文化

2008年5月 3日 (土)

「文明」再考

「 以上のようにチベットでは仏教は深く根を下ろし、社会的な拡がりを持ち民衆の間に浸透して行くとともに、高い哲学的発展をとげ、ここに世界で特異なチ ベット仏教、俗にいうラマ教が形成されたのである。この意味で、・・、チベットは仏教が現在にいたるまで常にその文化の主流を形成して来た唯一の国であ る。このチベット仏教はチベット内部のみならず、十三世紀から、特に十六世紀以来蒙古に伝播し、ヒマラヤ山中の小国であるブータン、シッキム、そしてネ パールの北部をも含む内陸アジアの中部にチベット仏教圏を形成している。また、今はほとんどなくなってしまったインド仏教の原典の忠実な翻訳の数々をもつ チベット仏教は、仏教学においても重要な位置をしめている。
 このような歴史的・宗教的背景をもつチベット人に接してみると、日本人などには見られないほどの強い宗教的バックボーンがあることを感ずる。それはラマ 僧ばかりでなく、乞食をしながらインド巡礼にくるチベット人にも感じられるものである。これはヨーロッパのキリスト教諸国、モスレム教のアラブ諸国、ヒン ドゥ教のインドの人々に共通する宗教に鍛えられた精神の強さである。
 日本人が高度の文化をもち、その知識においては比類ないほどのすぐれたものを持ちながら、強い精神的バックボーンを持たず、常に落着きがないのは、いず れの宗教、哲学も強い根をおろさず、また日本独特の、道徳までも規制する宗教的・哲学的発展がなされなかったためではなかろうかと、チベット人に接したと きに感じたのである。」(1)

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2008年4月 5日 (土)

徳川期における法人化、紀律化を巡って(1)

「わが近世の「家」は、ヨーロッパの(そしてある程度まではわが中世の「家」もそうであったと考えられるが)私的・自立的な Haus とちがって、上位者への奉仕から切り離しては観念されてなかった。いいかえれば近世の「家」は、「家職」= 「奉公」という目的のための一種の目的団体に他ならない。」
 石井紫郎『日本人の国家生活』(日本国制史研究Ⅱ)東京大学出版会(1986年)、p.175

「同族、ならびに、その基礎にあるイエなるものは、目標志向団体(goal oriented corporations)であって、そのおのおのは、自己の活動の成果、およびそれ自身の無際限な永続化に関心を抱いている。」
 F.L.K.シュー『比較文明社会論』培風館(1971年)、p.315

 ここで、ガス欠となった。次回へ続くことにする。

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2008年4月 2日 (水)

日本初期近代(徳川期)における「勤勉革命 Industrious Revolution 」(2)

■社会的紀律化 (Sozialdisziplinierung)とはなにか

「社会的紀律化とは、近代ヨーロッパの成立過程を「紀律 (disciplina)」」の深化と拡大という観点から描き出した概念である。類似の概念としてはマックス・ヴェーバーの「合理化」やノルベルト・エリアスの「文明化」があるが、これらは社会経済的諸関係の長期変動のプロセスを外在的・社会学的に記述したものであった。
 これに対して、社会的紀律化の概念的特徴は、客観的要素にとどまらず同時代人の意思や行動といった主観的要素までも含めた形で、政治・経済・社会・文化のあらゆる局面で進行した秩序形成と自己抑制のプロセスを内在的・歴史的にとらえようとする点にある。その意味において、社会的紀律化の概念は、精神史・国制史・社会史を綜合し、国家権力から中間的諸権力をこえて民衆の心性までも射程におさめた包括的な分析枠組といえる。」
勝田有恒/森征一/山内進編著『概説西洋法制史』ミネルヴァ書房(2004年)、p.226

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2007年12月16日 (日)

議論は「競技」である

 私の病臥中、二つのコメントを戴いていた。

足踏堂さんのコメント
「私は、この列島の人たちが議論において、感情を切り離せないでいるのを度々経験してきました。感情に引っ張られて、なにやらわからない「口喧嘩」のようなものになっていく。議論を詰めるということの大切さこそ、近代議会制の要諦だと思います。それなのに、この国のかたちをつくった薩摩なるところでは、「議を言うな」と言った物言いがなされていたようです。ちょっとそういう雰囲気残っていませんかね?」

まつもとさんのコメント
「さらに悪いことには、それが「議論」というものの範型として相続されているように思います。ネット右翼の(たぶん)若者の議論は、彼らの親たちの世代の戯画でもあるのではないでしょうか。」

 幾つか興味深い点を含んでいるので、記事として敷衍してみよう。topic は二つある。

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2007年11月16日 (金)

Hume - Hayek conservatism の理論的欠陥 (1)

 先に、spontaneous generation ではなく、 historical generation としての liberal democracy(論理的時間と歴史的時間)、という長たらしいタイトルの記事を載せた。

 そこで気がついたことがあるので、メモしておこう。

 Hume → Hayek と流れる保守主義理論は、人間の諸制度が少しずつ成長ないし進化すると考える。つまり、時間という篩(ふるい)にかけられて、緩慢ではあっても幾人、幾世代もの人々の経験から結果的に選び取られ、歴史の検証にさらさられ、定着してきたものだけが、いまこうして残っている人間の諸制度なのだ、というわけである。

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2007年11月 3日 (土)

対内道徳 Binnenethik と対外道徳 Aussenethik

「かくのごとく共同体の仲間同士の間の経済的交渉、さきにいわゆる対内経済 Binnenwirtschaft と、縁もゆかりもない外部のものに対する経済的交渉、いわば対外経済 Aussenwirtschaft とが全然ことなり、また対内道徳 Binnenethik と対外道徳 Aussenethik とが全然ことなるというのが、近代西洋以外においてわれわれが常に遭遇する事実であるが、これに反してこの対内経済と対外経済との間の、また対内道徳と対外道徳との間のけじめを廃棄したこと、言いかえれば、対内経済の中に商人的生活態度 das haendlerische Prinzip が浸透したこと、さらにこういう基礎に立脚して労働が新しく組織されていること、これらの事実こそ西洋的資本主義の第二の特徴である。」

 マックス・ウェーバー『一般社会経済史要論 下巻』岩波書店(1955年)、黒正巌・青山秀夫訳、p.171

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2007年9月30日 (日)

