サッカー

2007年8月27日 (月)

日本サッカー、ゴール欠乏症の根源(2)

 参考になるコメントがあったので、ご紹介。

シュート少なく1点に泣く 若き日本も「個の力」不足
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「走れた上で、ゴール前での技術もぶれない選手は日本になかなかいない」
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決勝T進出ならなかった、U-17W杯、日本代表チーム城福監督の敗戦の弁

 もう一つ、気が付いたものがあったので、参考まで。

前田俊介 -  Wikipedia
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「3人抜いて4人目に奪われても、3人抜いたことで満足している。それはプロではなくアマチュアの発想だ」
「シュンは特別な才能を持っている。だが成功するには、頭の中を変えないといけない」
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広島のペトロヴィッチ監督の前田評

 頭の中を変えなければならないのは、無論、前田俊介だけではない。特に、扇動的記事しか書けないスポーツ・マスコミなどはその最右翼だろう。彼らはアマチュア以下。

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2007年8月14日 (火)

日本サッカー、ゴール欠乏症の根源

 前回、日本人選手のテクニックで、松井大輔の言葉を引いた。再びイタリア人からも指摘されているので、引用しておこう。

「いかに自分で考え、解決できるか」 
「ACミランジュニアキャンプ ジャパン2007」リポート

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――日本の子どもたちの長所と短所を挙げていただけますか

ファビオ 例えば、こんなシーンをよく見掛けます。相手を抜いて、完ぺきに抜いたのに、もう一回抜いて、さらにもう一回抜いて、その後もう一回抜こうとする。イタリアの子どもだったら、相手を抜いたらすぐにゴールを意識するのですが……。つまり、日本の子どもは技術はあるのに、試合に勝つためではなくて、テクニックを磨くために練習をしている傾向があるのでは。
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 上記の傾向は、他の分野、例えば、国際的な音楽コンクールなどに参加する日本人若手演奏家たちにおいても、指摘されるところだ。「演奏テクニックは高いのだが・・。楽曲の解釈、つまりなんのための音楽かが聞こえてこない。」と。

 また、こういう事例もある。徳川期、日本で和算と呼ばれた数学が発達した。代数方程式、積分、行列式、三角関数とそのべき級数の展開、等、開国以前においては、西洋数学を知らずに、高度なレベルまで達していた。その一方で、難問あるいは珍問・奇問の考案とその解法の妙を、門流間で競う、という、茶道・華道のような一つの「芸」となり、解法テクニックの巧みさに溺れ、体系化する機会を失い、やがて明治期に大挙して流入した西洋数学に置き換えられてしまう。そして、自らは数学史の対象としてのみ知的関心をもたれるだけとなった。

 こうしてみてくると、これまでの日本人の歴史的傾向として、芸=テクニックに溺れやすい、という弱点が観察できる。つまり、goal(=目的)を達するために芸やテクニックを磨くのだが、それが高度になればなるほど、それに自体に淫してしまい、goal(=目的)を忘れてしまう、ということである。

 日本人フットボーラーが高度のテクニックを持ちながら、試合で「役に立たない」という病の根は深い。

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2007年8月13日 (月)

日本人選手のテクニック

 アジア・カップの敗戦の弁で、日本代表監督オシムは、一つ気になることを言っていた。

 日本人は、テクニックがあるというが、トップスピードでボールコントロールできる選手がいない。

 その一方で、こういう証言もある。フランス1部リーグ、ル・マンに在籍する松井大輔。

 日本人選手は、フランス1部リーグの選手とくらべても、テクニック的に見劣りしない。結構うまい。だけど、そのテクニックの試合での生かし方をしらない。その点、こっちの選手のほうがよくわかっている。

 この二つの証言は矛盾するのだろうか。恐らくしないのだろうと思う。試合で相手DFを恐怖に陥れる攻撃は、カウンター時の縦への攻撃だろう。そのためにも、トップスピードでフリーランニングし、そこでロングパスを受けてもスピードを落とさずに、最短距離で相手ゴールに迫る必要があるわけだ。こういうプレイが可能かどうかは、やはり意識してそういう練習をするかどうかにかかっているのだろう。

 Jリーグ初期に大活躍した、鹿島のFWアルシンド。彼は、U-20のブラジル代表だったとき、U-20南米選手権でMVPに輝いていたはず。その彼の特徴も、トップスピードに乗っているときのボールコントロールの巧みさだった。それが、あの爆発的な得点力を生み出していたのだと思われる。

