村上淳一

2011年5月13日 (金)

村上淳一『仮想の近代  西洋的理性とポストモダン』東京大学出版会1992

■伝統法史学とポスト・モダンの絶妙なハーモニー

 著者は、『近代法の形成』 を初めとした多くの名著をものされているドイツ法史の泰斗。東大西洋法史学のエースで四番みたいな人。ところがNiklas Luhmannの訳書を出したあたり(1980年前後)から、ポスト・モダン的なものへの志向が明確になり、伝統的な東大独逸法史学のディシプリンを若干逸脱しだす。おそらく周囲は「ありゃりゃ」と見ていたのだろうが、本人意に介せず、「ベルリンの壁崩壊」後の1992年に本書を出す。

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2010年12月25日 (土)

コスモポリスの転換 ( Transformation of Cosmopolis )

 村上淳一氏描くところの、Stephen Toulmin, Cosmopois : The Hidden Agenda of Modernity, 1990  の要約。

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2009年6月18日 (木)

19世紀徳川公儀体制の黄昏

 徳川国家は身分制国家であった。これは、1603年に徳川家康が京の後陽成院から征夷大将軍の宣下を受けたときから、1867年、徳川慶喜が京の睦仁帝に大政を奉還し、将軍職を辞するまで変わらない。

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2008年6月 5日 (木)

「法の支配 rule of law 」考

 「法の支配 rule of law 」とは、

「統治される者だけでなく統治する者も、(統治者が定めた〈法律〉ではなく)統治者と被統治者の上にある〈法〉に従うべきであるという観念」*

であり、歴史的には

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2008年4月28日 (月)

エートスの進化( The evolution of ethos )(2)

 エートスが進化するとしたら、それは社会に受け入れられているエートスの交代だと前回述べた。

 つまり、エートスaがエートスa+やエートスa-に歴史的に遷移したならば、それはエートスaが、a+やa-に変容したのではなく、異なるエートスであるa+やa-に切り替わったのだ、とみなせるし、それが歴史の進化的理解にも合致する、ということだった。

 では、エートスaが存在して、そのT歴史時間後にa+やa-が出現するとしたらどのような経路が考えられるだろうか。契機は三つある。1)異なる預言者の出現、2)エートスaをもたらした預言者x自身の思想変化、3)預言者aの思想が、ある社会層のエートスaとして受け入れられる際の変形、である。

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2008年4月 6日 (日)

17世紀科学革命と「紀律化」

「ドイツの歴史学において「紀律化」の問題として扱われる過程が、トゥールミンによって別の側面から、十七世紀的合理主義の形成と展開の問題として論ぜられていることは、明らかであろう。トゥールミンは「紀律化」の過程を科学史と連動させ、「紀律化」に伴う「コスモポリス」観の転換を跡づけているのである。」
村上淳一『仮想の近代 - 西洋的理性とポストモダン -』東京大学出版会(1992年)、p.152

 村上氏も述べるように、このトゥールミンの記述はなかなか示唆的である。ここからいくつかの問題群を呼び出せるのだが、それにはしばらく時間を戴くこととしよう。

〔注〕引用文中、トゥールミンと述べているのは、下記の文献である。

スティーブン・トゥールミン『近代とは何か』法政大学出版局(2001年)

Cosmopolis: The Hidden Agenda of Modernity

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2005年12月25日 (日)

第一次世界大戦の衝撃

 下記の本が面白いらしい。

宮下 誠 『20世紀絵画 モダニズム美術史を問い直す』 光文社新書(2005)

 第一次大戦のアートへの衝撃は、「アール・ヌーボー」から、「アール・デコ」や「バウハウス」への変化にも読み取れる。もうかれこれ7、8年前に、エミール・ガレのガラス工芸展を、信州・諏訪で見たとき、感じたものだ。

 第一次大戦の思想史的意義については、以下も興味深い。

村上淳一 『仮想の近代』 東大出版会(1992)。p.153-4

「《・・一九一〇年代頃には、西欧の文化と社会は、アンリ・ド・ナヴァール(アンリ四世)とミシェル・ド・モンテーニュの夢であった政治的中庸と人間的寛容の世界に、まさに復帰せんとしていた。》この「再ルネッサンス」が、第一次大戦によって五〇年も先送りされることになったのである。」《》内は、S.T.Toulmin “Cosmopolis”1990,Chicago UP.からの引用。

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2005年11月12日 (土)

人間性、この曲がった木、の出所(1)

 前回の記事に戴いたコメントの中に、重要な指摘があり、少々というか、かなり面倒なことに気がついた。私の blog 程度で決着は難しいが、以下は、そのほんの少し文献学的な探索をとりあえずやってみた結果である。

 まずは、バーリンが愛好し、そのエッセイのタイトルに使った部分のドイツ語原文。それから、参考に、英訳、日本語訳を並べてみる。

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