宇宙をかき混ぜちゃえ

T. S. Eliot
The Love Song of J. Alfred Prufrock、より

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
おれはもう何でも全部知っちゃったのだ、何でも全部。
夕暮れだって、朝だって、午後だって全部知っちゃったのだ、
コーヒーの匙で、おれはおれの一生を測ってしまった。
              大岡信 『詩への架橋』岩波新書(1977年)、p.202

For I have known them all already, known them all--
Have known the evenings, mornings, afternoons,
I have measured out my life with coffee spoons;
 (原文、49-51行)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 これを、大岡は「威勢のいい絶望」(同上、p.202)と評している。至言というべし。

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2007年4月15日 (日)

鎌倉紀行(3)-掃苔録篇-

 なだらかな山肌に、段々畑様の墓所が拵えられている。その中腹あたり。そこが小林秀雄の墓だ。地味な花が手向けられている。敷地の入り口には「小林家」。奥には五輪塔。掘り込まれた仏は輪郭も定かでない。けれん味が身上だった鬼籍の御当主からすると、その落ち着いた風情はちょっと意外。好感が持てた。

 立派だったのは、前田青邨筆塚。十三重塔である。立派過ぎて、絵師などという、いわばアウトカーストな稼業のものとしてはなんだかなぁ、という感じ。ま、(国立)東京藝術大学教授、文化勲章受章者、としては、本人がどうであれ、周辺にはあのように祭り上げたい人間は多数いたろう。ま、いいでしょう。

 ということで、掃苔録篇は終わり。中世都市鎌倉、一望篇を書くつもりだが、いつのことになるやら。

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2007年4月 1日 (日)

嫁の持参金は夫のものか?(古代ローマの場合)、参照追加4/5

 31  Ibi dos esse debet, ubi onera matrimonii sunt.
    (パウルス・学説彙纂第2巻第4章第5法文)
 婚姻の負担が存在するところに嫁資が存在するべきである。

 嫁資 dos というのは聞きなれない言葉であるが婚姻のさいに、社会的な慣行にしたがって、女の側が男の側に持参する金銭その他のもののことである。婚姻にあたって妻が家長である夫または家長の夫権に服属する場合には、その女は実家における相続権を失うので、その代償として、財産をもたせてやるのが本来の意味であった。ところが、夫権に服属せず、従前のように実家の家長の家長権に服したまま婚姻に入る場合は、夫婦が家を別にしているのに、夫の側が婚姻費用を負担するという関係が生ずるので、嫁資はもとの意味を失って、その費用の分担という意味をもつようになった。これがこの格言の趣旨である。最初、嫁資は完全に夫の所有に帰した。

“ Dotis causa perpetura est. ”(パウルス・学説彙纂第23巻第3章第1法文)
「嫁資の性質は永久的である。」

 しかし、共和政の終り頃から、離婚が日常茶飯となりはじめると、そのような取扱いは、再婚しようとする女にとってきわめて不利であったし、また夫が婚姻中に死亡した場合にも、妻が相続の上で優遇されなかったためもあって、嫁資が、婚姻解消後女やその設定者に返還されるように配慮され、その結果、嫁資は、夫の利得であるというよりも、むしろ、婚姻継続中に夫に信託されている財産にすぎないと考えられるようになった。そして、その返還を安全・円滑に行うために何種類もの巧妙な技術が何世紀にもわたって考案されている。妻の法律上の地位が劣悪であったにもかかわらず、社会的にはかならずしもそうでなかったのは、この嫁資の支えによるところが多い。

**************************************************

  以上すべて、柴田光蔵 『 ローマ法の基礎知識 』 有斐閣双書(1973年)、pp.133-4、より。

*参照
磯田道史『武士の家計簿』
箪笥に封印

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2007年3月31日 (土)

鎌倉紀行(2)-掃苔録篇-

 鎌倉は山と海でできている。頼朝が己の根城としたのも頷ける天然の要害だ。その堅く引き締まった一帯の合間を縫って、うねうねと鎌倉街道が走る。

 東慶寺への入り口は、その鎌倉街道に向けて、ひっそりと佇んでいた。近所の円覚寺や建長寺のように大伽藍があるわけでもなく、至って質素で見過ごしやすい。

 入り口から斜面を登り、2、3分歩くと、山門がある。他山の例に漏れず、100円の入山料を取られ、ぼちぼちと歩いていく。案内も請わずに緩やかな山肌の階段を一歩ずつ進んでいくとその奥まったところが墓所だ。

 まず、最初に探したのが、和辻哲郎のお墓。和辻のものなどほとんど読んでないに等しいが、結構好きな訳だ。実際に見ると、ゆったりとした敷地に「和辻家之墓」とある。彼岸の時分なのだが、人気(ひとけ)がない。これから来るのだろうか。

 仏教学者の中村元は「和辻先生は日本の Max Weber だ。」と書いていたが、それを得心するにはまだまだ時間がかかりそう。

 次に探したのは、西田幾多郎。こちらもあまり彼岸の雰囲気が見えない。ただ、西田幾多郎は、金沢、京都、にも分骨しているはずだから、縁者はそちらに行くのか。西田の著作には、何か大事なことを書いているようには思うのだが、初めの数頁を読んだあたりで頓挫している。ま、気長にいこう。

 それから、鈴木大拙を探す。こちらは人の手が入っていた。私自身、一冊も読んだことがないので、完全なるミーハー的興味。土門拳の写真集のキャプションに、自宅では家族と英語でしか話さない、とか書いてあったのが引っかかり、あまり読む気になれないままだ。

続く(たぶん)。次は、小林秀雄かな。

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2007年3月30日 (金)

牧原憲夫『民権と憲法―シリーズ日本近現代史〈2〉』岩波新書(2006年)

 興味深く読んだ。その意味で買って損はない。800円弱の支出は、倹(つま)しい昼食代なら2日から1.6日分か。

①肯定的評価。明治前期の史実に関するリソースとして価値は高い。というより、大量の、気付きにくい、ただし重要な情報満載である。学界の研究業績への目配りの広さには感心する。読者はこの本のどこかしらに、己の興味関心を惹く話題を眼にすることができる。私にしても、幾つもの再発見をさせてもらった。

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2007年3月25日 (日)

尾藤正英『日本文化の歴史』岩波書店2000年(参照、追記)

