若い衆に入ったら、子供心でいるんじゃありません
下記の本が面白い。
本書は、近世日本の教育・社会史の専門家が、その三十年来のフィールドワークの歩みを総決算したもので、内容はすべて著者自身の調査・研究に基づくという。興味深く、新書ながら力作であると思う。
特に印象深かったことは五つある。
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下記の本が面白い。
本書は、近世日本の教育・社会史の専門家が、その三十年来のフィールドワークの歩みを総決算したもので、内容はすべて著者自身の調査・研究に基づくという。興味深く、新書ながら力作であると思う。
特に印象深かったことは五つある。
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赤ちゃんは、すべての大人から祝福されなければならない存在である。
なぜなら、赤ちゃんはその親を選べないし、遺伝形質や生まれてくる時代・場所も選べないからだ。
人はおそらく、自らが他者から祝福された存在だと信じられなくなったとき、己の生を絶つのだ。祝福する力の衰弱した社会、それが現代日本であろうか。
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先に、自殺に関する記事を二件書いた。
■他殺率
他殺率については、上記記事のコメントにも書いたように、
1)銃規制 gun control の成功or失敗
2)徴兵制による市民の銃取り扱いへの慣れや発砲経験の有無
とも相関するだろう。現在、他殺率の低い日本だが、1945年以前は、現代より確実に他殺率は高いと考えられる。上記2条件がないからである(生憎、他殺率の長期的推移を示す統計がネット上で見つからなかったのだが)。
■自殺率の長期的推移
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人間は、日々の暮らしの中で、さまざまな緊張や葛藤を感じ、心理的ストレスを溜め込んでいる。そして大抵は、その同じ日々の暮らしの中で、溜め込んだストレスを発散させる方法を自分なりに身に付け、ストレスで押し潰されないように生を営む。
しかし、溜め込めるストレスの閾値や、社会的ストレスが過剰で通常のストレス発散法では許容範囲に押し込めず、個人が耐え得るストレスの臨界点を越えてしまうときが来る。
そのとき、普段してはならないとされている規範の臨界点をも超える。それが死への衝動である。このとき、その衝動が自己に向かうか、他者に向かうか、という選択肢があり得るだろう。前者が自殺(自己殺人)であり、後者が殺人である。
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日本はいろいろな面で大国である。たとえば自殺において。
「昨年の自殺者3万777人 最多は50代後半」リビング‐シニアニュース:イザ!
交通事故死の多い年が1万人だから、その3倍。この数字がどう異常なのかは、他の社会と比較するとよく分かる。
この手のデータを見るのなら、まずこれ!、というサイトがある。多種多様な統計データを、さまざまな角度から加工し、提供してくれている素晴しいサイト、社会実情データ図録 Honkawa Data Tribune、である。
そこに、いささかショッキングな図録がある。
このグラフをみながら(DLしてプリントアウトするとなお結構)、以下のようなことを試みられたい。
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「明治維新」イデオロギーを強く彩る「危機」意識。これは対外的な意識だけではなく、徳川社会そのものへの危機意識でもある。つまり、内と外の「危機」への認識である。
例えば、開国を巡る「危機」を論じるのは、丸山真男「国民主義」論であり、橋川文三「ナショナリズム
」論であった。
近年の代表的論者は安丸良夫であり、彼の、『神々の明治維新』(1979)・Ⅰや、『近代天皇像の形成』(1992)・第四章「危機意識の構造」、などで、平田篤胤の国学や会沢正志斎の『新論』に注目し、説得的に論じている。
そこで、平田や会沢の危機意識はよくわかるのだが、ではそれに共鳴したのは一体どのような人間集団だったのか、ということが、一つ引っかかる。
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己が普段の生活の中で志向し、無意識に呼吸して脳細胞を満たしている思想というものを見直すことは難しい。しかし、時折そういう精神のオーバーホールをする必要は誰にでもあろう。そんなときは、歴史に徴してみるに若(し)くはない。それも長いスパンで概観を与えてくれるものがありがたい。
ただし、一気に読めるものがいい。どれほど詳細でも、単なる事実の羅列は、読み手を歴史の迷宮へと向かわせるだけだ。それならばいっそ、枝葉を捨てて、本質に直入せざるを得ない類の物理的軽さのほうが好ましい。なにしろ読むこと自体が目的ではなく、己の頭脳の分解掃除用の道具として、使わせてもらうのが狙いだから。その意味からすれば、しっかりとした著者独自の図式(シェーマ)のあるほうが実は役に立つ。