 同じ鹿島で活躍した、レフティのMFレオナルドが、フランスWCで日本代表が予選リーグ敗退したときに言っていたことを引いておこう。

 相手DFにとって最も脅威なのは、縦への攻撃だ。いくら敵ボールでも、横パスだけなら、相手DFにとりあまり脅威にならない。その点、日本代表より韓国代表の攻撃のほうがずっと相手チームにとり脅威だろう。日本代表も、縦への攻撃を意識すべきだと思う。

 トップスピードでのボールコントロール。これはつまり、高く維持した守備ラインで相手ボールを奪取し、少ない相手DFへカウンター攻撃の際にものを言うテクニックといえるだろう。 

  トップスピードでフリーランニングしていれば、来るパスは当然、走っている自分の左右後方からものに決まっている。視野的にも狭いので、ボールを視認しにくい。また、せっかく相手ゴールに向かって縦に飛んでくるボールを、ボールコンロールのためにトラップでとめてしまっては意味がないので、できるだけワンタッチで、迫り来る相手DFを予想しながら、相手DFの足がギリギリ届かない範囲で、己のボールコントロール圏内の、最適な攻撃侵入経路上の自分の前に転がさなければならない。

 これは、確かに難易度の高いテクニックだ。しかし、欧州のビッグ・クラブで活躍するトップフットボーラーたちはそれを実践している連中だろう。やはり、普段どのような意識と工夫をもって、練習に臨んでいるかの差の問題なのではなかろうか。

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2007年1月 8日 (月)

第85回全国高校サッカー選手権大会決勝

 第85回全国高校サッカー選手権大会、盛岡商(岩手)対作陽(岡山)の決勝戦。0対0で折り返した後半のみテレビ観戦。

 両校無得点の均衡が破れたのが、後半11分。

 作陽DF13桑元剛が右サイドからドリブルで盛岡商の中央に切れ込み、ペナルティーエリア手前、正面右にいる、負傷のため後半から投入された作陽FW9・エース村井匠へパス。この村井が3人のDFに囲まれながら、ジダンばりの足裏でボールを引くフェイントでDFの密集していない逆サイドの左へボールをコントロールし、ワンステップでよくボールの芯を振りぬき、強烈なシュートを放つ。これがクロスバーの当たり、跳ね返ったボールに、走り込んできた作陽DF13桑元がしっかり反応し、ヘディングで押し込み、ゴール。

 ゴール前での、作陽FW村井の落ち着いた個人技に感心。なかなかのものだ。Jリーグからも何チームか誘いがあったのも頷ける。しかし、関西学院大に進学が決まっているという。これには感心しない。いったい彼は大学に行ってなにがしたいのか。サラリーマンになりたいのだろうか。大学なんて、プロの道を断念してからだっていくらでもいける御時勢なのに。おおよそ周りの大人から、「大学ぐらい出ておけ。」程度の、何の定見もない助言を受けたのだろうと察しがつく。しかし、大学リーグのレベルにがっかりして、プロに行かないことを後悔するだろう、平山相太(国見高→筑波大→オランダ・ヘラクレス→FC東京)みたいに。フィジカルコンタクトが常に付きまとう、サッカー選手の寿命は、野球などのプロスポーツに比べて、平均的にかなり短い。自分の人生にとって、「今」何が最も大切なのか、自分の頭でよーく考えろよ、村井。大学進学後、「失敗したぁ。」と思ったら、バルセロナ(スペイン)のテストでも受けるんだね。己のあやまちに気づいて直すのに遅いということはないから。

 横道に逸れたが、村井にパスを出した後、しっかり状況を見て、ゴールに詰めていた桑元も素晴しい。フットボールは、ゴールというラスト・ピースを入れることでそのプロセス全てが意味を持つジグソー・パズルだ。ゴール前までどれほど美しく華麗にボールを運んでも、最後にゴールマウスに押し込めなければ、DFの一瞬の隙でボールをかっさらわれ、キーパーの脇にそっと流し込まれてしまえば、その試合は失われてしまうのだ。ゴール、ゴール、ゴール。それを意識した桑元は賞賛に値する。