 本を評価する場合、二つの視点が可能だろう。
①内容の価値、如何。
②著者の執筆目的とその達成、如何。
本書は、本文250頁足らずの中に、興味深い事実の指摘、あるいは著者の見解がてんこ盛り。その意味で、①は、★★★★★(五つ星)である。しかしながら、 ②はどうだろう。著者は本書の目的をこう書いている。p.iv「日本の文化がいかなる性格のものであり、また、いかにして歴史的に形成されて来たのか」と。この点につき、正直あまり要領を得ないのだ。無論、端々に記述はある。それにしても、念のため、本記事における後段の目次を読めば諸賢も理解戴けるはずだが、《まとめ》や《総論》に該当する部分がないのである。内容が多方面、知識の宝庫であるが故に、著者の立てた「問い」を正面から論ずる章を独立させるべきだったろう。その意味で、②は★である。ついでに言えば、これだけの内容量、質であるにも関わらず、索引もない。編集者を煩わせても、作り込む必要があったのではないか。ただし、たとえこれらの難点を挙げ得るにしても、裨益するところ大である。買って損はない。

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2007年3月15日 (木)

あきんどの倫理

「本を選ぶという行為は、いわば自分の思想をあからさまに表現するのである。お客は自分が見つけた本を帳場にさしだすことによって、売主におのれの心中をのぞかせてしまうわけだ。
 古本屋はそれを見て見ぬふりをする。
人の読書の好みをよそにもらさない。これは古本屋の鉄則である。客の立場をかばうのはすべての商売に共通したあきんどの倫理であるが、古本屋の場合はそれがわけても厳しい。戦前、社会運動関係の書物をとり扱った際に、苦渋をなめた経験則から発しているのではないかと私は推測している。」
猫阿弥陀、出久根達郎著『猫の縁談』収録
From http://kawausotei.cocolog-nifty.com/easy/2007/03/post_cb85.html#comment-12411981

 結局、あきんどが相手とする「客(きゃく)」も、我々の家を不意におとなう「客(まろうど=稀に来る人)」も、煎じ詰めれば、他者にほかならない。そして、あきんどが客に「いらっしゃませ(=よくいらっしゃった)」と微笑むのも、我々が珍しい客人を「よく来られた、上がられよ」とニッコリ迎え入れるのも、「もてなし、歓待 ⇒ hospitality」の心があればこそだ。

 赤の他人同士が支えあう近代人間社会が基本的にやっていけるのは、他者を喜んで迎え入れ、歓待する、という hospitality の精神によろう。それならば、近代社会で暮らす我々にまず必要なものは、あきんどの倫理ではなかろうか。

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2007年3月 5日 (月)

煮られトマス(3)、少し追記

通りすがり氏コメント再考

 足踏堂氏のコメントをきっかけに、通りすがり氏のコメントを再読してみた。氏のコメントを再度分析し、敷衍すると以下のようになるだろう。

1)トマスは死後、聖人に列せられることは確実だった。

2)したがって、その遺骸が聖遺物となることも確実だった。

3)聖遺物を保管する教会、聖堂には、ヨーロッパ中から多数の巡礼が来ることが見込まれた。

4)多数の巡礼があつまる教会、聖堂は結果的にではあれ、金銭的に潤った。

5)トマス終焉の場所である、フォッサヌォーヴァ修道院は、たまたまシトー会に属し、そのシトー会は既に前世紀の信仰的高揚も、教会内における勢力も失っており、ただひたすら、現世的利益のみを追い求める嘆かわしいメンタリティしか持ち合わせがなかった。

6)よって、フォッサヌォーヴァの修道士たちは、トマスが自分たちの修道院でなくなった天佑(?)をこれ幸いと利用して一儲けをたくらんだ。

7)しかし、無論、トマス自身が属していたドミニコ会から遺骸引渡しの要求、ないし実力行使による奪還が予想されるため、修道院内をあっちこっちと保管場所を移した挙句、引渡し妨害工作の止めとして、とうとう「聖」トマスの亡骸をシチューにして、鶏がらのようにしてしまった。

8)本来、キリスト教徒には、イエスを頭とする「一つの体」という理想があり、それゆえ先に天国へと登った聖人は現世の者たちの願いを神に「とりなし」してくれ、したがって現世のおいて奇跡を起こす、と信じられてた。それが、聖遺物崇拝の背景である。

9)すると、自らと一体であるはずの、そして尊敬すべき先人であるはずの「聖人」候補の遺体を、バラバラにし白骨化させるために煮る、という行為は、聖遺物崇拝の延長線上には考えることができず、となれば、現世的な、経済的利益を求めてのものとなる。

10)それを、宗教的、思想的行為とみなすのはどうかしている。信じられん。

 こうして改めて、考察すると、通りすがり氏の論に関して気づくことが二つある。

第一。ホイジンガの説明に対して一言も触れていない。この「煮られトマス」事件についての私の解釈は全面的にホイジンガに依拠しているわけで、私を(実質的に)アフォ呼ばわりするのは結構だが、それではホイジンガ説に対してどう反論するのか、ということは何らなされていないこと。

第二。聖遺物崇拝について、その背景を説明してくれたのは大変勉強になった。しかし、それは何故、聖遺物がキリスト教徒により崇拝されるようになるのか、の説明ではあっても、その説明が聖遺物という、「もの」が崇拝される、いわばキリスト教フェティシズムが、「骨まで愛して」レベルまでエスカレーションしないということを、全く論理的に保証しないこと。ないし、そのことにほとんど思い至っていない、ということ。

 第一は、おそらくホイジンガの「中世の秋」を何ら読んでいないため、コメントできないのだろうと予想できる。また、第二は、歴史を読むことが、時間的、空間的他者を解釈するという、知的に、繊細かつ robust な思考力を要求される行為であるにも関わらず、ご本人がそれに耐え得る知的体力を持ち合わせていないことを証しているように思われる。

 きついコメントをされたので、柄にもなくきついコメント返しとなった。ただ、誹謗中傷レベルに堕するまでに至らず節度は維持されていると思うので、引き続き有効な反論を戴けるのであれば、私としては本当に望外の喜びである。

 若干、追記。なぜ、通りすがり氏が、庶民の聖遺物フェティシズムと修道士たちの「トマス煮」を結び付けられないのか不思議だった。だが、こう考えれば疑問が解ける。つまり、庶民は無知蒙昧なのでフェティシズムに陥るが、修道士のようなスコラ学を学んだ知的エリートはそんなんことにはならず、トマスを煮ることの、現代から見ても納得のいく合理的理由があるはずであり、それは経済的利益だろう、というものだ。もし、この憶測が正しいのなら、この人物は、学知(scientia)の世界に己の価値観であるエリート主義を無自覚に持ち込む単細胞か、差別主義者であるに過ぎまい。