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「 道管の中につまっている水は、結束力が強く、上から強い力で引き上げられても、決して水柱が切れる(気泡が入る)ようなことはない。そしてまた、蒸発によって水を吸い上げる力は、われわれの想像をはるかに越えるものであり、この蒸発を防ごうと思えば、数百気圧の力が必要である。逆にいえば、数百気圧の圧力で押し上げるのと同じ力で、水は吸い上げられる。だから、五〇メートルや一〇〇メートルの木といえども、水は難なく吸い上げられるのである。」
瀧本敦『ヒマワリはなぜ東を向くか』中公新書(1986年)、p.111
1998年3月15日付21版
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「結語 日本文藝の歴史的特質について言うべきことは、少なくないであろうが、いまは、ひとつの愚感をしるすに止めたい。それは、分裂とか対立とかいった性格が、あまり濃厚でないことである。精神と自然との分裂はもともと日本には無く、シナ文化の影響によって分裂現象を生じたのちでも、外国におけるような両極性が明瞭ではない。それはまた、貴族文化と庶民文化とが、はっきりとした対立を示さない事実とも、関係づけて考えられよう。貴族的←庶民的という上昇現象は、猿楽においてその典型的な例が見られ、今様歌謡や連歌などにも、類似の事例がある。しかし、同時に、貴族的→庶民的という下向現象も見のがしてはならぬ。貴族化した藝術が、その貴族性ゆえに、かえって民衆に歓び迎えられるという面も、あきらかに存在するのである。貴族と共に貴族的な能楽を賞翫する庶民もあれば、繁瑣きわまる連歌法式を習得することに価値を感ずる町人もあった。そこには、貴族文化と庶民文化とのかなり親近な交流関係が認められるのであって、どうも「おれたちの階級の文化」を主張するような態度は見受けられない。かように分裂性や対立性の希薄なことが、日本の文藝にとって、是であるか非であるかは、断定いたしかねる。本格的な近代化がなかなか進まない原因の
ひとつは、その辺に在るのかもしれぬ。しかし、批判はいかようにもあれ、そうした事実自身は、あくまで厳然たる事実だと思うのである。」
小西甚一『日本文学史』講談社学術文庫(1993年)、pp.204-205
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「・・伝統的な解釈によればこの言葉は、人間がもっともすぐれた「気」からなり、かくて「五常の性」という徳性が、人心に具備しているとして説かれることが多かった。そうした道徳的本姓の所在に、禽獣と異なる人類の尊厳性が見出されていたのである。」
平石直昭「近世日本の〈職業〉観」、東京大学社会科学研究所編『現代日本社会第4巻・歴史的前提』東大出版会(1991年)所収、p.43
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例えば近世初頭の理学者小瀬甫庵(1564-1640)は、前田利家による石動山天平寺(天智天皇の勅願所と伝えられる)の焼き打ちにふれて次のように述
べている。「代々之秘法も調伏之護摩も本尊之神力も、実理にあふては其甲斐露なく見ゆ」「歴々たる武士たちの武運長久之戦功を仏神に便り、珠数の力を憑
む事は何事ぞや」と。彼によれば「理に背けば天に背く」のであり、「天意」に合うか合わぬかが人の運命の岐路となる。従って神仏の力を頼む呪術はすべて無
効だというのである。晩年の彼は生涯を振り返り、織田信長が妄僧に騙されなかったため「寺院の法力」もその頃から衰えだした。・・・。
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平石直昭『日本政治思想史』放送大学教育振興会(1997年)、pp.25-26
織田・豊臣政権、そして、徳川政権といった戦国武将出身の軍人政治家たちは、中世における「呪術の園」ともいうべき顕密体制への禁忌を、全く新たな「外 部」=キリシタンによる神仏否定を思想的梃子として振り払い、そのうえで、むき出しの暴力=軍事力をその顕密権門へ行使し、彼らの思惑通り、それらを次々 とその足下に組み伏した。
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少し前に、石高制について四回ばかり記事(下段・注参照)を書いた。今回気になり、その記事を自分で読み直したら、幾分おかしいことに気付いたので、再述する。
中身は、池上裕子『織豊政権と江戸幕府』(日本の歴史15)、講談社(2002年)、第五章、「1 太閤検地の再検討」、pp.172-190、のリライトである。
