「沈黙」と「待つ」ことの機会費用/ Opportunity cost of "silence" and "waiting"
亀井勝一郎(1968)と大岡信(1987)から感じるのは、現代日本では、「沈黙」、あるいは「間(ま)」、「空白」への恐怖があり、過剰な「おしゃべり」が氾濫していることです。私自身の投稿も含め、ネット上の表現空間は、言葉、画像、動画で埋め尽くされています。これは「待つ」こと、あるいは「無駄」であること、への恐怖感ともつながっている気がします。
総じて現代人は程度の差はあれ、ネット依存症であり、これは、精神の「沈黙」を邪魔し、「熟考」を阻害する危険性を感じます。では、どうすれば良いのか。自分に直接跳ね返る事なので、なかなかの難問です。それこそ「沈思黙考」が必要であるようです。下記、参照。
沈黙、その雄弁なるもの/ There is nothing more eloquent than silence: 本に溺れたい
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