下記記事、およびコメント欄、参照。
1)煮られトマス
2)煮られトマス(2)、若干書き直しversion

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2007年3月 4日 (日)

煮られトマス(2)、若干書き直しversion

 2/28(水)に、我がblog記事 煮られトマス に対して、コメントして戴くという僥倖に恵まれた。

 初掲載から、既に1年以上経過して、初めて得たコメントである。この意義深い厚意に対し、単にレスすることだけで済ますことは残念に思うので、記事として、いささか私見を述べておこうと思う。

 前回の記事でも触れたように、トマス・アクィナスの遺体(の頭部)がシチューにされたことは事実と思われる。だから、争われるべきは、その意味となる。いかなる解釈が可能か。

 整理するとこうなる。

①稲垣氏(勢力争い説)
 トマスが息を引き取ったフォッサノーヴァのシトー会修道士たちは、トマス自身が属し、トマスがそこで永久の眠りにつきたいと願った、ライバル修道会でもあるドミニコ会修道士たちに、その遺体を奪われないため、小さくして隠せるように、トマスの頭部を煮て白骨化させた。恐るべき暴挙だ。

②通りすがり氏(経済的利益を巡る争い説)
 当時、各教会、修道会にとり、「聖遺物」には、実は多いに金銭的価値があった。つまり、そういった「聖遺物」には、巡礼者という顧客を各教会に導く大きな集客力があり、巡礼者が多く集まれば金銭がその地に落ち、あるいは経済的交易が盛んになり教会に経済的利益をもたらす、と。
 つまり、シトー会とドミニコ会の、トマスの遺体を巡る争いは、キリスト教会内部での修道会どうしの勢力争いであり、特に、経済的利益を巡る争いだった。

③ホイジンガ(信仰の物質主義化の、極端な一例)
「聖者のからだの遺物について、教会は、これの崇敬を認め、かつ、勧めさえもしていた」ので、この遺物崇敬の行き着くところ、トマスが煮られるという事態も出てきてしまった。

④中世史家渡辺昌美氏の「聖遺物」に関する解説(平凡社世界大百科事典1998、より)
 1)聖遺物崇拝=聖人の遺骸や遺品が奇跡生む力があると信じられていたこと
 2)有名な聖遺物を奉安する聖堂、修道院に巡礼が集まったこと。
 3)「聖マルティヌス(サン・マルタン)の臨終(397)には,トゥールとポアティエの住民が集い,遺骸の帰属をめぐって争った。」ように、既に4世紀から、聖遺物崇拝は、中世ヨーロッパにおいて定着していた。

 この渡辺氏の解説を読む限りでは、トマスの遺骸を巡るシトー会とドミニコ会のような争いが、その800年も前から繰り返されてきたことが分かる。そのことは、経済的利害が関わっていなくとも、一般民衆のように信仰心の問題から、奇跡を求め、聖遺物を争いあうものであることが見て取れる。

 キリスト教が古代ヘブライズムの宗教的伝統に忠実である限り、本来聖遺物崇拝のような被造物神化は決してありえない。なぜなら、ヤハウェのみが世界を創造したことを信じ、ヤハウェのみを信じる、ことがこの信仰のアルファでありオメガであるからだ。しかし、パレスチナ生まれのキリスト教は、ローマ帝国に入り、そしてまた、中世ヨーロッパで民衆に定着する過程で基本的変容を蒙った。先の渡辺氏も「民衆の信仰の本質は聖遺物崇拝であった、少なくともそれが決定的な活力を信仰に供給していたと考えられる。」と指摘している。

 中世ヨーロッパにおいて、各地の修道院は信仰の拠点であった。一方で、そこは知の研究センターであり、テクノロジーの開発センターでもあった。従って、宗教的権威、および知と冨がそこに集積されざるを得ない。その意味で、有力な修道会が宗教的、世俗的覇を競うのは必然のなりゆきで、トマスの亡骸(なきがら)をめぐり、シトー会とドミニコ会が争うのもその一幕とも言える。

 しかし、人間行為に単層的な意味理解のみが可能というのは、少々頑迷というべきであり、それは重層的な意味が担われることが常態だと考えるべきだろう。

 すると、亡きトマスの骸(むくろ)を巡る、シトー会とドミニコ会の争いを再考するに、修道士自身の表層的意識には、聖遺物の奇跡を求める信仰上の争いとして映じているのだとして、その底流に、経済的利害を巡る暗闘も抑圧され隠されていると一応考えられないこともない。だとしても、聖遺物獲得競争のエスカレーション上においては、遺骸のシチューも十分可能性はあり、そこまでやる行為を人間が自ら正当化するロジックは、信仰の物質主義化(=実質的な被造物神化)であった、と想定するほうが、解釈として無理がないのではないだろうか。金のために、修道士たちが頭蓋骨をシチューにするの図、などというのは、ちょっと私の貧困な想像力では思い及ばない。

 つまり、稲垣氏にしろ、通りすがり氏にしろ、シトー会修道士たちの行為に対して、マルクス張りのイデオロギー批判を敢行しているわけで、私としては、それを益なしとはしないが、まずは時代や場所における妥当な文脈の中において、第一次的な理解を試みることが歴史解釈としては優先されるアプローチだと考える。

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2007年2月 5日 (月)

言葉と暴力

 今、「体罰」が熱いらしい。国立の右翼団体、文部科学省が通達を流したそうな。↓

 この件については、再論しよう。それにしても、教室内でもコミュニケーション⇔「法」の放棄を勧めるというのはどういうことか。「法の支配」ではなく、「力の支配」ということなのだろう。「この世は万事、力次第」。アベが好きそうな話だ。

