文学

2008年9月20日 (土)

日本における「公私」

以下、単なる備忘録程度。

 「公私」の問題は、これまでにも、中国思想史家溝口雄三を始め、何人もの論者が触れてきた。東大出版会からも、シンポジウムの記録が出されていたりする。

 ただ、それは「公」に関心の比重があり、どうも「私」は軽視されがちのような気がする。近代日本の「私」概念に影響を与えたのに、本居宣長も力があったのではないか、と思うのだが、論ぜられたあとがあまりない。「石上私淑言(いそのかみのささめごと)」(1763)、などを見れば、歴然としていると思うのだが。

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2008年5月27日 (火)

日本文藝の歴史的特質

「結語  日本文藝の歴史的特質について言うべきことは、少なくないであろうが、いまは、ひとつの愚感をしるすに止めたい。それは、分裂とか対立とかいった性格が、あまり濃厚でないことである。精神と自然との分裂はもともと日本には無く、シナ文化の影響によって分裂現象を生じたのちでも、外国におけるような両極性が明瞭ではない。それはまた、貴族文化と庶民文化とが、はっきりとした対立を示さない事実とも、関係づけて考えられよう。貴族的←庶民的という上昇現象は、猿楽においてその典型的な例が見られ、今様歌謡や連歌などにも、類似の事例がある。しかし、同時に、貴族的→庶民的という下向現象も見のがしてはならぬ。貴族化した藝術が、その貴族性ゆえに、かえって民衆に歓び迎えられるという面も、あきらかに存在するのである。貴族と共に貴族的な能楽を賞翫する庶民もあれば、繁瑣きわまる連歌法式を習得することに価値を感ずる町人もあった。そこには、貴族文化と庶民文化とのかなり親近な交流関係が認められるのであって、どうも「おれたちの階級の文化」を主張するような態度は見受けられない。かように分裂性や対立性の希薄なことが、日本の文藝にとって、是であるか非であるかは、断定いたしかねる。本格的な近代化がなかなか進まない原因の ひとつは、その辺に在るのかもしれぬ。しかし、批判はいかようにもあれ、そうした事実自身は、あくまで厳然たる事実だと思うのである。」
 小西甚一『日本文学史』講談社学術文庫(1993年)、pp.204-205

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2007年11月 5日 (月)

却初より

 却初(ごふしよ)より作りいとなむ殿堂にわれも黄金(こがね)の釘一つ打つ

              与謝野晶子『草の夢』、日本評論社(1922年)*

 いやはや、かっこいい。学芸の世界で己を顕そうなどと考える者は、ここまでの覚悟と勇気がなくてはいかんですねぇ。私も晶子の心意気の万分の一でも刻む所存であります。

* 与謝野晶子歌集:巻頭歌 18:草の夢、より

** 意に反して、↓のようになることがあろうとも。芝木好子「湯葉」(1960)の導入部分から知りました。

わが草木(さうもく)とならん日に
たれかは知らむ敗亡の
歴史を墓に刻むべき。
われは飢ゑたりとこしへに
過失を人も許せかし。
過失を父も許せかし。

萩原朔太郎『宿命』創元社(1939年)、より

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2007年11月 1日 (木)

Mよ、地下に眠るMよ、きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

 すでに、読ませる他所様のblog記事(下記↓参照)が幾つもあるのだから、今更、私が書かなくともよさそうなもんだが、やはり自blogにも記録として遺しておきたい。

 死者(特に戦死者)への鎮魂という行為がもしあるとすれば、一つのあり方だと思う。

********************************************************
死んだ男(鮎川信夫)

たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
――これがすべての始まりである。

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2007年10月 4日 (木)

誰にも言えそうなことで、誰も言えなかったこと

「誰にも言えそうな事で、誰にも言えなかったことを言っているというのは、和泉式部の感性と知性とのしていることなのである。」
  窪田空穂 『窪田空穂歌文集』講談社文芸文庫(2005年)、「歌人和泉式部」より、P.147

 古典にほとんど疎い私だが、優れた読み手に教えられ、和泉式部の、そっとやり過ごすしかない悲しみに触れることができた。"What have I done?"とつぶやくマンスフィールド描く老女と相通ずるものがあると思う。

   小式部内侍なくなりて、孫(うまご)どもの侍りけるを見てよみ侍りける

 どどめ置きて誰をあはれと思ふらむ子は増さるらむ子は増さりけり

 産のために早世した娘は、この世に己が子とこの母を残して行ってしまった。娘は、己が子を哀れと思うか、この母を哀れと思うか。それは、己が子を哀れと思うだろう。私だってそうだったのだから。そしてこの母が今そうなのだから。

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2007年9月30日 (日)

宇宙をかき混ぜちゃえ

T. S. Eliot
The Love Song of J. Alfred Prufrock、より

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
おれはもう何でも全部知っちゃったのだ、何でも全部。
夕暮れだって、朝だって、午後だって全部知っちゃったのだ、
コーヒーの匙で、おれはおれの一生を測ってしまった。
              大岡信 『詩への架橋』岩波新書(1977年)、p.202

For I have known them all already, known them all--
Have known the evenings, mornings, afternoons,
I have measured out my life with coffee spoons;
 (原文、49-51行)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 これを、大岡は「威勢のいい絶望」(同上、p.202)と評している。至言というべし。

