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2024年6月 2日 (日)

対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案(昭和十六年十一月十五日/大本営政府連絡会議決定)/Japan's Plan to Promote the End of the War against the U.S., Britain, the Netherlands, and Chiang Kai-shek 〔November 15, 1941〕

以下は、大日本帝国が昭和16(1941)年12月8日の約1か月前に決定した開戦にあたっての基本的な国家戦略です。とりあえず、原文を新漢字・かな遣いで書き直して、全文掲載しておきます。

※原本PDF(国立公文書館) 24、対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案 昭和16年11月15日

大日本帝国およびその政軍の指導者たちが西欧世界に正面切って軍事的に挑戦しようとしたとき、何を考えて(or 考えずに)始めたか、の歴史的証拠の一つです。私たち21世紀に生きる日本人が自らと今後を考えるための資源となれば幸いです。

 

「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」 昭和十六年十一月十五日 大本営政府連絡会議決定

方針

一、速に極東における米英蘭の根拠を覆滅して自存自衛を確立すると共に更に積極的措置に依り蒋政権の屈服を促進し独伊と提携して先づ英の屈服を図り米の継戦意志を喪失せしむるに勉む

二、極力戦争対手の拡大を防止し第三国の利導に勉む

 

要領 

一、帝国は迅速なる武力戦を遂行し東亜及南太平洋における米英蘭の根拠を覆滅し戦略上優位の態勢を確立すると共に重要資源地域並主要交通線を確保して長期自給自足の態勢を整ふ

凡有手段を尽して適時米海軍主力を誘致し之を撃破するに勉む

 

二、日独伊三国協力して先づ英の屈服を図る

 (1)帝国は左の諸方策を執る

  ()濠州印度に対し攻略及通商破壊等の手段に依り英本国との連鎖を遮断し其の離反を策す

  ()「ビルマ」の独立を促進し其の成果を利導して印度の独立を刺激す

 

 (2)独伊をして左の諸方策を執らしむるに勉む

  ()近東、北阿、「スエズ」作戦を実施すると共に印度に対し施策を行ふ

  ()対英封鎖を強化す

  ()情勢之を許すに至らば英本土上陸作戦を実施す

 

 (3)三国は協力して左の諸方策を執る

  ()印度洋を通ずる三国間の連絡提携に勉む

  ()海上作戦を強化す

  ()占領地資源の対英流出を禁絶す

 

三、日独伊は協力し対英措置と並行して米の戦意を喪失せしむるに勉む

 (1)帝国は左の諸方策を執る

  ()比島の取扱は差当り現政権を存続せしむることとし戦争終末促進に資する如く考慮す

  ()対米通商破壊戦を徹底す

  ()中国及び南洋資源の対米流出を禁絶す

  ()対米宣伝謀略を強化す

  其の重点を米海軍主力の極東への誘致並米極東政策の反省と日米戦無意義指摘に置き米国輿論の厭戦誘致に導く

  ()米濠関係の離隔を図る

 

 (2)独伊をして左の諸方策を執らしむるに勉む

  ()大西洋及印度洋方面における対米海上攻勢を強化す

  ()中南米に対する軍事、経済、政治的攻勢を強化す

 

四、支那に対しては対米英蘭戦争特に其の作戦の成果を活用して援蒋の禁絶、抗戦カの減殺を図り在支租界の把握、南洋華僑の利導、作戦の強化等戦略の手段を積極化し以て重慶政権の屈服を促進す

 

五、帝国は南方に対する作戦間極力対「ソ」戦争の惹起を防止するに勉む独「ソ」両国の意向に依りては両国を講和せしめ「ソ」を枢軸側に引き入れ、他方日蘇関係を調整しつつ場合に依りては「ソ」連の印度「イラン」方面進出を助長することを考慮す

 

六、仏印に対しては現施策を続行し泰に対しては対英失地恢復を以て帝国の施策に協調する如く誘導す

 

七、常時戦局の推移、国際情勢、敵国民心の動向等に対し厳密なる監視考察を加えつつ戦争終結の為左記の如き機会を捕捉するに勉む

  ()南方に対する作戦の主要段落

  ()支那に対する作戦の主要段落特に蒋政権の屈服

  ()欧州戦局の情勢変化の好機特に英本土の没落、独「ソ」戦の終末、対印度施策の成功

 

之が為速に南米諸国、瑞典、葡国、法王庁に対する外交並宣伝の施策を強化す

日独伊三国は単独不講和を取極むると共に英の屈服に際し之と直に講和することなく英をして米を誘導せしむる如く施策するに勉む

対米和平促進の方策として南洋方面における錫、護謨の供給及比島の取扱に関し考慮す

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コメント

ある種のエリート也貴顕の人の「傲慢さ」には、いつも怒りを感じます。
人を人として見ない「傲慢さ」「選民意識」って、恐ろしいです。

投稿: 遍照飛龍 | 2024年6月17日 (月) 16時54分

遍照飛龍 様、先の弊投稿記事にコメント頂いたままになり、申し訳ありません。
シンプルにコメントさせて頂こうかとも思ったのです。しかし、事実確認で、念のため、富岡定俊(太平洋戦争の開戦時1941年12月:軍令部作戦部作戦課長/終戦時1945年8月:軍令部作戦部長)なる帝国海軍高級参謀の手記を拾い読みして、唖然としてしまいました。その裏を取ろうと別の文献を読みましたら、さらに猛然と腹が立ちまして、言いたいことが爆発して、むしろさらっと書けなくなっております。弊ブログ記事化するしかなさそうなので、その記事を投稿するまでお待ちください。ごめんなさい。

投稿: renqing | 2024年6月17日 (月) 02時04分

ナチスが、ソ連になだれ込んで、帝国日本の計画が早急にとん挫するのだけど・・


東南アジアを支配しても、「独立」を確約できずに、インドやビルマと連携できなかったし。


考えたら、、ある意味で「日本の英国からの独立戦争」って絵にしていたら、面白かったけど。
でも、そういうのを「長期的な戦略」で立てている訳では無かったみたいですし。


恐ろしいのは「アジア太平洋戦争」は、日本の確実な「植民地化」のための最後の手順だったって思います。

「天皇が責任を取らない」ことで、完全に日本人は無力感を叩き込まれて自己効力感も奪われ、家畜化していった・・・本当にそこまで長期に米英が考えていたかわかりませんが、そういう「絵」が完成したように思えます。


なんとなく浅はかな考えを書いてみました。

投稿: 遍照飛龍 | 2024年6月 3日 (月) 18時05分

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