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<体罰>文科省が「考え」通知へ 容認の判例も例示
2月2日21時39分配信 毎日新聞
 体罰に関する許容範囲の見直しを求めた教育再生会議の第1次報告や深刻ないじめ問題を受け、文部科学省は2日、初めて体罰の考え方をまとめ、来週中にも都道府県・政令市教育長らに通知する。居残り指導や授業中の起立指示などは肉体的に苦痛が伴わない限り体罰ではないとし、教師が用いる強制力も認める方向だ。いじめや暴力を繰り返す児童・生徒に対する「毅然(きぜん)たる指導」を支援する狙いがある。
 学校教育法は「体罰を加えることはできない」と規定。旧法務庁の意見書(1948年)でも限定付きながら、「児童に授業を受けさせないという処置は、懲戒の方法としては許されない」と退出などを否定していた。
 今回の通知は、(1)生徒指導の充実(2)出席停止処分の活用(3)懲戒・体罰の3項目について考え方をまとめた。
 体罰については「身体への侵害を与える懲戒と肉体的苦痛を与える懲戒は与えてはいけない」と従来通り禁止した。その上で、体罰か否かは「受けた側の主観ではなく、児童・生徒の年齢、健康状態、行為の場所・時間などを考え、個別のケースに応じて判断するべきだ」などと盛り込み、教師側の強制力を容認する方針だ。
 さらに、生徒をたたいた教師の行為が体罰として認定されなかった過去の判例を例示する。判例への受け止め方は現場教員の判断に任せるものの、暗に「許される体罰の範囲」を示しているとも言えそうだ。
 このほか、放課後の居残り指導▽授業中に教室内で立たせる▽清掃活動や学級当番をさせる――などは肉体的な苦痛がなければ体罰ではないとし、教室外への退出も「別途指導が行われれば、差し支えない」などと明記する。
 出席停止処分については、「粘り強い指導を行ったうえで、正常な環境を保持することが困難な場合に適用する」と従来の考え方を示し、出席停止を受ける児童・生徒用の個別の指導計画を作成するよう求める。
 会見した伊吹文明文科相は「子どもを預けられた限りは、保護者が安心できる態勢を作るようにしたい」と語った。
 教育再生会議は1月24日に発表した第1次報告で、「暴力など反社会的行動を繰り返す子どもに対する毅然たる指導、静かに学習できる環境の構築」を掲げ、旧法務庁の意見書の見直しなどを求めていた。【高山純二】
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上記、記事中にいう「旧法務庁の意見書(1948年)」が下記↓。

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児童懲戒権の限界について

昭23.12.22 調査2発18
国家地方警察本部長官・厚生省社会局・文部省学校教育局あて
法務庁法務調査意見長官回答

 本年6月16日附及び7月27日附,別紙高知県警察隊長の照会に対し,当職は左のとおり,意見を回答するから,同警察隊長に伝達方取り計られたい。

第1問

 学校教育法第11条にいう「体罰」の意義如何。たとえば放課後学童を教室内に残留させることは「体罰」に該当するか。また,それは刑法の監禁罪を構成するか。

回 答

1 学校教育法第11条にいう「体罰」とは,懲戒の内容が身体的性質のもので
 ある場合を意味する。すなわち

(1) 身体に対する侵害を内容とする懲戒-なぐる・けるの類-がこれに該当することはいうまでも  ないが,さらに

(2) 被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒もまたこれに該当する。たとえば端坐・直立等,特定の姿勢を長時間にわたって保持させるというような懲戒は体罰の一種と解せられなければならない。

2 しかし,特定の場合が右の(2)の意味の「体罰」に該当するかどうかは,機械的に制定することはできない。たとえば,同じ時間直立させるにしても,教室内の場合と炎天下または寒風中の場合とでは被罰者の身体に対する影響が全く違うからである。それ故に,当該児童の年齢,健康・場所的および時間的環境等,種々の条件を考え合わせて肉体的苦痛の有無を制定しなければならない。

3 放課後教室に残留させることは,前記1の定義からいって,通常「体罰」には該当しない。ただし,用便のためにも室外に出ることを許さないとか,食事時間を過ぎて長く留めおくとかいうこと があれば,肉体的苦痛を生じさせるから,体罰に該当するであろう。

4 右の,教室に残留させる行為は,肉体的苦痛を生じさせない場合であっても,刑法の監禁罪の構成要件を充足するが,合理的な限度をこえない範囲内の行為ならば,正当な懲戒権の行使として,刑法第35条により違法性が阻却され,犯罪は成立しない。合理的な限度をこえてこのような懲戒を行えば,監禁罪の成立をまぬかれない。

  つぎに,然らば右の合理的な限度とは具体的にどの程度を意味するのか,という問題になると, あらかじめ一般的な標準を立てることは困難である。個々の具体的な場合当該の非行の性質,非行者の性行および年齢,留め置いた時間の長さ等,一切の条件を綜合的に考察して,通常の理性をそなえた者が当該の行為をもって懲戒権の合理的な行使と判断するであろうか否かを標準として 決定する外はない。

第2問

 授業に遅刻した学童に対する懲戒として、ある時間内、この者を教室に入らせないことは許されるか。

回 答

 義務教育においては、児童に授業を受けさせないという処置は、懲戒の方法としてはこれを採ることは許されないと解すべきである。
 学校教育法第26条、第40条には小・中学校の管理機関が児童の保護者に対して児童の出席停止を命じ得る場合が規定されているが、それは当該の児童に対する懲戒の意味においててはなく、他の児童に対する健康上または教育上の悪い影響を防ぐ意味において認められているにすきない。ゆえに遅刻児童についても、これに対する懲戒の手段として、たとえ短時間でも、この者に授業を受けさせないという処置を採ることは許されない。

第3問

 授業中学習を怠り、または喧騒その他、ほかの児童の妨げになるような行為をした学童を、ある時間内、教室外に退去させ、または椅子から起立させておくことは許されるか。

回 答

1 児童を教室外に退去せしめる行為については、第2問2の回答に記したところと同様、懲戒の手段としてかかる方法をとることは許されないと解すべきである。ただし児童か喧騒その他の行為によりほかの児童の学習を妨げるような場合、他の方法によってこれを制止し得ないときは、-懲戒の意味においててはなく-教室の秩序を維持し、ほかの、一般児童の学習上の妨害を排除する意味において、そうした行為のやむまての間、教師が当該児童を教室外に退去せしめることは許される。

2 児童を起立せしめることは、それが第1問回答1(1)よび2の意味で「体罰」に該当しないかぎり、懲戒権の範囲内の行為として、適法である。

第4問 略
第5問

 ある学童が学校の施設もしくは備品、または学友の所有にかかる物品を盗み、またはこわした場合に、これに対する懲戒として、この者を放課後学校に留め置くことは許されるか。