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2007年8月 6日 (月)

「野菊の如き君なりき」木下恵介監督(1955年)

 木下恵介作品集がDVD化され、そこに収録されていたが、近時、独立したDVD作品として出ていたので求めた。

 実に、数十年ぶりの再会だ。中学生時代、校外学習の一環で、数クラス単位で見させられて以来だと思う。中1だったか。

 主演の二人、政夫役の田中晋二、民子役の有田紀子は、台詞回しなど素人同然なのだが、その年齢の少年少女しか持ち得ない初々しさで、恋ともいえぬほどの幼い恋の嬉しさ、もどかしさ、そして別れの辛さを、よく画面から伝えていた。

 数えで、政夫15歳、民子17歳というが、満年齢でいえば、13歳と15歳で、中1と中3の学齢だ。今日日、想像しにくいが、田園風景の中で違和感はあまりない。

 二人は、縁の従姉弟どうしで、きょうだい同然に育った幼馴染だ。そのため、母親も、本人たちも、子どもの仲良し、好き同士が、恋に化学変化してしまうことの予感を無意識に遠ざけていた。しかし、周りからの別離の無理強いが仇となり、かえって互いの思いを抜き差しならぬほど強めてしまう。悲劇は、娘が己の恋のために殉じることで幕を下ろす。そして、後年の笠智衆演ずる政夫も、癒えぬ痛恨事としてこの幼い恋の記憶とともに生きながらえることになる。

 リマスター修復版なので画面が暗い。特に有田紀子の表情が鮮明に捉えられない部分があるのは残念だ。この映画における有田紀子の可憐さは、仏映画「ヘッドライト」アンリ・ヴェルヌイユ監督(1955)での、クロチルド役フランソワーズ・アルヌールを想起させるので。

 原作の伊藤左千夫『野菊の墓』は、高校に入ってから読んだように記憶しているが、実はその前に、おそらく小学生時代、従姉妹が読んでいた少女漫画雑誌に、この『野菊の墓』の漫画化されたものがたまたまあり、それを読んだのが『野菊の墓』との出会いだったと思う。今となっては、誰の作品かは不明だが。

 はじめて見たときは、駅付近にある映画館へ、学年でぞろぞろ出かけたはずだ。映画が終り、席を立ちながら明るくなった周りを見渡すと、通路の生徒の流れの中に、目を真っ赤にし、またそれを見とがめられるのを気恥ずかしそうにしてなおさら頬を染めている、私の好きだった娘がいた。

 彼女は父親(新聞記者)の転勤の関係で、中学に上がる際、神奈川から引っ越してきていた。そのため、準備していた制服も神奈川のもので、入学式の後、教室に入ると、1人、灰白色の見慣れぬ制服を着ており、初日から心ならずも目立ってしまっていたようだった。

 彼女は、中3に上がる際、またしても父親の転勤に伴い、他所へ転校してしまった。彼女の思い出も、今の私の一部である。

 登場した野菊がいったいなんという花だったか、調べた奇特な方がいらっしゃる。その写真を探しておられるので、その花の写真をお持ちの方はどうか連絡してあげてください。↓
■ 野菊の如き…

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2007年7月17日 (火)

中国人は「漢文」を読めるか(2)

F.Nakajimaさん、まつもとさん、どうも。

 F.Nakajimaさんが引いてくれたサイトでもわかりますように、現代中国語を解するだけでは、「漢文」を読解するのは困難だと思われます。

 かつて旧知の中国人留学生に、「中国人は漢文がダイレクトに読めていいねぇ。」と言ったら、「中国人が皆、古文(つまり、四書五経や唐宋八家文のような古典)を読めるわけながい。」と、笑われてしまったことがあります。「古文の原テキストは、句読点もなにもない、ただ漢字だけが延々と書かれているもの(白文)で、文をどこで切るかで、意味が全く逆になったりする。これを読むために、古来、多くの学者が解読を試みてきた(これを経学 ケイガク という)のだから、何の古典教養もない人間が、中国人というだけで読めるわけがない。日本には訓読法があるので、日本語訳と解釈を同時に処理できるから、初心者には逆にハードルは低いかもしれないが。」というのですな。

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2007年7月 2日 (月)

「孫の手」は、美女の手

 人間に関することで、renqing の関心をひかないものはない、はずの renqing にして知りませんでしたぁ。この世はどこでどうつながっているのか、計りしれない、とは、かの山口昌男が漏らした言葉(危うく、“故”という接頭語を使うところだった^-^;)。無論、renqing もhalf-truthだもんね。あたりまえだ。

「麻姑とは、鳥のように長い爪をもっていたので、これで背中などのかゆいところをかくと気持がよかろうと思われたところから、日本語の「孫の手」(麻姑の手のなまり)の語源となったとされる仙女である。」
合山究『故事成語』講談社現代新書(1991年) 、p.43

麻姑 → 若く美しい仙女の名

ついでに。

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2007年7月 1日 (日)