同著のその節における池上氏の本来の意図は、これまで、戦後マルクス主義経済史学の強い影響力の下で、結果的に日本近世史上、特権視されてきた‘太閤検 地’を、もう少し長いスパンで見直すことで、中世、または戦国期からの連続性の中で‘太閤検地’を妥当に評価し直そうというものである。しかし、私の目的 は、その内の‘石高制とはなにか’という部分に限定される。ただ、その限定した目的だけでも、事が少々ややこしいので、頭の整理には役立つと思う。
■斗代、ほかの再定義
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進化理論は、変異と選択という二つの概念装置から構成されている。
変異とは、ある種が何らかの要因で変ることであり、選択とはその種の持つ形質がその種が生きている局所的世界、つまり生活環境にうまくフィットしているため生き残る、という意味である。
そして、この二つの事柄は全く独立したことだ、というのがダーウィン進化論の核心だ。その二つの組み合わせで進化という現象、つまり「1世代を超える時間的なスケジュールでの生物の(遺伝的な変化を伴う)形質の時間的変化」*が起こるのだとする。
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網野:
・・・。
先ほどアメリカの話が出ましたが、十七世紀の初頭にペルーのリマに日本人が二十人いたことは確実なのですよ。これはペルー史をやっている私の長男(注・網野徹哉氏)に聞いたのですが、メキシコにも相当いたらしいですね。彼らは、宮城県の金華山沖から北回りで行ったようですね。私は南からではないかと思っていたのですが。
川勝:
黒潮→北太平洋→カリフォルニアの海流のルートでしょう。スペインのガレオン船がアカプルコからマニラに来て、どうやってアカプルコに戻るかというと、同じ海流のルートです。
網野:
明治時代、伊予の漁民がこのルートで、毎年のようにカナダのバンクーバーに行ってるのです。難破したことなどないと言っていました。
川勝平太/濱下武士 編著『海と資本主義』東洋経済新報社(2003年)、pp.198-199
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理性的ということのなかには、好悪を超えて、事実を尊重する態度が含まれる。さしずめ、下記の番組内容などが典型的なことがらと言えよう。日本テレビ、2008年4月6日(日)夜放送済み。
兵士たちが記録した 南京大虐殺
「彼が探り当てたのは、兵士が最前線で綴った「陣中日記」。そこには日本軍が中国人捕虜一万数千人から二万人を一挙に虐殺したことが記されていた。」
*下記も参照
「美しい国」を目指す日本の、「美しくない」記憶
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■社会的紀律化 (Sozialdisziplinierung)とはなにか
「社会的紀律化とは、近代ヨーロッパの成立過程を「紀律 (disciplina)」」の深化と拡大という観点から描き出した概念である。類似の概念としてはマックス・ヴェーバーの「合理化」やノルベルト・エリアスの「文明化」があるが、これらは社会経済的諸関係の長期変動のプロセスを外在的・社会学的に記述したものであった。
これに対して、社会的紀律化の概念的特徴は、客観的要素にとどまらず同時代人の意思や行動といった主観的要素までも含めた形で、政治・経済・社会・文化のあらゆる局面で進行した秩序形成と自己抑制のプロセスを内在的・歴史的にとらえようとする点にある。その意味において、社会的紀律化の概念は、精神史・国制史・社会史を綜合し、国家権力から中間的諸権力をこえて民衆の心性までも射程におさめた包括的な分析枠組といえる。」
勝田有恒/森征一/山内進編著『概説西洋法制史』ミネルヴァ書房(2004年)、p.226
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私は、戦国期の最新通史として池上裕子氏の著作を読んだのだが、前回記事の箇所を読んで仰天してしまった。確かに、池上氏自身が少数派だとは書いている が、事はかつての「太閤検地論争」を含めて、太閤検地や徳川期の「石高」の前提をすべて根底から揺るがすものだ。私が注目評価する、日本近世経済史研究を 一新した Hayami school の研究蓄積でさえその例外ではない。彼等も「石高」を生産高と認識しているのだから。
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身辺多忙で記事を書くのが間遠くなってしまっている。
池上裕子氏(成蹊大)の議論はこうである。
戦国期から太閤検地期における史料での斗代の使用法をみると、
斗代 = 本年貢 + 加地子(一種の小作料)
となっている。「斗代」を「年貢」と表記している史料もある。こういうことが一般的になると、これらを負担する側でも、取る側でも、両方込みで、「年貢」「斗代」とみる意識が成立する。