回 答

 盗取、毀損等の行為は刑法上の犯罪にも該当し、したがって刑罰の対象となり得べき行為でもあるが、同時にまた、懲戒の対象となり得べき行為でもある・刑罰は、もちろん、私人がこれを課することはできないが、懲戒を行なうことは、懲戒権者の権限に属する。ゆえに懲戒のために所間のごとき処置をとることは、懲戒権の範囲を逸脱しないかぎり、差し支えなく、これについては第1問回答の3,4と同様に解してよい。

第6問

 間5のような事故があった場合に、誰がしたのかをしらべ出すために容疑者および関係者たる学童を教職員が訊問することは許されるか。また、そのために、放課後、これらの者を学校に留め置くことは許されるか。

回 答

1 所問のような、学校内の秩序を破壊する行為があった場合に、これをそのまま見のがすことなく、行為者を探し出してこれに適度の制裁を課することにより、本人ならびに他の学童を戒めてその道 徳心の向上を期することは、それ自体、教育活動の一部であり、したがって、合理的な範囲内においては、当然、教師がこれを行なう権限を有している.したがって教師は所問のような訊問を行なっても差し支えない。ただし、訊問にあたって威力を用いたり、自白や供述を強制したりしてはならないことはいうまでもない。そのような行為は強制捜査権を有する司法機閥にさえも禁止されているのであり(憲法第38条一項、第26条参照)、いわんや教職員にとってそのような行為が許されると解すべき根拠はないからである。

2 前記のような訊問のために放課後児童を学校に留めることは、それが非行者ないし非行の内容を明らかにするために必要であるかぎり、合理的な範囲内において許されるもっとも、これは懲戒権の行使としてではなく、前記のごとき教育上の目的および秩序維持の目的を達成する手段として許されるのである。どのくらいの時間の留め置きが許されるかは、第1問回答の4に準じて考えられるべきである。

第7問

 学童に対する懲戒の方法として、その者に対して学校当番を特に多く割当てることは許されるか。

回 答

 懲戒として学校当番を多く割当てることは、差し支えない。ただし、この場合にも、懲戒権の行使としての合理的な限度をこえてはならないのであって、その限度をこえて、不当な差別待遇、または児童の酷使にわたるようなことはもちろん、許されない。

第8問

 遅刻児童を防止するため、遅刻者を出した部落等の区域内の学童に誘い合わせの上、隊伍を組んで登校することを命じることは許されるか。

回 答

 遅刻防止のため一定の区域内の児童に対し、誘い合わせて一緒に登校するように指示することは、差し支えない。もっとも、軍事教練的色彩をおびないよう注意すべきである(文部省体育局長発通牒昭20・12・26発体100「学校体練科関係事項ノ処理徹底二関スル件」参照)。
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 上記引用のソースは、資料室  児童懲戒権の限界についてである。

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2007年1月22日 (月)

生きている殺生戒(せっしょうかい)

 ある時、老婦人とそのお孫さんのことで話す機会があった。

私 「お孫さんは活発なお子さんでいいですねぇ。魚釣りなんかも好きでよろしんじゃないですか。」

老婦人 「いやね、私は孫がそういう殺生するのは嫌なんですよ。私はね、自分の親からそう言われて育ったんでね。漁師が魚を釣るのはいい。仕事だからね。だけど、自分一人の楽しみで殺生するのは、どうも嫌でね、やめてもらいたいんだ、ほんとはね。でも、母親が別に止めないんでね。」

 ここに見られるのは、仏教の十悪とされる殺生の戒めである。西洋の自然法にも通じるところの、誰にでも普通にありうる、無益な殺生はしないという倫理感、道義感だろう。細々とながら、日本人の倫理感を支えてきた仏教の在りし日の姿を垣間見る機会となった。

 ただ、話の流れが、嫁姑問題に行きそうな雲行きだったので、話の向きを変えるため、
私 「そういえば、剣道もやってらっしゃいますよね。結構強いみたいですよ。」

老婦人 「それもね、頭をあの竹刀っていうので叩くでしょ。頭が悪くなりゃしないか、と心配なんだけど、母親が勧めるんで。」

 あれ、まずい。ますます話が嫁姑問題へ行っちまう。私がここが潮時と、適当に話を切り上げ退散することとしたのは言うまでもない。

 明治軍事独裁政権が行った施策でも、神仏分離、廃仏毀釈、ほど、近代日本人を immoral にしたものはないだろう。仏教、ないし寺院が徳川政権下でどれほど支配の末端組織として機能し、そのため腐敗したため、庶民の反感を買っていたとしても、この列島に千年もの間、この世には、王法と異なる仏法というものがあることを教え、王も含めて全ての人間が守らねばならない法があることを庶民に知らしめていたのは、紛れもなく仏教である。これを徹底的に破砕、破却したのは、明治の権力亡者どもなのだ。近代日本人が兵として一歩この列島を離れたとき、また異なる国の人間とぎりぎりの関係を持たざるを得なくなったとき、普通の人間が想像を絶する野蛮性を示したのは、この明治の《文革》が大きく影響していたという疑いが私には拭えない。

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2007年1月 4日 (木)

モーツァルト vs. 美空ひばり

 テレビ朝日で、毎週日曜日の午前中に「題名のない音楽会」という長寿番組がある。故作曲家黛敏郎が長く司会を務めていた。これに、元気な頃の美空ひばりが出演し、オペラのアリアを歌ったことがある。この放送を自宅で収録したビデオを「自分の宝物の一つだ」と公言していたのが黛の盟友で、指揮者の故岩城宏之だった。100個もの楽器で演奏される複雑なオーケストラの中で、主旋律を奏でるピッコロをその耳で聞き分け、しっかりメロディに乗って歌う美空ひばりに感嘆して、岩城は黛にこう語ったという。

「クラシック音楽の世界で、天才といえばただ1人、モーツァルトしかいない事になっているんだが、僕は美空ひばりをそこに加えたい。」

 他にも、岩城にはこんな発言がある。

「世界で偉大な歌手を上げるとすれば、フィッシャー=ディースカウと美空ひばりである。」

「音程の正確さと歌のうまさではあらゆるジャンルで美空ひばりは世界でベスト3に入る。」

 岩城の歌手美空ひばりへの入れ込みよう、その評価の高さが偲ばれる。ま、これには多少割引すべき点がないとは言えない。岩城は1932年生まれ、美空ひばりは1937年生まれの5歳違いで同世代に属する。岩城が指揮デビューしたの翌年の1957年に、美空ひばりは紅白歌合戦に、何人ものベテラン歌手を抑えて弱冠二十歳にして紅組トリを務めあげ、既に日本歌謡界で最も重要な歌手であることを示していた。まだ修行中の岩城が、当時最高のアイドルであり、完成された歌手としての美空ひばりの才能に、音楽家としてある種の心地よい敗北感を持たされたとしても仕方あるまい。