 そして、後半26分。後半途中投入されたばかりのスピードのある盛岡商MF13大山徹が、ペナルティーエリア左サイドを鋭く抉り、フェイントで相手DFを振り切って、ゴールそばの左ライン際から低く折り返す。すると、ゴール正面で待っていた、先ほどPKを外した盛岡商レフティMF11林勇介が、一度ボレーシュートをミスりながらも、自分の前に転がり出てきたボールを諦めずに、しぶとくつま先で押し込む。これで、盛岡商が同点に追いつき、試合は振り出しに戻る。

 さらに、後半40分。盛岡商FW9成田大樹が左サイドをドリブル突破。左ゴールライン際に切り込んで、一瞬ボールを止め、作陽DFを置き去りにし、ゴール前にパス。ゴール前に詰めていた、盛岡商FW10東舘勇貴がスルーし、裏に走り込んだ盛岡商MF8千葉真太朗がドンピシャでゴール右に決める。これで盛岡商が逆転成功。

 ここで、感心するのは、成田の見せたテクニックと盛岡商FW10東舘勇貴が、自分の目の前に来たラスト・パスをスルーしたプレイ。自分の右後ろから、千葉が来るのを「感じ」、確信をもって落ち着いて、ゴール眼の前でスルーしていた。これには脱帽。高校生のレベルもここまで来たか、という印象。

 全体として、随所に「フットボールしているなぁ」という感想を持った。日本のユースのレベルは確実に、かつての「サッカー」から、世界共通の「フットボール」へ脱皮しつつあるのは間違いない。日本サッカー協会の指導者層からの育成事業が、うまく回りだしているのだろう。あとは、「ゴール」を奪う楽しさ、面白さ、醍醐味を真正面から肯定する空気を幼少期から醸成すれば、ゴール欠乏症候群は遠からず治癒されると思う。

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2006年7月23日 (日)

私のベスト・ゴール

 たまたま、実況中継で見たゲームなので印象が強烈だった、という理由で選んだ。

2006年6月30日金曜日、準々決勝、ベルリンで行われたドイツ対アルゼンチン戦。後半、49分。リケルメの右からのコーナーキック。クローゼの前に飛び出て、ディフェンダーのアジャラが決めたヘッディング・シュート。びっくりするほど、素晴しかった。

 ロベルト・アジャラは、177cm、75kg。日本のDF宮本とほぼ同じ体格。対する、ドイツDFは、平均身長ほぼ190cm。やはり、ヘッディングは、ポジショニング、タイミング、読み、ということだろう。ヨーロッパ勢に負けるとすぐ体格の事を言い募る少し頭の悪い連中には、絶好の反証材料と言える。

 したり顔で、ダメな理由を挙げても意味がない。現状から出発して、どういう対策が可能かつ有効なのか、どうすれば長期的に改善できるのかを論じろ、スポーツ・マスコミ。お前達の阿呆で、扇動的な記事が、いかに日本のサッカーをダメにしているか。愛があるからこそ、厳しく、冷徹な批判ができ、そういうチャレンジに晒されてこそ、日本のサッカー界も少しずつよくなっていくのだ。

 日本代表の予選リーグ敗退の最大の戦犯は、お前たち、スポーツ・マスコミだ。

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2006年7月17日 (月)

別に惜しくない「中田引退」(2)

 中田が優れた能力をもつフットボーラーであることは間違いない。しかし、イタリアへ出て、その得点能力で注目を浴びつつも、しばらくすると泣かず飛ばずに陥っていた。それは、新天地を求めてチームを移動しても、当座の期待からチーム側の熱が冷めてくると、全く同じように繰り返されていた。

 これは、監督と合う合わないという問題ではないだろう。どのチームに行っても、最終的には同じなのだから。

 彼は学業ができたようだ。つまり、「頭がいい」らしい。たいていの運動選手は勉強はできない。限られた己の能力をスポーツに集中しているのだから当然である。これは海外のプロ選手であればなおさらそうだ。十代で頭角を現している選手なら、ほぼ、日本で言えば、中卒レベル、へたをすると小卒同等、だろう。

 率直に言って、中田の問題は、チームメイトを軽く見て(「頭が悪い」とか)、自分に従うかどうか、という態度でしか接しないことではないか、と私は推測する。どの監督も、実際に中田をチームの中で使おうするとき、その態度がどうしても障害になり、ベンチに置くことになったのだと思うのだ。

 中田は常にリーダーでいたいのだろう。しかし、チームメートは彼をリーダーとして認めなかった。日本代表においてさえも実質的にそうだったのだろうと思う。リーダーは、時には果断な命令を出す必要がある。しかし、この命令も相手が承認して従わなければ無意味だ。それには、日常的なコミュニケーション活動が前提となる。