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「石高制」ってなに?(2)
いま、自分でもあまり明確になっていない事を書こうとしている。したがって、論にぶれや乱れがあると思うので、そのように感じた方がいらしたら、ご指摘いただければと思う。
1)用語の整理
まず、用語の整理からしておこう。以下、語義はすべて、『岩波日本史辞典』(1999年、第1刷)からのものである。
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「士族の商法」という言葉がある。たいていは揶揄として使われる。しかし、これは本当なのだろうか。
徳川期、武士の禄は、米で支給された。その一方で、武士を取り囲む経済生活は、実質的に貨幣経済である。したがって、武士も支給された米を換金しなければならない。しかし、現代の米価と異なり、当時の米価は相場品である。その上、幣制が、金遣い、銀遣い、銭使いと複雑で、取引のオーダーによって、支払い貨幣は異なっていたのだ、金⇔銀⇔銭、にもそれぞれ相場がたち、日々変っていた。
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前稿の問題は、所属学部の違いにも起因する可能性はある。
そもそも速水融自身が、慶応大学経済学部で野村兼太郎の薫陶を受けており、経済学、歴史学、史料学の修練を経た研究者であった。従って当然の流れとして Hayami school は経済学部をその根城とすることになる。
それに対して従来の、文献学的という意味での実証主義的日本史学は、元来が文学部を基盤として学界を作ってきている。
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いま、この列島における、近世国制史と近世人口史の融合を目論んでいる。
そこで1点気になることがある。それは、吉川弘文館から出版されるような、従来型の文献に基づくいわゆる実証史学系統の日本史学と、宗門改帳などから数量的データを構成・抽出し、それを統計学の手法や人口学の分野で鍛えられてきた概念を駆使して、斬新な近世像を次々と提出し、一定の地歩を知的世界に築きつつある歴史人口学の関係である。
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この朝鮮半島で行われた奴隷狩り戦争の際、大嶋忠泰の主(あるじ)、島津義弘が略取してきた朝鮮人陶工たちが居住を宛がわれた地が、苗代川である。そこに明治大帝の御世、生を享けた少年、朴茂德。彼こそが、日米開戦時および敗戦時の外務大臣、東郷茂徳その人である。
数奇な歴史のめぐり合わせと言うべきだろうか。
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「こんど、家来の角右衛門が日本へ帰るので、テルマとカクセイをお土産に届けさせた。無事に着いただろうか。そのうちコカクセイ一人は娘にやってほしい。私も戦場で十一歳の子どもを手に入れ(求め)て召し使っているが、ひどい病気もちで困っている。いずれ娘にもテルマを一人、手に入れ(求め)て贈ろう。また拾左衛門尉殿にも下女にでもできそうな子を一人、手に入れ(取り)て、次のお土産にしよう。ただ、いまは加徳カドクという島の暮らしで、食べるのがやっとだから、そのうち手の者をやって、手に入れたら(取り候わば)送りたい・・・。」
藤木久志『新版 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り 』朝日選書(2005年)、pp.62-63
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考えてみれば、故沢崎堅造氏(師というべきか)の業績を、70年間も埋もらせ続けたのは一人、羽入氏や折原氏の責任ではない。
故沢崎氏は京大経済学部大学院の研究室に属し、その紀要である『経済論叢』という media に発表していた。厳密な意味で referee の審査がなかったにしても、編集委員は目を通していたわけだし、同窓の研究者仲間(出口勇蔵氏もその一人)もいたろう。
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Max Weber が団体を議論するときの重要な2類型、Anstalt と Verein。通常の英語との対応を見るとこうなる。
Anstalt ⇔ institution
Verein ⇔ club, association
Weber は、近代国家は、Anstalt であるという。だから、社会契約説による国家設立という story に、Weberは組しない。
一方、日本中世の結社原理「一揆」。さて、この「一揆」は果たして、Anstalt か、Verein か。おそらく、Verein なのだろう。そして、幾つか観察から、戦国大名も「一揆」の構造を持っているらしい。すると、その延長線上に構築された徳川国家は、 association ?
