中国

2017年11月 4日 (土)

前方後円墳は、どっちが「前」?

 文字通り、「方」(四角形)が手前で、「円」が奥だと思っていた。
 ところが、この「前方後円墳」の命名は、近代の学術用語ではないということをつい最近知った。

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2017年3月15日 (水)

比較エリート論

日本における東大文Iエリートは、何だかんだ言っても知的に優秀です。それは、EnglandのOxbridge、米国のIvy league、仏のGrandes Ecoles の連中と同質なものです。

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2016年10月10日 (月)

言葉ともの(language and object)

我々は多種多様のもの(object)の巨大な群れに囲まれて生活している。

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2013年2月26日 (火)

人類史におけるヨーロッパの特異性(2)

■《帝国》vs.《主権国家システム》

 人類文明史を旧石器時代から考えれば約1万年。その中で、《王朝=帝国》が人類史的に普遍な現象であって、初期近代の西欧のような《主権国家群システム》こそが例外といえる。

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2011年1月11日 (火)

小津富之助とは何者か(2)

 私の本居評がまだ書けないので、参考までに他の方の評を引いてみる。

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2009年3月 5日 (木)

中国におけるシビリアン・コントロールの伝統

「科挙制度は実に中国政治に特有な文を尊重すること、もっと詳しくいえば、武を抑えて文を進める精神によって貫かれているところに根本的な特徴がある。」p.228

「中国の古代においては、文官と武官との区別がはっきりせず、政治家は同時に軍人であり、入りては相、出でては将となるのが理想であった。しかし宋代のころから文官と武官との区別が次第に判然とわかれてきた。もっともここにいう武官とは部隊長までを指すのであり、軍人の出世の限度は部隊長どまりであって、それ以上の軍部大臣、参謀総長にあたる、兵部尚書、枢密使には生粋の文官をあてるのが例となった。いな、それのみではない、前線の軍隊を指揮する総司令官にも文官を任命するのが普通である。軍人あがりの部隊長が前線の総指揮官となったり、あるいはさらに中央政府へ入って軍部大臣や参謀長になることは、政府の体制を乱すこととして、極度に嫌われもし、また警戒もされた。」p.229

「軍部大臣の文官制こそ、宋代以降中国歴代の政治に一貫した方針といえる。」p.231

 以上すべて、宮崎市定『科挙 -中国の試験地獄-』中公文庫(1984)

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2008年12月20日 (土)

溝口・池田・小島『中国思想史』東京大学出版会(2007年)(2)

 本書の基本となる構想は以下の引用から伺い知ることができる。

「・・・、宋代から元・明代さらに清代までは、儒教道徳が一部の為政層から庶民のすみずみまで浸透してゆく長い拡汎の過程であったと知ることができる。そしてその儒教道徳とは社会秩序の根幹であると同時に、社会治安の政治秩序を担うものでもあり、その観点からいえば、その過程とはまた政治秩序の担い手が為政層から一般庶民層まで不断に拡汎していく過程でもあった、と見なしうるのである。」本書 pp.169-170

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2008年12月18日 (木)

溝口・池田・小島『中国思想史』東京大学出版会(2007年)(1)

 書名は「思想史」となっているが、斬新かつ卓抜な中国通史、と言ってよい。

 では、どこが、か。

 アカデミズムから生み出されたにも関わらず(?)、一貫して、中国の歴史に内在的視点から記述しようと試みている点が、である。そんなことは当たり前ではないか、と訝る諸氏もおられよう。中国の歴史を描くのに中国に内在しなくてどうするのか、と。

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2008年11月26日 (水)

「日本は無資源国」はイデオロギーである

以下、コメントへの私のレスを記事とします。

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2008年9月13日 (土)

「華夷」ではなく「夷華」

 変なタイトルで恐縮。

 ここ20年来、東アジア史の国際関係は、「華夷」型秩序というものを思考枠組みとして考察されるようになっている。

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