追いかけて、「桐一葉」

 碧梧桐から、「桐一葉」が気になりまして、ついつい調べちゃいました(-_-;。以下はその成果*。

 関連する出典を、時代順に箇条書きしました。

1)『淮南子』(紀元前2世紀)、「巻十六 説山訓」

見一葉落
而知歳之將暮
睹瓶中之冰
而知天下之寒
以近論遠

一葉落つるを見て、
歳の将(まさ)に暮れんとするを知り、
瓶中(へいちゅう)の氷を賭(み)て
天下の寒きを知る。
近きを以て遠きを論ずるなり。

淮南子(中文)

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2007年6月28日 (木)

河東碧梧桐、飛騨高山に現る

 明治41年(1909)、河東碧梧桐は飛騨高山を訪れる。そのとき、小学校卒業後句作に励む魚市場の若い店員と出会う。少年は15歳だった。以後少年は、河東碧梧桐を師と仰ぐことになる。

 明治44、大正元年(1912)。18歳の青年となった彼は、大阪に出て、特許事務所の事務員となる。

 大正3年(1914)。彼は上京を果たし、神田の特許事務所で勤める傍ら、念願だった俳句漬けの日々を碧梧桐派の俳人たちと送る。

 大正4年(1915)。青年はこの年創刊された句誌『海紅』の編集助手となる。

 大正6年(1917)。青年は、中村不折、碧梧桐らの六朝書道研究会龍眠会の機関誌『龍眠』の編集にあたる。

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2007年6月27日 (水)

河東碧梧桐、富山の高岡に現る

 明治俳壇の一齣を知るエピソードが下記のサイトにあった。なかなか面白い。

学芸ノート【第2回】 河東碧梧桐書簡

 俳句といえば、私の知るblogでは、かわうそ亭 さん、にまず指を折る。そこで碧梧桐の話題を探すと・・。ありましたね、さすが、かわうそ亭さん。

虚子の結婚、碧梧桐の結婚(承前)

 なにかホッとする明治半ばの挿話ではあります。

 さて、河東碧梧桐1873-1937(明治6-昭和12)は、本名、秉五郎 へいごろう。これをもじって、「へいごろう」→「へきごどう」としたもの、と記憶していた。

 しかし、文人であるからして、いわれは必ずある。国語辞典でみると、実は、「碧梧」も「梧桐」も、アオギリのこと。なるほど、ダブらせたのか。

 念のため、角川新字源に「梧」をあたってみた。すると、「梧桐一葉」を用法として、「①あおぎりの一葉が落ちたことで立秋を知る。②もののおとろえのきざし。」として、ひとつ出典を挙げている。

 〔群芳譜〕梧桐一葉落、天下尽知秋

 ほぉー、これなら知っとるわい、と探索にかかる。ところが、この「群芳譜」なんぞという文献がよくわからん。漢文の世界では常識なのかも知れないが、さっぱり心当たりがないし、ヒットもしない。『淮南子(えなんじ)』の「群芳譜」の巻にある、みたいな記述のサイトがあるのだが、それならと、『淮南子』の内容を見ると、そんな巻はどこにもない。『淮南子』の文として引いてあるものもあるが、そこでの文は上記とピッタリ合わない。それに、だいたい『淮南子』に出典があるなら、角川新字源に書いてないほうがおかしい。

 ネット上を探索すること、かれこれ2時間半。己に「アホかい!」と面罵したいほど疲れた。(=_= まあ、そのかいあって、一応確からしそうなことがわかったのは収穫。

 やはり、ここまで来ると、日本語のサイトには限界があり、中国語のサイトでようやくある程度事実を確認できた。

 明の王象晋の作で、『群芳譜』(1621年)。「梧桐一叶落,天下尽知秋」。“叶”は“葉”に同じ。明代の植物図鑑の体のもの。でこれは、五言絶句になっていて、実は後半がある。

梧桐一叶落
天下尽知秋
梧桐一叶生
天下新春再

 この後半もいいですねぇ。

 ついでに分かったことは、日本で「桐一葉」などと使われるのは誤用だということ。もともと、アオギリとしての梧桐は、青色がかった桐のように見えるが、植物としても元来別物。中国語の段階では周知のことで間違われようもないのだが、日本語の文脈に移ったとき、「梧桐」→「桐」となってしまったらしい。青い桐なら、桐でもいいだろう、ぐらいの感覚か。で、日本語では「桐一葉」で定着してしまった。明治になって更にこれをポピュラーにしたのが、坪内逍遥の新歌舞伎の名作、『桐一葉』(1893年)。

 したがって、日本語のサイトでは、ことごとく「桐一葉」という成語として紹介されている。秋の季語であることも、それに与って力があったろう。いつごろ成立した季語か、まではわからないが。

 下記は、アオギリの総合的紹介となっているので、ご参照まで。
あおぎり (青桐)

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2007年5月12日 (土)

徳富蘆花「謀叛論」、その後日談(5/27情報追加)

 明治44年2月1日(水)、東京本郷、第一高等学校、第一大教場で、徳富蘆花の「謀叛論」*大弁舌が行われた。

 その日から5日後の2月6日(月)、今度はそれを駁撃する「大逆事件講演会」が、千名をこえる聴衆を集め、国学院大講堂で行われた。弁士の、南条文雄、井上哲次郎、花田仲之助、渋沢栄一、の面々は、社会主義を攻撃し、忠君愛国を強調した。