もう少し、息の長い考察が必要のようだ。捲土重来。
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私の病臥中、二つのコメントを戴いていた。
足踏堂さんのコメント
「私は、この列島の人たちが議論において、感情を切り離せないでいるのを度々経験してきました。感情に引っ張られて、なにやらわからない「口喧嘩」のようなものになっていく。議論を詰めるということの大切さこそ、近代議会制の要諦だと思います。それなのに、この国のかたちをつくった薩摩なるところでは、「議を言うな」と言った物言いがなされていたようです。ちょっとそういう雰囲気残っていませんかね?」
まつもとさんのコメント
「さらに悪いことには、それが「議論」というものの範型として相続されているように思います。ネット右翼の(たぶん)若者の議論は、彼らの親たちの世代の戯画でもあるのではないでしょうか。」
幾つか興味深い点を含んでいるので、記事として敷衍してみよう。topic は二つある。
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うーむ、「地球温暖化は商売道具」っていうのは、巧妙なレトリックですね。ある種の「ホンネによるタテマエの暴露」=「イデオロギー暴露」のレトリックです。「地球温暖化」という、正誤の決着可能な事実問題を、「話者の動機」という、価値問題にすり替えるわけです。話者を道徳的に劣化することで、事実問題の「価値(重要性)」を劣化させる論法です。
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本屋でたまたま目撃してしまい、買ってしまった。優先順位の高い事が他にあると言うのに・・・。
まだ、ほんの一部にしか眼を通せてないが、早速「これは」という収穫があったのでアイデアがらみのメモ程度だが記録しておこう。
小谷汪之 「ウェーバーの比較社会学と歴史研究 アジア=インド認識を通して」pp.46-60
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藤原惺窩(1561 - 1619)、林羅山(1583 - 1657)、山崎闇斎(1618 - 1682)。さて、この徳川思想史初期のビッグネームたちの共通点は何か。
1)いずれも牢人(惺窩は没落貴族)の子弟であること。
2)いずれも人生の活路を求めて禅寺へ出され、そこで朱子学と出会い、思想的な開眼をしていったこと。
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国際貢献という名で、米国の片棒を担いでいると、戦地帰還自衛隊員や退役自衛隊員が続々とこう↓なるんだろう。
それは「テロとの闘い」以外のところで、国内の治安が本質的危機に晒されるということなのだ。
「国内にテロリストがいる」と叫ぶ、そこの unco 。お前こそが列島の平和を乱す張本人だ。
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たまたま山本潤子の歌う、「 桜坂」を聴いた。
これが良い。なかなか良いのだ。昔から山本のファンではあるのだが、同一のアルバムに収録されている他のカバー曲は1曲を除いて(久保田利伸の「Missing」は very good.)、可も不可もなし。
でも、この「桜坂」は良いのである。以前、平原綾香の歌う「桜坂」で、平原綾香がいいのか、この曲がいいのかわからんが、みたいな発言をしたが、今日ただいま判明した。
やはりあの時感心したのは、平原綾香の歌が良かったのではなく、「桜坂」が名曲だったのだ。むむ、やるなぁ、福山雅治。ただの二枚目だったわけではなかったのか。ちくしょう。才色兼備の男というのは、どうにも処置に困る。
ま、今の私のようなのを、古語では「僻僻しからん人」(徒然草第三十一段)というのだろうな。あー、やだやだ、歳はとりたくなし。
これだけなだらかなサビの名曲も珍しい。この余り盛り上がらないサビが曲中五回も出てくるが、朗々と歌い上げるサビじゃないから、繰り返し出てきても心地良いのだろう。惹かれ合っている二人の別れを詠う詞もなかなか良い。なんか「なごり雪」の春バージョン(?)みたい。キンモクセイもカバーしている由。聴いたら感想を書こう。
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この表題は、西洋法思想史になじみのある方なら、一瞬、「自然法」のことではないか、と思われるだろう。
ところが、これは鎌倉時代の武士の法意識をあらわしたものなのだ。
