が、その国民のありようを、大きく左右する・・
儒学や漢籍で言いつくされたことが、今でも、当然に作用しているのですよね・・

投稿: 遍照飛龍 | 2024年5月22日 (水) 12時47分

遍照飛龍さん
コメントありがとうございます。
小学館日本国語大辞典(第二版)には、以下のような語義が載っています。
「倫理」人倫の道。社会生活で人の守るべき道理。人が行動する際、規範となるもの。
「道徳」人間がそれに従って行為すべき正当な原理(道)と、その原理に従って行為できるように育成された人間の習慣(徳)。

2024年の人類社会に生きる私たちは、例えば百年前の1924年に比べると、莫大な量の、物質・道具・機械等の人工的環境にいます。百年前とは、生活の便利さが圧倒的に改善されている、と言うしかありません。

この「豊かさ」は何に支えられているのか、と言えば、一つには、工学、理学、医学、生物学、農学等の原理的知識に基づいている技術体系でしょう。二つには、おそらく1940年代から60年代初頭に人類史的に使用可能になった、安価な石油資源、の蕩尽によるのだと思われます。

前者の道徳、倫理、が「であるべきこと(ought to be)」ならば、後者の知識、地球資源の利用は、「であること(to be)」と換言できます。

近代国家の公教育は、年々複雑化する「知識(=であること)」を効率的に、国民に普及させるために世界各国で19世紀後半から猛烈な勢いで導入されました。そして、「価値の多様性」「権力の価値中立性」の観点から、「徳(=であるべきこと)」は、公教育では表立っては回避されてきました。一方で、1868年~1945年の大日本帝国は、その当初から、「徳」を公教育で強制しました。しかし、この近代国家は無条件降伏という現実によって致命的な失態を犯したため、結果的にそれまで80年間「育成」してきた「徳」を、敗戦国民の日本人は自ら否定せざるを得ませんでした。結局、大日本帝国は、近代日本人における他律的な「徳」を強制の挙句、自壊させ、その一方で、自律的な「徳」の「育成」の機会を破壊した、と評価できます。

1945年以降の昭和日本人はと言えば、「徳」の代替物としてアメリカをモデルとする選択をしたのでしょう。「徳」ではなく、「得」ですね。また、それを良いことに、帝国旧パワーエリートたちは、「日米安全保障条約」体制を「錦の御旗」、あるいは隠れ蓑、にして、戦後デモクラシーもなんのその、非道徳的国家、「得する」日本、の実効支配を継続して今に至ります。

これでは、近現代日本人に自律的「徳」が涵養されないまま、人類史的に価値選択が迫られる21世紀を迎えてしまったと言うしかありません。タイタニック号のように氷山に衝突してあえなく轟沈するのか、ブスブスと情けなく自滅の進路をとっていくのか。22世紀には人口が1/3になる可能性を考えると、後者のコースで、よその国にご迷惑をかけずに、長期衰退していきそうな気がします。

>知とモラルは、相互補完なところがあるはずに思えるのですが、、。
>日本は、集団的西側は、そういう「総合知」なり「倫理体系」を持ちえなかったのか、それとも破壊されたのか。。。

投稿: renqing | 2024年5月22日 (水) 03時47分

知とモラルは、相互補完なところがあるはずに思えるのですが、、。
日本は、集団的西側は、そういう「総合知」なり「倫理体系」を持ちえなかったのか、それとも破壊されたのか。。。

投稿: 遍照飛龍 | 2024年5月18日 (土) 11時18分

Xで

>感謝してほしい気持ちでやると、感謝されないと気持ちが恨みに変わるから、自分の原則でやるべき
自分の原則を守るのは自分のためだ。誰に対してもやるので特別に感謝が必要ない


>感謝しなくていいと思います。中国人は日本人のためにやったことではなく、人間として自分のためにやったことだと思います。

>親のいない小さな子供が放置されて何もしなければ死ぬ。敵の子供であっても保護するのは人間です。敵対関係は子供と関係ないことですから

て、倫理ってそういうところがある。

明治以降は・・それが消えて行った・・・いや水戸学でも「天皇がモラルの絶対の中心でそれ以外は軽視」ってなるし、通俗道徳もモラルの喪失を加速させる。


皮肉を言えば・・・・天皇制ってモラルが有れば存続できる代物ですは無いですしね・・・


投稿: 遍照飛龍 | 2024年5月18日 (土) 10時43分

moralな徳川日本の継承者が夏目漱石なら、immoralなキラキラ明治日本の出世頭、大スター、role model が森鴎外です。

投稿: renqing | 2024年5月16日 (木) 14時06分

遍照飛龍 様
コメントありがとうございます。

国文学者、故中野三敏氏は、こう言っています。

「道徳主義のみの観点から江戸文化を見るのも誤りであろうが、それはなお経済原理のみで江戸の文化を割り切るよりは、誤りは少なくてすむようにも思う。江戸が江戸であるかぎり、道徳は常に経済よりは何がしかは優先して考えられていたはずだからである。それが江戸人の常識というものであった。その常識を根底から払い去ったもの、すなわち江戸の息の根をとめたもの、それが福澤諭吉であったように、私には思えるのである。」
中野三敏『十八世紀の江戸文芸―雅と俗の成熟―』1999年岩波書店、p.65

道徳(moral)の価値が崩壊した社会はどうなるか。反道徳(immoral)になるに決まっています。そして、「徳」>「知」から「徳」<「知」、を吹聴して回った最大の功労者、明治日本人を immoral にするに最も貢献したのが、近代日本最強の知識人福澤諭吉、です。

下記、参照
江戸モラリズムへの死刑宣告者: 本に溺れたい
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2020/06/post-027fbc.html

投稿: renqing | 2024年5月16日 (木) 13時39分

関先生の松平忠固の本を借りて読んでますけど。

徳川斉昭が異常なカリスマになったのが、ちょうど、小泉純一郎・石原慎太郎みたいなもので。

それが正直怖いですよね。

怨嗟の学問~国学・・・それのモンスターが水戸学。。

明治維新って、英語で言うと「復古主義」みたいなので、まさに時代の逆行だった・・物質文明以外は堕落でしかほぼ無かった・・・

投稿: 遍照飛龍 | 2024年5月16日 (木) 12時14分

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