 しかし、弁士の一人、三宅雪嶺のみ、「善後策」と題して幸徳秋水を擁護、暗黒裁判を非難した。すると興奮した代議士、荒川五郎が雪嶺に食ってかかるが、聴衆は、「御用党」、「馬鹿」、「討論会じゃない」などと罵声を荒川に浴びせかけ、雪嶺が退場するのを見送って、一斉に、「三宅博士万歳」を叫んだ。ここから、

 「・・・、国学院に集るような保守的な聴衆の間にさえ、権力への反感と秋水への同情の存在していたことがわかるのである」
 神埼清「徳富蘆花と大逆事件 -愛子夫人の日記より- 」
  現代日本文学大系9「徳富蘆花・木下尚江集」筑摩書房(1971年)、p.421

 さて、弁士の一人、南条文雄**とは何ものであるか。詳しくは、下記 wikipedia に譲る。ただ、有体にいえば、明治仏教界を代表する学僧(真宗大谷派)、それも Oxford でサンスクリット学を修め、梵語テキスト校訂等でヨーロッパでもその名を知られた碩学である。何しろ、1889年には文部省より日本第1号の文学博士を授与されている。

 何でそんな畑違いの洋行インテリ僧が出てくるかと言えば、死刑判決された中に真宗大谷派の僧侶が入っているからである。殺生戒を持つ仏教者が、でっちあげ死刑判決***を非難断罪もせず、あろうことか自宗派僧を擁護してくれた文学者に批判の言を浴びせるのだ。

 さて、宮沢賢治「烏の北斗七星」との違いは、いかに理解すべきだろうか。

〔註〕

*蘆花のテキストは下記を参照。なお、この講演を依頼しに蘆花宅まで足を運んだ一高弁論部員2名は、鈴木憲三、および、後の社会党「十字架」委員長、人格者で有名な、河上丈太郎、である。
徳冨蘆花「謀叛論」(草稿)

**南条文雄(1849年 - 1927年)については下記を参照。
南条文雄(なんじょう ぶんゆう)

***この事件の捜査指揮の最高責任者が、大審院検事兼司法省民刑事局長、平沼騏一郎(元首相、A級戦犯)である。元経済産業大臣で衆議院議員の平沼赳夫は、平沼騏一郎の兄である経済史学者で早稲田大学学長を務めた平沼淑郎の曾孫にあたる。

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2007年5月11日 (金)

「憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように」

「ああ、マヂエル様、どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまいません。」
宮沢賢治「烏の北斗七星」(1924年)

 賢治の、腹の底から絞りだす静かな慟哭。これがまことの仏教者か。今、この瞬間、混乱のバグダッドに、そして他の戦闘地帯に、心の中で同じ言葉を叫んでいる数多くの若者がいよう。戦闘で敵を殺すことの耐え難い痛みと辛さを、これほど直裁に強く訴えかける文学を私は他に知らない。この作品が一人でも多くの方たちに読まれることを望む。

*私は下記記事でこの作品を知った。不明を恥じるばかりである。
王敏「賢治ー時空を超えて語りかける」

**下記も参照されたし。
宮沢賢治の童話と詩 森羅情報サービス

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2007年5月 7日 (月)

「書く」ということ

 書くということは、とても困難な作業だ。この連休で、ほぼ同時代を扱った史書を2冊、

小島毅 『靖国史観 - 幕末維新という深淵 -』ちくま新書(2007年)

井上勝生 『幕末・維新』シリーズ日本近現代史(1) 岩波新書(2006年)

読んでその感を強くした。ともに、好感がもてたし、充実した高度な内容でよかったのだが、読後感が異なるのだ。

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2007年4月29日 (日)

G.W.の野心

 このG.W.ぐらいは、「本に溺れたい」と思っている。(-_-;

 で、一つぐらい、野心を公表しておいて、自分にプレッシャーをかけようという訳である。何と、お笑い種だが、明治維新神話の「脱構築」(旧ぃ!)を目指すrenqingなのだが、古典中の古典、 島崎藤村『夜明け前』*を、いまだ読んだことがない。これではさすがにまずいので、このG.W.に、必ず読みきることをここに宣言する。ま、他人様(ひとさま)にはどーでもよいことではあるが。

 あと、何冊か、読む予定だが、それは書評を投稿してのお楽しみ、ということで。

*ちなみに手許にあるのは、中央公論社版「日本の文学7」の、浩瀚な一冊本である。上下2段組で、800ページ弱もある。時間があるからといって、他の本にも色気を出していると、不履行になるかもしれないな。気をつけよう。

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2007年4月26日 (木)

一青窈の唄う「逢いたくて逢いたくて」(2)

 一青窈。不思議な名前だ。姓は一青(ひとと)、名は窈(よう)。

 「一青」姓は、能登出身の母親のものだという。これについては、一青窈の唄う「逢いたくて逢いたくて」、のかぐら川さんのコメント欄を参照いただきたい。一つ余計なことを付け加えれば、中国人は結婚しても女性は姓を変えない。姓は先祖から連綿として受け継いだもの。つまり、given name ではないので、後天的に勝手に変更できないのだ。

 窈(よう)とは、難しい字。中国最古の詩集「詩経」の一編「關雎 かんしょ 」中の、「窈窕淑女 ようちょうしゅくじょ 」から取られている。女性がしとやかで美しいさま、をあらわす。