「このように「道理」なり「理非」なりは、権力や実定法によって動かされるものでなく、逆にこれらのあり方を規定するものだという観念が、この時代の武士社会には厳として存在していたのである。」
石井紫郎『日本人の国家生活 -日本国制史研究Ⅱ- 』東京大学出版会(1986)、p.84
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すでに、読ませる他所様のblog記事(下記↓参照)が幾つもあるのだから、今更、私が書かなくともよさそうなもんだが、やはり自blogにも記録として遺しておきたい。
死者(特に戦死者)への鎮魂という行為がもしあるとすれば、一つのあり方だと思う。
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死んだ男(鮎川信夫)
たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
――これがすべての始まりである。
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下記報道、参照。
見出しは、「放置」であるが、感染者リストをあの「ミドリ十字」から報告させながら、その報告に対して主務所管の官庁として何のアクションをも採った形跡がない。これではどう見ても、意図的「握りつぶし」だろう。「一定の業務に従事する者が、その業務上に必要な注意義務を怠ること。」が業務上過失なら、あきらかに刑法犯に相当する。
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少々旧聞に属するが、自由民主党福田内閣の鳩山邦夫法務大臣は、下記のような戯(たわ)けたことを閣議後、全世界に向けて発言していた。
え?、なんで全世界にむけて? それは、いかなアメリカ合衆帝国の属国とはいえ、我が大日本皇国の国家的なプレゼンスはいまだ大きく、閣議後の大臣会見は、無論、東京駐在の外国報道機関記者から世界中に配信されるからである。
よかったぁ、1941年6月の司法大臣・柳川平助の閣議後談話が世界配信されてなくて。これが外電に載っていたら、ただでさえ悪い大日本皇国の評判が一段と落ちたのは間違いないもんね。
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あまりにも常識ハズレ(少なくとも私の)な冤罪事件が10月10日、一つ決着した。関連記事を三つ挙げておく。↓
1)冤罪男性、再審で無罪判決=検察控訴せず確定-女性暴行誤認逮捕・富山地裁支部
10月10日15時31分配信 時事通信
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女性暴行事件で富山県警に誤認逮捕され、実刑判決を受け服役後に無実と判明した柳原浩さん(40)の再審判決公判が10日、富山地裁高岡支部で開かれ、藤田敏裁判長は「被告人が犯人でないことは明らか」と述べ無罪を言い渡した。検察側は控訴しないことを決め、逮捕から5年半かかって柳原さんの無罪が確定した。
藤田裁判長は、再審公判に提出された大津英一被告(52)=公判中=の調書や、事件現場に残された足跡に関する資料などの証拠から、柳原さんが起訴された2事件について「各犯行の真犯人は大津被告と認められる」と認定した。
さらに、犯行時刻に柳原さんが自宅で電話をかけていたことを示す通信記録などから、アリバイが成立するとして、犯行を自白した柳原さんの供述調書は「信用性がないことは明らか」とした。
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「誰にも言えそうな事で、誰にも言えなかったことを言っているというのは、和泉式部の感性と知性とのしていることなのである。」
窪田空穂 『窪田空穂歌文集』講談社文芸文庫(2005年)、「歌人和泉式部」より、P.147
古典にほとんど疎い私だが、優れた読み手に教えられ、和泉式部の、そっとやり過ごすしかない悲しみに触れることができた。"What have I done?"とつぶやくマンスフィールド描く老女と相通ずるものがあると思う。
小式部内侍なくなりて、孫(うまご)どもの侍りけるを見てよみ侍りける
どどめ置きて誰をあはれと思ふらむ子は増さるらむ子は増さりけり
産のために早世した娘は、この世に己が子とこの母を残して行ってしまった。娘は、己が子を哀れと思うか、この母を哀れと思うか。それは、己が子を哀れと思うだろう。私だってそうだったのだから。そしてこの母が今そうなのだから。