 中田は、人間には「指示を出す者」と「その指示に従う者」が厳然としているという事実は充分知っていた。ただ、惜しむらくは、その解釈に間違いがあったようだ。彼は、「偉くないもの」は「偉いもの」のいうことを、必然的に、きく、と思っていたに違いない。

 しかし、集団メンバーと普段からコミュニケートしようとしないリーダーに、誰がついていくものか。彼は、「王様」でありたかったが、なれたのは「裸の王様」でしかなったわけだ。

 外国語を操れることとコミュニケーション能力は何の関係もない、というが私の、このつたない中田研究の帰結である。

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2006年7月11日 (火)

別に惜しくない「中田引退」

 ジダン退場、とか、イタリアの優勝とか、でちょっとかすんでるが、中田引退について一言。メンテナンスが始まると、多分、システム不調は2日間では済まないので。

 既に、各紙、各所で言われているよう、中田はサッカーを始めるときから、サッカーだけの人生は考えていなかった。プロになった当時のベレマーレ平塚の監督が、中田がイタリアへ向かう際に漏らしていたように、中田にとって、サッカーは一過程にすぎず、その向こうに、ビジネス、おそらく、具体的にはクラブ経営が頭にあったし、一つの選択肢として今もあるのだろう。だから、ブラジル戦に見せたあの涙はたまたま出た感傷にすぎまい。感慨はあるだろうが、それは彼にとって一瞬のことだ。中田の人生においてサッカーは、彼自身を生かす手段なのだ。別にそれを非難する気は全く無い。ただ、それを何か、持ち上げなければ気が済まない、この日本のマスコミのインテリジェンスの無さが、もうたまらん。私のほうが泣きたいくらいだ。クールで合理的な批判ができないスポーツ・ジャーナリズムが跋扈するかぎり、日本のスポーツのレベル、特に、サッカーのレベルは永遠にあがるまい。

 もう一点。テレビ解説でラモスが言っていたように、ピッチの中で、プロ根性を示したのは、中田と中沢だけだったのだろう。ただ、中田はこの5、6年、日本代表における選手のリーダー格だったはずだ。リーダーの役割は、仲間によき模範jを示すとともに、仲間をモチベートし、仲間全体のアベレージを上げるよう工夫することではないか。中田にそれができていたのか。私はできてなかったと思う。その若さゆえ、年齢的に無理からぬことではあるが、磐田にいたドゥンガのような役回りはできなかったのか。そのことに中田自身が思い至らないのだとしたら、彼の優秀な頭脳をもってしても、もしくは、優秀であるがゆえに、ビジネスという人間くさい共同作業において、日本代表のレベルを全体として上げられなかった過ちをまた犯す可能性があることを老婆(爺)心ながら予言しておこう。

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2006年6月28日 (水)

勝ちにまさかの勝ちあり、負けにまさかの負けなし(3)

 これ(=風刺のこと。renqing註)に反して、ユーモアは人間生活の内部における潤滑油のようなものであります。それも緊張に際して行動の自由を奪われる人間の窮屈な神経を解きほぐし、生活上の行動に対して自由な楽な気分にしてはげますものであります。ですから、イギリス人は戦場において厳しい戦闘のさなかにもユーモアの精神を発揮します。ユーモアと冷静さと、男性的勇気とは、いつも車の両輪のように相伴うもので、ユーモアとは理知のもっともなごやかな形式なのであります。ドイツ人はいかにも男性的尚武の国民として知られていますが、ユーモアの感覚の欠如している点で、男性的特質の大事なものを一つ欠いているということができましょう。
三島由紀夫 『文章読本』 中公文庫(1995)、p.219

 おそらく、サッカー日本代表チーム、スタッフ、そして何より、眦(まなじり)を上げて、「絶対に負けられない」と絶叫する、知性のかけらもないメディアに、俄(にわ)か愛国者たち。彼らにもっとも欠けていたのが、追い詰められた戦場、においてだからこそ必要な「ユーモア」だったのではないか。

 先の文で、ドイツと日本を入れ替えたとして、三島も否定はしまい。口元を苦そうに歪めるだろうが。

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2006年6月26日 (月)

勝ちにまさかの勝ちあり、負けにまさかの負けなし(2)