 この番組では、唄い踊っていた。ダンスもうまい。多才の人と言える。ただ、踊っている途中で、屈伸運動みたいなことをするのは、ちと避けて欲しい。なにしろ、急に画面から大部分消えるので、見てるこちらが「アレッ?」と思ってしまう。カメラさんも追いつけないしね。

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2007年4月15日 (日)

鎌倉紀行(3)-掃苔録篇-

 なだらかな山肌に、段々畑様の墓所が拵えられている。その中腹あたり。そこが小林秀雄の墓だ。地味な花が手向けられている。敷地の入り口には「小林家」。奥には五輪塔。掘り込まれた仏は輪郭も定かでない。けれん味が身上だった鬼籍の御当主からすると、その落ち着いた風情はちょっと意外。好感が持てた。

 立派だったのは、前田青邨筆塚。十三重塔である。立派過ぎて、絵師などという、いわばアウトカーストな稼業のものとしてはなんだかなぁ、という感じ。ま、(国立)東京藝術大学教授、文化勲章受章者、としては、本人がどうであれ、周辺にはあのように祭り上げたい人間は多数いたろう。ま、いいでしょう。

 ということで、掃苔録篇は終わり。中世都市鎌倉、一望篇を書くつもりだが、いつのことになるやら。

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2007年4月10日 (火)

「人間に関わることで、私に無縁なものは一つとしてない。」

 これは、renqingが高校時代に現代国語の教科書で読まされた、なだいなだ、の「人間、この非人間的なもの」(訂正4/12)、というエッセイに引用されていた、古代ローマの賢人の言葉、だと記憶していた。

 含蓄のある句なので、若き日(私にもあった、-_-;)のrenqingの脳裏に焼きつき、あれから幾星霜も経た今日でも、ふと思い出す。

 ところで、このcoolな言葉を我がblogのサブ・タイトルに入れよっかなぁ、と思い立ち、出典を探し出すことに意を決した。

 心覚えの古代ローマの著作家の有名どころを思い出し、あれこれネットで検索したが埒が明かない。そうなれば、引用句辞典とか、ラテン名言集みたいなものに当るしかない。
 ということで、手頃なものがあった。↓

柳沼重剛編『ギリシア・ローマ名言集』岩波文庫(2003年)

 編者解説によると、原典は喜劇。劇中、何にでも他人(ひと)事なら首を突っ込みたがる老人が、首を突っ込まれた方に、余計なお世話と言われたとき、返す言葉がこれなんだそうだ。

 なんじゃこれは、という顛末だが、我がblogもローマの賢人より、多情の老婆ならぬ多情の老爺の方が似合っているので、このラテン語↓をサブ・タイトルに掲げることとする。この記事を読まれた方は、この扉の句を見るたびにクスクスして戴きたい。この本のどこに書いてあるかは内緒。薄っぺらいものなので、ご自分でお探し下さい。

 homo sum; humani nihil a me alienum puto.

*参照
我は人間。人間的なものにして我に無縁なるものはなしと思う

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2007年4月 3日 (火)

「言葉の力」を思い出させるエッセイ

「ところで、週末になるとホテルの酒場の様子は一変した。平日の夜は、スウェーデン人技師とぼくとが殆ど毎晩同じような話を繰り返しているだけで、あとはひっそり静まり返っている酒場は、土曜の夜には泥酔者たちで大荒れとなった。それは、回教の戒律がもっと厳格な南の方で、油田の開発に従事している欧州や米国からの人々が、強い酒に酔うために、大挙して北上してくるからであった。
 その中の何人かの人びととは次第に顔馴染になってゆくのであるが、彼らの中には、明らかに大戦中どこかの遠い荒い海に、長い間出ていたような匂を持ち続けている人たちがいた。
 あの、あお黒く光る鋼鉄の機械油のにおいを、ぼくらは相互のどこかに探り当てながらも、しかしながら、そこから先には踏み入らなかった。お互いに、浅くしか眠ることが出来なかった夜々のことを、おたがいの不運な時代のことを、ぼくらはまだ打ち明けることが出来なかった。」

佐野英二郎『バスラーの白い空から』青土社(2004年)、p.65-6

 この小さな宝石のようなエッセイ集は、たとえどこから読み始めても、美しい言葉と出会えることの喜びを私たちに思い起こさせてくれる。上の文には、戦争やいくさ、などという言葉はひとことも顔を見せていないが、それであるからいっそう、軍艦に己の命運を託さざるを得なかった若者たちの、それも敵味方であったかもしれないかつての若者たちの、永久に塞がることのない傷口の存在を、私たちに静かに告げる。「言葉の力」をもう一度信じてもよい、と思わせるものがここにはある。

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2007年3月25日 (日)

尾藤正英『日本文化の歴史』岩波書店2000年(参照、追記)