 ただ、それを割り引いても、国際的にも評価の高い優れた日本人クラッシック音楽家からも、こういった最高の言葉を引き出す美空ひばりの歌手としての才能は、日本のポピュラーミュージックシーンで不世出のものと断言してよいだろう。

 実は、私もよくあるようにガキの頃は、クラシックやポピュラーでも洋楽は素晴しく、ドメスティックなものは価値が下がる、と愚かな偏見に凝り固まっていた。バカ丸出し。しかし、先の岩城の逸話を知り、確かに自分の耳で確かめてみんことには何も分からん、と、一時期、美空ひばりの主演する時代劇ミュージカル映画を何本かビデオで立て続けに見たことがある。そして、私の想像をはるかに超え、邦楽、洋楽を問わず、あらゆるポピュラージャンルの音楽を、やすやすと自由自在に歌い、踊るティーンエージャーの娘が疑いようもなくそこに存在した。モーツァルトと比肩できるかどうか、モーツァルトなんてあまり聞いたこともないのだからわかりようもないが、これを天才と言わずに何を天才というべきだろう、というのが私の正直な感想である。

 最近でも、ビールのCMに、「いやに いい歌が流れるなぁ。いったい誰だぁ?」と調べてみれば、美空ひばりだった。前半部を聞いたときは、いったい誰か想像がつかず、後半部を聞いて、ひばりかな?、と疑って調べた次第。↓がそう。

美空ひばりが歌う、キリンビール「キリンブラウマイスター」のCM曲は?(掲載日:2006/11/28)

 己を highbrow と自己規定する御仁に評判が悪い点では、米国におけるエルビス・プレスリーと似た状況があるような気もするので、別の機会に、ひばり vs. エルビスも、論じてみよう。

〔註〕下記も参照されたし。
モーツァルト vs. 美空ひばり(2)

エルビスの歌う、未練恋歌

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2007年1月 3日 (水)

奇妙な果実、あるいは、ワクワク(3)

 「奇妙な果実、あるいは、ワクワク(2)」に事実誤認があったので訂正。そこで、

「 馬琴が「南総里見八犬伝」で、儒教という中国思想本流の影響下にありながら、処女に犬の子を孕ませるという破天荒な奇譚を構想し得たのは、おそらく日本の土壌があればこそだ。」

 と書いた。しかし、この系統の説話モチーフを《犬祖神話》といい、元来、中国華南地域の、とくにミヤオ(苗)・ヤオ(瑶)・ショオ系の少数民族の間に、「槃瓠(ばんこ)」という飼犬が戦功をたてて王女をめとり,種族が発祥繁栄したと伝えられたものだったようだ。それが『五代史』を通じて、馬琴によって大規模にインスパイアされたらしい。古代中国人が、未開民族は奇怪なことをいうわい、ぐらいの勢いで記録を伝えたものだろう。

 ただ、この《犬祖神話》も、孤立したものとは言えず、北米のイヌイット(エスキモー)の、犬を夫にした娘セドナの神話に代表されるように、北米の先住民の間に広く流布しており,類話はシベリアからも発見されているらしい。

 つまり、漢族ではないが、中国がらみであり、広く見るとベーリング海峡にも広く似た神話が分布しているので、馬琴のアイデアが日本の土壌にのみ起因するという記述には無理があった、ということになる。ごめんなさい。m(_ _)m

〔参照〕 
 以上のすべては、平凡社世界大百科事典、の諸項目からのもの。いやー、それにしてもすごい事典だ。これだけで、過去に関することなら、相当深く調べることができる。

「南総里見八犬伝」、高田衛、執筆部分。
「イヌ(犬)」、 鈴木健之、〃。
「  〃  」、吉田敦彦、〃。
「ショオ族」、長谷川清、筆。
「ヤオ族」、同上、筆。
「ベトナム」、森幹男、筆。
「槃瓠」、白川静、筆。

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2006年12月25日 (月)

teaching と communicating は異なる

 teaching と communicating は異なる。安倍教育改革なるものが目指すというのはあくまで前者。これには、始めから、「教える」立場の人間と、「教わる」立場の人間が前提とされている。ここに対等な人間関係の入り込む余地はない。しかし、子供たちが大人に求めているものは後者だ。なぜなら、communicatingは相互に敬意を払う人間関係にしか成立しないから。そもそも、これがなければ他者の人権など理解出来まい。

 孔子も言っている。

子曰。不曰如之何。如之何者。吾末如之何也已矣。
 子(し)曰(いわ)く、これをいかん、これをいかんと曰わざる者は、
 われこれをいかんともする末(な)きのみ。
『論語』巻第八 衛霊公第十五(Web漢文大系)

 ここに表明されている思想は、teaching としての《教育》の原理的不可能性であり、communicating としての《教育》の原理的可能性なのである。

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2006年12月20日 (水)

甘酒売りは夏歩く

 ここで言う甘酒は、実は酒ではない。飯と米こうじだけで作る発酵飲料のことである。こうしてできた甘酒は、でんぷんが酵素により分解され、ブドウ糖が生成され、必須アミノ酸も含まれる、体力回復ドリンクなわけである。成分的には、現代の病院で使用される点滴とほぼ同じ。

 近世、最初のころは、冬のものだったようだが、その後一年中売られるようになり、そうしてくると、夏バテにも効き目があることが経験的に知られ、「甘酒」が夏の季語にもなる。

 ノロ・ウィルスも流行るご時世。「どうも、ヤバイ。」と感じたら、(酒を含まない)甘酒を召し上がるのも、健康維持法かと愚考致す次第。

参照
1)甘酒と健康(かねこみそ株式会社)

2)長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベースより
甘酒売り(1)
甘酒売り(2)
甘酒売り(3)
甘酒売り(4)

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2006年12月18日 (月)