 好評につき、図に乗り第2弾。

 釜本邦茂。日本サッカー史上不世出のストライカーと言われる。特に、ゴール右45度からの右足シュートは有名。今でも正確に打てる、とは本人の談。

 釜本はヘディングも得意だった。なにしろ、1968年5月23日に国立競技場で行われた日本代表対アーセナル(イングランド)第1戦で、長身の相手DFに競り勝ち、ヘディングシュートを決めている。しかし、身長179cm。無論、跳躍力もあったろうが、それよりも練習法。釜本は、ヘディングの上達のため、キーパーに高く蹴り上げてもらい、最短で落下点に到達する練習を繰り返していた。こういう合理性の裏づけのある練習をしているから、身長差があってもヨーロッパの長身DFにヘディングで競り勝つのだ。

 釜本のシュートの破壊力は頭抜けていた。どのくらい強烈かというと、日本リーグの試合中、相手チームのキーパーの交代要員が底を突き、素人のFWがキーパーに入ったとき、釜本のシュートを受け損ねたその選手が手に裂傷を負ってしてしまった、というエピソードに如実に現れている。

 その強烈なシュートはどのようにしてもたらされたのか。彼の優れた身体能力もあるだろうが、彼が何に意識を集中してキックしていたか、が重要だ。キックするとき、釜本の目はボールに注がれている。相手DFにタックルされているときも、ボディコンタクトしているときも、目はボールを追い、キック、シュートした後で、自分が倒れつつあるときでも、目はボールを追っている。

「ボールを見つめ、目でボールを追うことで、シュートの押さえが利くんですわ」

とは本人の弁である。

 強烈なシュートを打つ、ブラジルのロベルト・カルロスの秘密を探った日本人スポーツ科学者の話によると、ロベカルのすごいところは、キックのとき必ずボールの真ん中(重心)をたたいていることらしい。そのため、キックの力が無駄なく全てボールに伝わるのだそうだ。それで、無回転の重くてゆれるようなシュートが打てるのだろう。先のブラジル戦で川口がビビッたという天才フリーキッカー・ジュニーニョのゆれるボールの理由も、キックのミートポイントがしっかり真ん中を捉えているからこそ出来るものだと思う。で、なぜ、ボールの真ん中をたたけるのか。それが釜本と同じ目の問題だと思う。おそらく、彼らもボールミートの前、瞬間、フォロースルーの時もその目はボールを追っているはずだ。釜本のシュートも無回転でゆれるような軌道を描き相手キーパーを襲っていたのはまちがいない。

 結論。天才ストライカーでさえも、シュートがうまくなるために、合理的で根拠のあるシュート練習を日ごろから重ねているんだよ。

 足踏堂さんのコメントに引っ掛けて、スポーツにおける「型」の問題を書こうと思ったが、忘れなければ次回に書こう。

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2006年6月24日 (土)

勝ちにまさかの勝ちあり、負けにまさかの負けなし

 標題はこういう意味だ。勝つときはまぐれで勝つこともあるが、負けるときはたまたま負けるということはなく、必ず負ける理由がある。
 逆に言えば、成功してしまったときより、失敗してしまったときのほうが、しっかり学びなおすことができ、より成長の糧になる、という意味でもある。空手家の言葉らしいが、プロ野球楽天の野村監督の座右の銘として、私も好きな言葉だ。

 さて、ただのサッカーファンであるrenqingが、サッカー・ワールドカップ・日本代表の戦績を、一つの観点からのみ考えてみる。それはシュートである。

 データをあげよう。

全3試合  

総得点 2 総失点 7

総シュート数 27 (枠内 10 = 37%) 被シュート数 57 (枠内 32 = 56%)

 シュート数の少なさにもガッカリだが、それ以上に、枠内に蹴り込んだのがたったの10本で、蹴り込まれたシュートが32本もある、というのが痛い。これではいくらなんでも勝てんだろう。

 では、枠内にいったシュートがどのくらい得点・失点に結びついているか。オフェンス・サイドでは、10本枠内シュートがあり、得点2(20%)。ディフェンス・サイドで、被枠内シュート32で、失点7(21.8%)。あまり変わらない。

 これを対戦相手別に見てみる。

オーストラリア戦  被枠内シュート 12 失点 3 (25%)
クロアチア戦    被枠内シュート  6 失点 0 ( 0%)
ブラジル戦     被枠内シュート 14 失点 4 (28%)