 本を評価する場合、二つの視点が可能だろう。
①内容の価値、如何。
②著者の執筆目的とその達成、如何。
本書は、本文250頁足らずの中に、興味深い事実の指摘、あるいは著者の見解がてんこ盛り。その意味で、①は、★★★★★(五つ星)である。しかしながら、 ②はどうだろう。著者は本書の目的をこう書いている。p.iv「日本の文化がいかなる性格のものであり、また、いかにして歴史的に形成されて来たのか」と。この点につき、正直あまり要領を得ないのだ。無論、端々に記述はある。それにしても、念のため、本記事における後段の目次を読めば諸賢も理解戴けるはずだが、《まとめ》や《総論》に該当する部分がないのである。内容が多方面、知識の宝庫であるが故に、著者の立てた「問い」を正面から論ずる章を独立させるべきだったろう。その意味で、②は★である。ついでに言えば、これだけの内容量、質であるにも関わらず、索引もない。編集者を煩わせても、作り込む必要があったのではないか。ただし、たとえこれらの難点を挙げ得るにしても、裨益するところ大である。買って損はない。

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2007年3月17日 (土)

うぐひす、啼く

春きぬと  人は言へども  うぐひすの  鳴かぬかぎりは  あらじとぞ思ふ

     壬生忠岑(みぶのただみね)作、古今和歌集 巻一  春歌上

 本日の昼下がり、道を歩いていると、「ホー、ホケキョ」とよい声がする。一瞬、立ち止まるも、また歩き出す。と、もう一度「ホー、ホケキョ」。今度はもう少し大きな声。あたりを見回してもよくわからない。う~ん、残念だが今は先を急がねばならない。そのまま立ち去った。

 東京都心では、この16日、3月も中旬だというのに、1876年(明治9年)の観測開始以降、最も遅い初雪なのだそうだ。これまで都心で最も遅かったのは2月10日(1960年)。47年ぶりの記録の塗り替え。去年の冬より95日、平年より73日遅いと。

 どーりで、寒いわけだ。それでも一応、うぐひす君(「ホー、ホケキョ」と啼くのは雄)が啼いてくれたので、やはり、春。ちょっと、嬉しかった。

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2007年3月13日 (火)

かつて神様は日本語を廃せ、と告げられた

 明方の風物の変化は非常に早かつた。少時して、彼が振返つて見た時には山頂の彼方から湧上るやうに橙色の曙光が昇って来た。それが見るゝ濃くなり、やがて又褪せはじめると、四辺は急に明るくなつて来た。萱は平地のものに較べ、短く、その所々に大きな山独活が立つてゐた。彼方にも此方にも、花をつけた山独活が一本づつ、遠くの方まで、所々にその他、女郎花(をみなへし)、吾亦紅(われもこう)、萱草(かんぞう)、松虫草、なども萱に戻つて咲いてゐた。小鳥が啼きながら、投げた石のように弧を描いてその上を飛んで、又萱の中に潜込んだ。
 中の海の彼方から海へ突出した連山の頂が色づくと、美保の関の白い燈台も陽を受け、はつきりと浮び出した。間もなく、中の海の大根島にも陽が当り、それが赤えひを伏せたやうに平たく、大きく見えた。村々の電燈は消え、その代りに白い烟が所々に見え始めた。然し麓の村は未だ山の陰で、遠い所より却つて暗く、沈んでゐた。謙作は不図、今見てゐる景色に、自分のゐる此の大山がはつきりと影を映してゐる事に気がついた。影の輪郭が中の海から陸へ上つて来ると、米子の町が急に明るく見えだしたので初めて気付いたが、それは停止することなく、恰度地引網のやうに手繰られて来た。地を嘗めて過ぎる雲の影にも似てゐた。中国一の高山で、輪郭に張切つた強い線を持つ此山の影を、その儘、平地に眺められるのを稀有の事とし、それから謙作は或る感動を受けた。

志賀直哉『暗夜行路』(1921-1937)より

 さすが、神様の文章はしびれる。しかしながら、その志賀も↓のような事を言うこともある。

志賀直哉の日本語廢止論

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2007年3月12日 (月)

I love ‘I love a Fool’

問い「人間そのものについて、また人生についていつも考えておられることは・・・。例えばトーマス・グレイの詩なんか、淡々と流れる底に、人生に対する皮肉、あるいは警告のようなものを感ずるんですが・・・。」

福原「グレーの場合はそうですね。人生観といえば、チャールズ・ラム*が一番でしょう。じつは「私はバカが好きなのです」―「アイ・ラブ・ア・フール」**という言葉がありましてね。英語も簡単ですけど、人間どんなえらそうな顔をしても、金持も軍人もみな愚かな者であるという。愚かさというところまで下がって考えると、すべての者は愚かしく、しかも可笑(おか)しい。こういう愚かさや可笑しさをもっている人間は愛すべきものなんだ、というような考え方ですね。ラムってのは。
 ・・・。」

福原麟太郎「われ愚人を愛す」、より
『わが道をゆく ―人生随談話― 』吉川幸次郎、福原麟太郎ほか、p.46
 雷鳴社1974年

* 福原 麟太郎『チャールズ・ラム伝』沖積舎(2003年)

**‘in sober verity I will confess a truth to thee, reader. I love a Fool - as naturally, as if I were of kith and kin to him. ’
Essays of Elia by Charles Lamb