未来を予言する最良の方法は、未来を作ってしまうことだ

 このセリフ、複写機メーカー、Xeroxのパロアルト研究所の中の、今のPCの始祖鳥(ちょっと古すぎるか?)ともいうべき、Alto開発チームの合言葉だったんだそうだ。

 こういう、溌剌とした、若者の生意気さに、米国文化の魅力があることは、認めざるを得まい。ここには、「無から有を作りだすこと」に何の躊躇も疑念もない。「有は、有からのみ作り出される」という、保守主義conservatism的心性とは全く異なる。米国における政治的右翼や国家主義者(たとえば、ネオコン)が、漸進主義より冒険主義、革新主義、いわばリセット主義者となることと同根だろう。

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2006年12月16日 (土)

天皇の菩提寺(2)

 この天皇家の菩提寺、泉涌寺(せんにゅうじ)には、霊明殿という建物がある。そこには、なんと、天智天皇の位牌があるという。これには、くりびつ・てんぎょう!(ガラパゴスさんとこのネタを拝借しました。^-^v)

 これはありえなーい。

 なぜなら、「位牌」という道具は、鎌倉期に禅僧が日本に持ち込んだ儒教アイテムだからだ*。その頃、入宋したものの中に、泉涌寺中興の祖、俊巣(しゆんじよう)もいる。

 儒教では、中国の後漢時代からその葬礼に用いられる神主(しんしゅ。死者の官位・姓名を書く霊牌。)というものがあった。それが、入宋した禅僧によって、先進国の先進思想の、最先端アイテムとして日本に持ち込まれ、たまたま、日本伝来の先祖供養儀礼における霊の依代(よりしろ)として、選択的親和性(M.ウェーバー)を示したのが、位牌である。もともと死者の官位を書くので、「位」牌と呼ばれるわけだ。つまり、仏教とは別起源。従って、↓のように、日本のピューリタニズム=浄土真宗は位牌を門徒に使わせず、過去帳を使わせる。

Q:なぜ、お寺では、「位牌」ではなく、「過去帳」をすすめられるのですか?

 天智は671年に死んでいる。少なくともその時、位牌などはない。また、泉涌寺が禁裏の菩提寺になった経緯をみると、

 俊巣滅後の1242年(仁治3)に没した四条天皇は,生前から俊巣の生れ変りと世に伝えられ,大葬も泉涌寺で執行され,遺骸は,表面に不可棄法師と刻された俊巣の石造卵塔墓のかたわらに葬られた。この由縁を契機に,こののち幕末まで多くの天皇・女院の陵墓が,泉涌寺の後にある俊巣と四条天皇の妓所に接して営まれた。いわゆる天皇家の月輪(つきのわ)陵である。
平凡社世界大百科事典「泉涌寺」の項、藤井学 筆

とのことであるから、俊巣が天智の「位牌」を作ったとは考えにくい。おそらく、明治政府がでっち上げたものと思われる。無論、確証はないが。

 無理が通れば道理が引っ込む、嘘が通れば、真(まこと)が姿を隠す、よい例だろう。

*加地伸行『儒教とは何か』中公新書(1990年) で指摘されて、近頃では常識に属するか。
 この書を読むにあたっては、amazonレビュー中の、「あべまりあ」氏のものを読まれておくことは役に立つかも知れない。本書で展開されている仏教・キリスト教との比較宗教論には、私が以前に長いレビューを書いた「天下の愚書」との親近性を感じるのだ。

〔参照〕
天皇家の菩提寺

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2006年11月29日 (水)

明治の立身出世主義の起源について

 この問題について、一つの見通しをつけるのに良い本がある。

竹内洋『立身出世主義(増補版)―近代日本のロマンと欲望―』世界思想社(2005年)

 

 ただ、この本は、「受験競争を巡る近代日本社会史」的なもので、「日本における立身出世の観念史」という出来上がりにはなっていない。

 「立身出世」なる言葉の概念史的分析は手薄で、どこの解説にもあるように、江戸期からのものだが、「立身」、「出世」と、ばらばらで使われることのほうが多く、前者は武士御用達で儒学から、後者は町人用で仏教から、という程度。

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2006年11月 9日 (木)

トイレで歌え、君が代

 面白い記事があったので、ご紹介。↓

国歌奏でる便器は不敬と押収=イタリアの右翼

 日本なら、さしづめウォシュレットでお尻を洗浄しているときに、流れると気持ちよさそうだ。でも、もっさりした曲なので、気持ちよすぎて便器で居眠りしちゃうかも知れない。

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2006年10月26日 (木)

初しぐれ猿も小蓑をほしげ也(芭蕉)

初しぐれ猿も小蓑をほしげ也
(松尾芭蕉 猿蓑集 巻之一)

 明治以前と明治以降を比べて違いが際立つのは、その社会におけるユーモアへの親和性ないし許容度だろう。

 それは、この日本の文芸史上、最高のユーモリストの1人、芭蕉の句を見ればわかろうというものだ。

 時雨どき、おそらく山中で、路傍の猿を微笑む芭蕉の眼は、それを眺めている酔狂な自分へも確実に届いている。ここに、常に〝世界〟へ開かれている新鮮な感覚と己(おのれ)をも対象化する強靭な知性が存在する。

 明治以降、正統性なき薩長クーデタ権力の一貫した文化政策は、ユーモア、笑いの封じ込めであろう。なぜなら、ユーモアとは知性と感性の幸福で見事な結合であり、権力が巧妙に構成する〝現実の唯一性〟を、たかだか〝可能的存在の一つ〟に引き下げてしまう力を秘めているからだ。

 上述の文化政策がドイツ(プロイセン)化として現れた事は、以下の三島の言を見れば故なきことではなさそうである。

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 これ(=風刺のこと。renqing註)に反して、ユーモアは人間生活の内部における潤滑油のようなものであります。それも緊張に際して行動の自由を奪われる人間の窮屈な神経を解きほぐし、生活上の行動に対して自由な楽な気分にしてはげますものであります。ですから、イギリス人は戦場において厳しい戦闘のさなかにもユーモアの精神を発揮します。ユーモアと冷静さと、男性的勇気とは、いつも車の両輪のように相伴うもので、ユーモアとは理知のもっともなごやかな形式なのであります。ドイツ人はいかにも男性的尚武の国民として知られていますが、ユーモアの感覚の欠如している点で、男性的特質の大事なものを一つ欠いているということができましょう。
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三島由紀夫 『文章読本』 中公文庫(1995)、p.219

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