法哲学・法理論

2016年9月20日 (火)

出来事と帰責

「豊洲問題」はこのところ、マスコミの好餌となっている。

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2015年7月31日 (金)

「弱さ」こそ、素晴らしい

人間は万物の霊長であるから、人間以外の生きものと何かしら顕著な違いがなければ理屈が通らない。しからば、それはなにか。

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2012年4月 2日 (月)

新カント派の亡霊について(応答3)

応答2〕より

 自然法に関してバランスのとれた記述は、思想史家の関曠野氏の下記のものが最良かと思います。思想史的流れと現代との関わりを簡潔に記述しています。私のゴタゴタした物言いを読むより、100万倍よろしいでしょう。ご参照を強く願います。

自然法について(関曠野)

 また、世界人権宣言(1948年)は、自然法思想の20世紀における再生といえるでしょう。

世界人権宣言(全文) | AMNESTY INTERNATIONAL JAPAN

*自然法と17世紀科学革命に関しては、下記の拙記事をご参照戴ければ幸甚。

自然法(natural law)から自然法則(natural laws)へ、あるいはブルジョアジーの頽廃について: 本に溺れたい

〔応答4〕に続く(はず)

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2012年4月 1日 (日)

新カント派の亡霊について(応答2)

応答1〕より

 いまだ、多忙の身で、頭がおかしくなりそうですが、ずるずる放擲することもできない性格なので、少しずつ応答してみます。自然法についてです。

 碧海純一氏のお弟子さんに、長尾龍一氏という法哲学者がおられます。下記は長尾氏のHPです。

Ryuichi Nagao 長尾龍一 Website OURANOS -ウーラノス-

 長尾氏の著作に、『法哲学入門』があり、1983年に日本評論社から出ていて、それが文庫で復刊されています。

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2012年3月12日 (月)

新カント派の亡霊について(応答1)

がんちゃんさんから、幾つかご質問がありました。
まだこの年度替りの多忙から脱出できていませんが、
答えられそうなものから簡略に応答することと致します。

ちなみに、この応答は部分的なものなので、
このエントリーにresをつけて戴くと旧いご質問への
応答と混線する危険性があります。恐縮ですが、
これまでのご質問へのブログ主の応答がとりあえず一段落
するまでresはご遠慮ください。 → がんちゃんさん

①新カント派と碧海純一氏の関連

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2012年2月23日 (木)

新カント派の亡霊について

 以前の記事の続きらしきものを書いておく。

 まずは、引用から。

 第一次世界大戦を境に、それ以前には大きな影響力をもっていた新カント学派の哲学は、急速にその勢いを失う。これは、この大戦とその後の歴史の現実が、人間の主観性と対象構成に依拠する行き方の限界を、おのずから明らかならしめたためと考えられる。

 なお、わが国では、明治末年から大正時代にかけて、桑木厳翼(くわきげんよく)、朝永三十郎(ともながさんじゅうろう)、左右田喜一郎(そうだきいちろう)らによってこの学派、とりわけ西南ドイツ学派の哲学が本格的に移入され、時代の文化主義的風潮とも呼応しながら、一時期アカデミー哲学の主流を形成した。同学派の西洋哲学史観などは、今日までなおその大きな影響をとどめている。
日本大百科全書(ニッポニカ)、「新カント派」、坂部 恵

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2012年1月30日 (月)

身分再考(2)

「プディングの味は食べてみなければわからない」という有名な言葉がありますが、プディングのなかに、いわばその「属性」として味が内在していると考えるか、それとも食べるという現実の行為を通じて、美味かどうかがそのつど検証されると考えるかは、およそ社会組織や人間関係や制度の価値を判定する際の二つの極を形成する考え方だと思います。身分社会を打破し、概念実在論を唯名論に転回させ、あらゆるドグマを実験ふるいにかけ、政治・経済・文化などいろいろな領域で「先天的」に通用していた権威にたいして、現実的な機能と効用を「問う」近代精神のダイナミックスは、まさに右のような「である」論理・「である」価値から「する」論理、「する」価値への相対的な重点の移動によって生まれたものです。
丸山真男 『日本の思想』岩波新書(1961年) 、p.157

 《身分の溶解》が都市化やぜいたく禁止法の廃止と関連することを指摘するのは、川北稔*である。

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2011年10月 1日 (土)

身分再考

 前近代社会の特徴は、身分社会である、ということだ。現代では、身分、と聞くと、差別、抑圧、といったキーワードがすぐ思い出される。

 しかし、それは実態にそぐわない。なぜなら、身分社会において、すべての身分には、義務とともに、権利も付着していたからである。

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2010年9月11日 (土)

水波朗「指月の譬え」2001年6月『創文』

 以前、自然法と日本の憲法学、という記事を書いた。その元ネタ(の元ネタ)がこのエッセイである。

■故水波氏の日本の学界批判

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2009年6月 5日 (金)

リベラリズムの核心は、自由ではなく正義である

自由は、正義理念が課す公共性の規律に服してはじめて、「他者からの自由」、すなわち、他者を支配ないし同化するか、それができなければ排除するという権力への欲動を秘めた自己力能化としての自由から、「他者への自由」、すなわち、他者の批判と撹乱的影響を自己の精神の地平を拡大再編する自己変容の触媒として受けとめる自由へと成熟することができます。正義に先立つ主体の能力としての「他者からの自由」」ではなく、正義が可能にする「他者への自由」こそが、リベラリズムの認知をうける自由です。リベラリズムの基底的理念は自由ではなく正義であるとというのは、この意味でおいてです。
井上達夫「リベラリズムをなぜ問うのか―『他者への自由 』韓国語版への序文―」 『創文』NO.519(2009年5月)、p.6より

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