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論語の美しさ

問い「お好きな詩文は・・・。」

吉川「それはもう散文では論語、詩では杜甫です。・・・。
 ・・・。
 論語については、一応の私の考えを書きましたけれども(朝日『中国古典選』論語)、これは不充分なんですけれど、僕は論語はやっぱり中国の言語の中で一番美しい言語の一つじゃないかと思います。言語っていうのは、内容がなければ出来ませんよ。しかし、それを表現する論語の言語の美しさ、ことに論語の言語の音声の美しさっていうことはね、これは従来の日本の学者のあまり知らなかったところです。といっても、ただ聞いてるだけでわかるものでもないんだけれども。
 論語の方は、いままでに書いたものでもうよしにして、この頃は、専ら杜甫をやっているんです。杜甫にしても、論語にしても、それは日常性の偉大な哲学であり、偉大な詩である、ということですね。」

吉川幸次郎「中国文学のために」、より
『わが道をゆく ―人生随談話― 』吉川幸次郎、福原麟太郎ほか、p.105
 雷鳴社1974年

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文学の効用

問い「文学研究の心得についてひとこと・・・。」

吉川「文学研究は、本によるもんです。書物というものは言語で出来ているから、方法の初めは、その言語を著者の気持のとおりに読み、再体験するということで、まずそれが必要でしょうね。すべてはそこから出発する。そして著者の言語の奥に、著者自身でさえも自覚しなかったものを掘り出すということが、文学研究の目的だと思いますね。
 人間の現実の複雑さを教えるものは文学だと思います。だから、全然文学を読まない人のものの考え方は、往々にしてたいへん独断的です。独断的だけならいいですけれど、他人に対して冷酷になるんじゃないんでしょうか。人の美を成さない*ようになるんじゃないでしょうか。だから文学は皆さんお読み下さい、その方が人生に役立ちます、ということは自信をもって申せると思います。」

吉川幸次郎「中国文学のために」、より
『わが道をゆく ―人生随談話― 』吉川幸次郎、福原麟太郎ほか、p.116
 雷鳴社1974年

*子曰。君子成人之美。不成人之惡。小人反是。
子(し)曰(いわ)く、君子は人の美をなし、人の悪をなさず。小人(しょうじん)はこれに反(はん)す。
『論語』論語 顔淵第十二(16)

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2007年2月 5日 (月)

「ゲド戦記」と人類学

 この見出しの所以は、「ゲド戦記」の著者にある。名を、ル=グウィン(Ursula Kroeber Le Guin、1929-)という。ミドルネームに注意して欲しい。そう、彼女は、米国の文化人類学者の大立者、 A. L. クローバーの娘なのである。また、母セオドーラ Theodora Kroeber は作家で《イシ――北米最後の野生インディアン》の著者でもある。

 なんつっても、本当は、1969年のSF小説「闇の左手The Left Hand of Darkness」というのが出世作で、代表作らしく、この作品で1970年にヒューゴー賞を得ているのだそうだ。米国SF界の女王らしいのだが、ここらへんには、とんと土地勘が働かないrenqingなので、ご存知のかたご助言を。

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2007年1月22日 (月)

オーギュスト・ウンコ(Auguste Unco)

 当blogにコメント寄せて戴いたり、TBをつけて戴いている方々は、品と趣味のよい方がほとんどだ。ただ、その中にいくらか、つい怒りや疲れで、品をなくしてしまう人たちがいないではない。下記↓。類は友を呼ぶ、との格言もあるので、当blog作成者にもその臭いが漂うぞ、と指摘されれば否定できないことは、素直に私も認めるところだ。

オーギュスト・コント

肥溜めにおけるうんこのアイデンティティについて

 で、私もそのウンコ流れのひそみに倣ってみたわけ。

 私に言わせると、コントの社会学はウンコである。

 例えば、コントのPhilosophie Positive(実証哲学)、すなわち positivisme(実証主義) は、全く実証的ではなく、17世紀自然哲学者(例、Newton)たちがもたらしたと彼が理解したところの自然科学の手法、つまり、法則論的対象理解を、機械的に社会にも適用しただけにすぎない。また、彼の〈三段階の法則 loi destrois etats〉も、実証主義信仰と同様に、その師サン・シモン(Claude Henri de Rouvroy Saint-Simon)に原型があり、〈人類教〉の教祖というヤバイところも、同じくサン・シモン譲りだ。

 コントの positivisme(実証主義)は、positif(実証的)と何の関係もなく、「俺は、エコールポリテクニク出身で科学の何たるかを最も知っている哲学者だ。この俺なら“社会”の科学を建設できる。」という自己陶酔のイデオロギーに過ぎない。そしてこの流れは、そっくりそのまま、マルクス(Karl Marx)の、 wissenschaftlich = scientific(科学的)という自己規定へと流れ込む。このテーマは話が長くなるので、気が向いたら、 positivisme(実証主義)vs. positif(実証的)の問題、社会秩序の動揺と哲学的リゴリズムの隆盛の問題、として相互に絡めて再論することにしたい。

 ついでに。上記の加齢御飯さんも指摘されているように、ブラジル国旗には《 Ordem e Progresso 秩序と進歩》とあり、これはコントの標語だ。秩序なければ進歩なし。なんでブラジルの国旗にこんな言葉があしらわれているかと言えば、1889年にポルトガル王室の血統を引く皇帝を国外追放し、ブラジル共和政を指導した陸軍士官学校出身の軍人たちが、士官学校の数学教師でコント主義者の Benjamin Constant の影響を受けていたからである。この名前を読んで、一瞬びっくりされた方もいるだろう。そう、Benjamin Constant とは、バンジャマン・コンスタンと読め、もしそうなら、フランス心理小説の傑作である「アドルフ Adolph」の作者のことだからだ。ところが、当然その心配はご無用で、仏人のバンジャマン・コンスタンは19世紀前半の人であり、本名 Henri-Benjamin Constant de Rebecque である。私も、 Isaiah Berlin が好きだというこの自由主義者が、なんでブラジルくんだりまで(失礼、言葉の綾)出かけてくるんか、と思ったが別人ということに落ち着いた。