 つまり、世界最強のブラジルでも、得点できるかどうかは、枠内にシュートがいくかどうか、にかかっているわけだ。ま、あたりまえか。

 では、シュートの枠内率をくらべてみる。

オーストラリア戦  枠内率 2/6  = 33%   被枠内率 12/20 = 60%
クロアチア戦    枠内率  5/12 = 41%   被枠内率  6/16 = 37%
ブラジル戦     枠内率 3/9  = 33%   被枠内率 14/21 = 66%

 ちょうど、試合結果とパラレルだ。

 もし、枠内率が60%あれば、総シュート数が27本あるわけだから、16本前後枠内シュートがあり、そのうちの25%は得点に結びつき、4点は取れていただろう。

 つまり、日本のオフェンスは、シュートしても枠内にいかない。シュートがへた。これが決定力不足の真の原因ということになる。

 個人的にサッカーを競技としてやったことがないし、プロの練習振りなど見学したこともないのだが、いったいシュート練習ってやっているんだろうか。それがどーも不可解だ。

 一例を挙げよう。オランダ代表のFWに、ルート・ファン・ニステルローイがいる。彼は身長190cm近くあり、元来DFとして出発していたが、MF、FWとポジションを移り、現在、世界有数のストライカーである(最近あまりパッとしないが)。彼の特徴は、その体力に物を言わせて、ペナルティアリア近くでの、相手DFを背負いながらのボールキープとそこから反転してのシュートである。

 そういう芸当は、その体力だけからのものだろうか? 実は、ポジションを移ったとき、彼は自分がFWとして生き抜くため自分の体力を生かしたスタイルを作ろうと、いつも居残りで、コーチや仲間と、DFを背負いつつシュートを打つ練習を繰り返したのだという。そりゃあそうだよね。練習もせずに、あんなこと簡単にやられたらたまりません。そういう、具体的に試合を想定して、何度もシュート練習する、これが日本チームに不足しているんではないか、と思うわけね。

 もうひとつ。グループBのイングランド対トリニダードトバゴ戦。後半ロスタイムに、イングランドのスティーブン・ジェラードがペナルティエリアすぐ外から素晴しいミドルシュートを打ち込んだ。ゴール右側から左に移動しながら、利き足ではない左足からの強烈なシュートだった。こういうことが本戦で可能なのも、普段から、右でも左でも正確なキック、シュートが出来るように、場面を想定して、具体的に練習しているからだろう。

 で、もう一つ。日本対クロアチア戦。後半51分、加地がペナルティーエリアに飛び込み、反対側にいた柳沢へスライディングでボールを送るが、これを柳沢は右足のアウトでタッチし、ゴール右側へ信じられないはずし方をする。ここで、柳沢は左足のインサイドでワンタッチすればよかっただけだ。それで彼は英雄になれた。この大舞台の本番で、この機に及んで、左足のワンタッチシュートが出来ないということは、普段からそういう想定の練習をしてないということに尽きる。天国と地獄は人生で紙一重だ。しばらく、彼は地獄を味わうしかないだろう。合掌。

 なお、FIFAの作成したマッチ・レポートをご覧になりたい方は、下記サイトを見てください。「トップページ」→「試合日程・結果」→「試合詳細」→「詳細データ」で、詳しい数値が見れます。

2006FIFAワールドカップ オフィシャルサイト

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2006年3月18日 (土)

‘グルジア’を身にまとうベッカム

 実は、このネタ、旧聞に属してしまった。なぜなら、すでにイングランド代表のユニフォームは、イングランド国旗を模したものから、一時代前の赤を基調とものに変わったので。

 で、何を言いたいかというと、その一つ旧いユニフォームのベースになっているイングランド国旗の意匠が、聖ジョージの旗印、白地に赤十字なのである。

 聖ジョージとは、3~4世紀ごろのカッパドキア(今のトルコ)に実在した伝説的聖人で、ゲオルギウス Georgius のことである。彼は、ローマ帝国の軍人で、偶像崇拝を拒否したため、さまざまな拷問の末、殉教している。また、騎士、射手、農民、武具製造人、馬丁などの守護聖人としても広く愛され、美術作品では一般に、長めの髪をもつ若く美しい騎士として表象される。

 ま、それがベッカムにぴったりと思うわけ。で、聖ジョージに由来するのが、グルジア共和国(英語表記 Republic of Georgia)である。自国語での表記は全く違うのだけど。

 ということで、歴史に関する単なる薀蓄(うんちく)記事でした。

*この記事、ゲオルギウスのことは、平凡社世界大百科事典の井手木実の項目による。

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2005年10月10日 (月)

ちょっと感心した話(2)

ミセス・ベッカムと、《なに》したかもしれない、色男は、
Robbie Williams(ロビー・ウィリアムス:30歳)
でした。また、南米のラジオ番組とはアルゼンチンでした。
より詳しい情報は下記↓をご覧下さい。

ロビー・ウィリアムスがスパイスガールズ4人と寝たことを告白
山本通信

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2005年9月25日 (日)

なぜ、オランダのサッカー選手はスペインへ移籍するのか?

