渡辺浩

2016年6月16日 (木)

日本史学における概念史の嚆矢

ドイツ国制史で鍛えられてきた概念史 Begriffsgeschichte 。それに類することは、自覚的でないならばこれまでにも幾つかある。例えば、網野善彦が「百姓」は farmerではなく、common people の意味だ、と発言しだしたのはおそらく1980年代後半からだと思う。

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2014年5月 1日 (木)

ちょっとしたお願い

弊ブログ記事に仏語の書評誌からリンクがついていたようです。下記。

Comment j’ai traduit "Albucius" de Pascal Quignard en japonais | La Re'publique Des Livres par Pierre AssoulineLa Re'publique Des Livres par Pierre Assouline

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2013年4月10日 (水)

日本史における概念史アプローチ

 歴史学上の概念の形成を史的に再検討し跡付けしたうえで、その概念の使用がアカデミズムにおいて持たざるを得ない一種の《政治性》を明示する学知的作業。これが概念史だとすれば、それを日本史学において陽表的に実行しているのは下記だろう。

 弊ブログでも何度となくお世話になっている。改めて、典拠と弊ブログ記事の対応を示しておこう。

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2010年10月11日 (月)

渡辺浩『日本政治思想史 ― 十七~十九世紀』東京大学出版会(2010年)(番外編)

■最良の書評
 田中優子氏(江戸文化研究者)の、本書に関する書評をネット上で見つけた。管見の限りで最良のものと感じたのでご紹介する次第。

今週の本棚:田中優子・評 『日本政治思想史--十七~十九世紀』=渡辺浩・著 - 毎日jp(毎日新聞)

 私も、渡辺氏や田中氏の言われるように、徳川政治思想の生んだ最良の遺産は、横井小楠だと思う。

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2010年5月 6日 (木)

渡辺浩『日本政治思想史 ― 十七~十九世紀』東京大学出版会(2010年)(10・結)

◎なぜ、徳川体制は崩壊したのか?(第十五、十七、十八、十九章)

■「江戸人」は「日本人」である
 徳川日本には「日本」国は存在しなかった。この言説を著者は「全くの誤謬」(本書p.301)と切り捨てる。すなわち、徳川期、この列島を全体としてカバーする観念として「日本」国はあったし、そういった統合性の客観的な条件も、政治・経済・文化の各方面において存在した*。したがって、「日本人」という自意識もあった(本書p.304)。

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2010年5月 4日 (火)

渡辺浩『日本政治思想史 ― 十七~十九世紀』東京大学出版会(2010年)(9)

第十六章 「性」の不思議

■イエ統治と sexuality

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2010年5月 2日 (日)

渡辺浩『日本政治思想史 ― 十七~十九世紀』東京大学出版会(2010年)(8)

■契沖

 契沖が、いま我々が高校の古文テキストで見る「歴史的仮名遣い」を定礎した(『和字正濫鈔』1695)人物であることは、本書で知った(pp.250-1)。契沖のテキスト研究法は、研究資料の広範な収集とその相互比較である。こういう組織的な研究法をどのようにして契沖は身に付けたのだろうか。本居宣長には先行者として、徂徠・契沖・賀茂真淵がいる。賀茂真淵には荷田春満・契沖・徂徠がいた。それなら契沖は?

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2010年5月 1日 (土)

渡辺浩『日本政治思想史 ― 十七~十九世紀』東京大学出版会(2010年)(7)

■徂徠学ヘゲモニーの歴史的帰結

 「既に我々はみなポストケインジアンたらざるを得ないのだ」と記したのは、Paul Sweezy だったか、Maurice Dobb だったのか。このところ経済学の文献にはとんとご無沙汰しているので、もはや記憶が定かではない。この伝でいけば、徳川日本の18世紀に呼吸した知識人たちにとり、「すでに誰もがポスト徂徠学派たらざるを得ない」事態が出現していた。それも全国的に。その覇権ぶりは、前出の中野三敏氏の著書や小島康敬氏の論文を見ても一端が伺える。中野氏の見取り図に従えば、それまで学芸の中心であった京から、関東にそれが移った。すわなち、列島史上初めて、学芸のヘゲモニーが箱根を越えたことになる。これが帰結の第一。

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2010年4月26日 (月)

渡辺浩『日本政治思想史 ― 十七~十九世紀』東京大学出版会(2010年)(6)

■反近代の思想家・荻生徂徠
 従来提出されてきた徂徠像は、「近代」的なものと反「近代」的なものとに大きく分けられる。渡辺氏の位置づけは、後者である。

 荻生徂徠の思想の根幹は、ときに「近代的」と呼ばれる立場の逆、ほぼ正確な陰画である。すなわち、歴史観としては反進歩・反発展・反成長である。そして、反都市化・反市場経済である。個々人の生活については反「自由」にして反平等であり、被治者については反「啓蒙」である。そして、政治については徹底した反民主主義である。そういうものとして見事に一貫しているのである。
渡辺書、p.197

■徂徠学革命

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2010年4月17日 (土)

渡辺浩『日本政治思想史 ― 十七~十九世紀』東京大学出版会(2010年)(5)

■仁斎と近松

さらに、近松の演劇論として有名な「虚実皮膜ひにく論」を紹介した『難波土産』(1738)の筆者*、穂積以貫(1692-1769)は、『論語古義国字解』という著書もある、伊藤東涯の弟子である。彼は近松と親しく、その息子は浄瑠璃作者となって、近松半二(?-1787)の名で知られる。近松の世界と仁斎学の世界は、人脈においても近接しているのである。
  渡辺同書、p.142

 仁斎と近松の関係について別の論者も指摘している。

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