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2007年1月19日 (金)

学問する心構え(2)

 学問する心構えで、白川静の言とした下記の心構えは、より先達の言葉だった。

志あるを要す、恒あるを要す、識あるを要す

 その名を、曾国藩(1811-1872)といい、清朝の政治家、李鴻章の親分、洋務運動の大立者、名文家で、優れた儒家であった。白川先生、いい加減なこと言ってごめんなさい。

〔註〕ある方の助言でわかりました。ありがとうございました。

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2007年1月15日 (月)

学問する心構え

1)志あるを要す。

2)恒あるを要す。

3)識あるを要す。

 とは、去年物故した白川静の言であった。

 この大学者の傑作な逸話が下記blogにある。「読むを要す。」

白川静のイナバウアー

〔補註〕下記もご参照を乞う。
学問する心構え(2)

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2007年1月12日 (金)

《文章密度反比例の法則》

「文章の不思議は、大急ぎで書かれた文章がかならずしもスピードを感じさせず、非常にスピーディな文章と見えるものが、実は苦心惨憺の末に長い時間かけて作られたものであることであります。問題は密度とスピードの関係であります。文章を早く書けば密度は粗くなり、読む側から言えばその文章のスピードは落ちて見えます。ゆっくり書けば当然文章は圧縮され、読む側から言えば文章のスピードが強く感じられます。」
 三島由紀夫『文章読本』中公文庫(2005年改版8刷) 、p.187、第八章文章の実際-結語、より

 下記記事の一文より思い出したので、引用してみた。
 何のかんの言っても、どうも私は、三島の文章が好きらしい。

『句集 彼方より』
「一見、軽々と詠んでいるように見えるのは、実は作者の推敲の賜物である。」

〔註〕「三島由紀夫」カテゴリー作成しました。ご参照下されば幸甚。

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2007年1月 3日 (水)

奇妙な果実、あるいは、ワクワク(3)

 「奇妙な果実、あるいは、ワクワク(2)」に事実誤認があったので訂正。そこで、

「 馬琴が「南総里見八犬伝」で、儒教という中国思想本流の影響下にありながら、処女に犬の子を孕ませるという破天荒な奇譚を構想し得たのは、おそらく日本の土壌があればこそだ。」

 と書いた。しかし、この系統の説話モチーフを《犬祖神話》といい、元来、中国華南地域の、とくにミヤオ(苗)・ヤオ(瑶)・ショオ系の少数民族の間に、「槃瓠(ばんこ)」という飼犬が戦功をたてて王女をめとり,種族が発祥繁栄したと伝えられたものだったようだ。それが『五代史』を通じて、馬琴によって大規模にインスパイアされたらしい。古代中国人が、未開民族は奇怪なことをいうわい、ぐらいの勢いで記録を伝えたものだろう。

 ただ、この《犬祖神話》も、孤立したものとは言えず、北米のイヌイット(エスキモー)の、犬を夫にした娘セドナの神話に代表されるように、北米の先住民の間に広く流布しており,類話はシベリアからも発見されているらしい。

 つまり、漢族ではないが、中国がらみであり、広く見るとベーリング海峡にも広く似た神話が分布しているので、馬琴のアイデアが日本の土壌にのみ起因するという記述には無理があった、ということになる。ごめんなさい。m(_ _)m

〔参照〕 
 以上のすべては、平凡社世界大百科事典、の諸項目からのもの。いやー、それにしてもすごい事典だ。これだけで、過去に関することなら、相当深く調べることができる。

「南総里見八犬伝」、高田衛、執筆部分。
「イヌ(犬)」、 鈴木健之、〃。
「  〃  」、吉田敦彦、〃。
「ショオ族」、長谷川清、筆。
「ヤオ族」、同上、筆。
「ベトナム」、森幹男、筆。
「槃瓠」、白川静、筆。

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2006年12月31日 (日)

奇妙な果実、あるいは、ワクワク(2)

 手塚治虫「メトロポリス」、R.スコット「ブレードランナー」、F.ラング「メトロポリス」。これらに共通しているものはなにか。それは、女性型ロボットと人間男性との恋愛である。

 これは、まさに、「鶴女房」等の異類婚姻譚だろう。そして、この三篇には、濃淡に差はあれ、いずれも「日本」の刻印がある。F.ラング「メトロポリス」をリプリント版で見たのは十年近く前だが、確か日本的アイテムがあったはずだ。それがなんだったか、寄る年波で忘却の彼方に沈んでしまったが(-_-;。 その衣鉢を継ぐ「ブレードランナー」に、「強力わかもと」のネオンがあるのは明らかにその影響だろう。

 馬琴が「南総里見八犬伝」で、儒教という中国思想本流の影響下にありながら、処女に犬の子を孕ませるという破天荒な奇譚を構想し得たのは、おそらく日本の土壌があればこそだ。

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