オランダの著名なフットボーラー、かつてのヨハン・クライフ、現バルセロナ監督のフランク・ライカールトや、現役のパトリック・クライファート、など選手として、そして、監督等として、リーガ・エスパニョーラに移籍するオランダ人フット・ボーラーは枚挙にいとまがない。スペインのリーガ・エスパニョーラは、気候、風土等、例えば、イングランド・プレミアリーグと比べると、オランダとの違いはかなり激しい。にも関わらず、なぜオランダ人は気軽にスペインへ動くのか。

このわけは、オランダとスペインの歴史的因縁に関連する、というのが私の仮説だ。簡単に言えば、かつてのオランダはスペインと同じ国だったのである。どういうことかというと、オランダはスペイン・ハプスブルグ家の領地だったのである。ま、500年くらい前のことだが。そのため、昔から、人的、文化的交流がオランダ・スペイン間に盛んだった。国際法で有名なグロチウスも、その仕事の想源をスペインのビトリア、スアレスといったスコラ学者に負っている。

また、オランダは寒い土地であり、アルプス以北のヨーロッパ人が、南欧の温暖で陽光きらめく自然に昔から憧憬の念を抱いていることもあろう。文豪ゲーテもイタリア紀行を書いている。現代オランダ人も、できればバカンスにスペインに行きたいという。

おそらく、サッカー協会設立等の経緯についても関連があるかもしれない。わかったらまた書いてみることとする。

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2005年9月20日 (火)

ちょっと感心した話(1)

 一昨日の昼下がり、某FM局のポップスのチャート番組をたまたま耳にしたときの話。その番組の男性DJが一つのクイズを視聴者に出していた。南米チリ(だったかな?)のラジオ放送局でのインタビューで、イギリス・ポップス界名うての色男(既に名前失念!)が自分の手柄話、つまり誰それと寝た、とか言っていて、それが「俺はスパイス・ガールズのX人と寝た。」という代物だった。で、そのX人を当てるクイズを視聴者に出した訳だ。

 件(くだん)のDJは、三つの選択肢を示していた。3人、4人、5人の三択。その視聴者(男性)は、うーん、と迷って答えを出せないでいる。私は何気に聞きながら、「馬鹿な問題だなあ、5人に決まってるじゃん。」と心の中でつぶやいた。何故なら、女を落とすことに生きがいを感じる男なら、スパイス・ガールズ5人全員を何とかしようとするだろうし、それが成功すればこそ自慢話になるからである。DJがせっつくと、男性視聴者はついに「4人」と答えた。どうも単なる勘のようなのだが、それが正解でCD券3万円也を手にして喜んでいた。

 私は自分の予想がまんまと外れて意外というか心外だったが、ちょっと考え直してみて、それが実に見事な捻(ひね)りの効いているセリフだということに気がついた。他の車から見られた様じゃないが、色男アーティストの言葉のセンスに感心して車を運転しながら勝手に一人で頷いていた。

 というのも、スパイス・ガールズ5人の中に、実は、ビクトリア・ベッカム、つまり、英国サッカー界の貴公子(古いか?)デビッド・ベッカム夫人がいる。だからこそ、この話題は面白い。ビクトリアがいくらショー・ビジネス界の人間だとしても、既に夫人であり、ラジオのような公開のメディアで、昔付き合った男に公然と話をされることは体面を傷つけられる事になる。そのとき、例え、本当は5人全員と寝たとしても、「4人」と答えることで、ベッカム夫人に「私じゃない」と逃げ道を与え、なおかつ、彼女がその4人にはいっているのかどうか、聞くものに穿鑿(せんさく)させることに成功するわけだ。

 うーむ、私の数少ない誇りは言葉に対する感覚だ、と内心自惚れていたのだが、まだまだ修行が足りないな。

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